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探索3:山のそばの神社と貴重な毘沙門天「大山住神社/別所毘沙門天」

 どうもこんにちは、ツキです。今回は福岡県那珂川市にあります「大山住神社」及びその境内の「別所毘沙門天」についてご紹介したいと思います。 

案内看板
路地の入口

 住宅地の奥、山のすぐ近くにある神社です。少し細い道を通り、その入口自体は分かりづらいですが、毘沙門天の大きな看板が入口を指しているので迷いはしないかと思われます。

参道の階段
入口 鳥居、その前には毘沙門天の説明看板
鳥居脇の庚申塔、その隣は手水舎がある

 細い路地を進み少し階段を登ると鳥居があります。それをくぐるとすぐ右には毘沙門堂があり、奥の方に神社の社殿があります。また、見つけにくいですが鳥居横に庚申塔もあります。

 それでは、まずは神社の方からご紹介いたします。と、言いましても神社の方は由緒などが分からないのでざっくりしたものになります。
 祭神は大山祇神伊弉冊神久延毘古神が祀られています。大山祇神はもともと祀られており、伊弉冊神と久延毘古神は後に近隣の神社から合祀されていたそうです。

社殿 正面から撮影
古びた鳥居

 社殿は2016年頃とわりかし最近に建て替えられたためにかなり綺麗です。それとは反対に入口の鳥居は昔からあるのでしょう苔むしていたりと年季を感じられるものになっています。

毘沙門堂

 次に、毘沙門堂のご紹介です。こちらはかなり歴史があるものとなっているみたいです。
 名前の通り、本尊は毘沙門天となっています。また、千手観音弘法大師の文字が書かれたものがあるためこちらも祀られているのかもしれません。
 毘沙門天像は高さ1m58cmで、少なくとも鎌倉時代からあるものだと考えられているとても貴重なものとなっています。修学院文書という文書には鎌倉時代の弘安8年にあった岩門合戦の15年後、正安2年に毘沙門寺に関する記述があるそうです。とても長い年月を経たものなのでやはり劣化がすごかったらしく、昭和62年7月には修復され現在の姿となりました。その時の仏師いわく九州に3体しかないものと、その後に郷土史家の川崎幹二氏は現在は1体だけの貴重なものと語ったそうです。
 これらのことから奈良・平安・鎌倉と長きにわたり脊振千坊と栄えた脊振山東門寺の北方を守る大切な寺院だったと考えられています。
 毘沙門堂自体はしっかり手入れが行き届いており綺麗でした。一応、近づくと防犯のためにブザーが鳴ります。少しビビりました。
 また、こちらは「那珂川八十八ヶ所霊場」の第五十九番札所にもなっています。

 毎年冬至の日には、こちらの神社では毘沙門天祭という祭りが開かれているそうです。その時には「銭財」と呼ばれる南瓜ぜんざいが振る舞われるらしく、それを食べると中風にならない、火災の火元に出さないとされています。家内安全商売繁盛のご利益があるとも言われています。
 僕もまだ行ったことはないので、もし行けたらその時のことも追記しようと思います。

 さて、今回は3柱の神を祀る山の神社と、その境内の歴史がある毘沙門天こと「大山住神社/別所毘沙門天」のご紹介でした。こちらも少しでも記憶に残っていただければ幸いです。
 今回はご覧いただきありがとうございました。また次回も見ていただけると嬉しいです。

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