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探訪録7:福岡平野最古の古墳とその上に建つ神社「那珂八幡古墳/那珂八幡宮」

 お久しぶりです。ツキです。随分と更新していなくて久々の投稿となります。すみません。
 さて、それでは今回の記事は福岡市の都心部からもわりと近いところにある古墳とその上に建つ神社についてです。最後まで見ていただけたら幸いです。

那珂八幡古墳

 ではまずは、古墳の方からご紹介いたします。その名は「那珂八幡古墳」。

古墳 全景
町中に現れる森は存在感が凄い

 竹下駅前の大きな通り沿いにあるこの古墳は、福岡平野の前方後円墳の中で最も古い古墳と考えられています。大きさは推定全長85m、後円部の直径約50m、後円部の高さ15mほどらしいです。  

古墳 神社正面から
木の威圧感を感じる。

 後円部の埋葬施設は割竹形木棺で、副葬品に三角縁神獣鏡などが見つかりました。そのことから4世紀はじめにできた首長墓ではないかと考えられています。その他に硬玉製勾玉1個、碧玉製管玉2個、ガラス製小玉1個、銅戈、弥生中期の鋳型片、弥生時代の土器、鎌倉時代の土師皿や石鍋なども見つかっているみたいです。

古墳 裏手側から
こちらから見ると桜の木がチラホラ見られて良い。

 ちなみに最寄り駅の竹下駅、こちらは福岡市の中心部の駅である博多駅の隣の駅となっています。つまりこちらの古墳、都会からかなり近い古墳なのです。なかなか珍しい気がしますね。

那珂八幡宮

神社正面

 さて、この古墳の真上にはとある神社が建っています。その名も「那珂八幡宮」。まあ、名前の由来は普通に那珂という地に建つ八幡宮なんですけどね。 祭神は八幡神神功皇后玉依姫命です。御由緒は不明(八幡宮自体の説明はありましたが、この神社の説明というわけではない)です。

拝殿
造りなどはわりと普通。

 境内社などもなく、構造もわりと普通の街の神社って感じですが少し特徴的なものもあります。
 まず、一番の特徴は前述した通り古墳の上に建っていることでしょう。まあ、これに関しては全国的にも同じような神社はあるので特別に珍しいというわけではないですね。不思議ではありますがね。
 そしてもう1つの特徴が境内にあるこちらの歌碑です。

境内にある歌碑

 歌碑には
「武者絵馬に 少年の日の 名はありて 
兵にに召され 発ちてゆきたり」
という和歌が彫られています。こちらの和歌は桑原廉靖(れんせい)さんという福岡出身の歌人の方が詠まれたものになっています。福岡市文学賞も受賞された方で著書もいくつかあるみたいですので、興味のある方は調べてみてください。

鳥居の外にある手水舎
外にあるのは珍しい気がする。

 あとあまり大きい特徴ではありませんが、鳥居の外に手水舎があります。自分が今まで参拝した神社の中では、あまり見たことなかったので少し驚きました。また、鳥居の外には庚申塔もありました。

庚申塔
結構文字とかも掠れてしまっている。

 と、ところどころにちょっと特徴があるタイプの神社でした。
しかし、あと1つご紹介していないことがあります。
それは、実はこちらの神社の裏手にはもう1つ神社があります。

武内大神

武内大神

 もう1つの神社、その名は「武内大神」。 参道は那珂八幡宮の社殿のところに繋がっているので境内社なのかなとは思われます。ただ、那珂八幡宮の裏の参道にあたる、この神社前の参道の鳥居には「武内大神」の文字があります。また境内社にしてはサイズも少し大きめということもあり別で紹介いたします。

武内大神側の参道の鳥居

 こちらは祭神は不明、由緒ももちろん不明の小さな神社です。名前と八幡宮のそばにあるということから、数々の天皇に仕え、八幡神こと応神天皇にも仕えた伝説上の忠臣「武内宿禰(すくね)」ではないかと思われます。実際、武内宿禰を祀る神社もありますしね。

社というか祠?
なかなか見かけないタイプの造りをしている。

 小さめで詳細もわからないこちらの神社、社というか祠?が特徴的なものになっています。無骨なコンクリート製の祠…というより蔵のような建物の中に小さな祠が祀られています。あまり見たことがない感じでした。そこまで古くないのかもしれません。

 さて、今回は福岡平野最古の古墳、その上の神社、その裏の謎の神社のご紹介でした。
 前述したように福岡市の都心部でもある博多エリアからかなり近いので、興味がありましたらぜひ行ってみてください。
 また、このすぐ近くには「石投げ地蔵」というお地蔵様もいらっしゃるので今度ご紹介いたします。
 ここまでお読みいただきありがとうございました。頑張って書いていきますので、これからもよろしくお願いします。


 



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