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いつかの思い出

ある日、散歩をしていると道の真ん中で子供が泣き出した。

「この辺に住んでいる人に迷惑がかからないだろうか。」

心配になり、急いでなだめる。
そんなことはお構いなしに抱いてほしいと泣く。
そんな時、「泣き止んでほしい」の一心で子供を抱き上げる。
そうすると子供が屈託のない笑顔でこちらを見る。
嬉しくなって先程まで困っていたことさえも嘘みたいに忘れる。
そして思う。

「こんなに小さい子が道で泣いたら迷惑だなんて考えもつかないよな。
どうやったら親に伝えられるかに一生懸命になっているんだもんな。」


子育てをしていると、これまで知らず知らずのうちに自分がして欲しい察してほしいと他人に勝手に期待している傲慢さに気づく。

傲慢な考えをやめようと思ってもなかなかやめられない。
「自分が気にしなければいいんだ。」
無理やり違うことを考えようとして、知らず知らずのうちに無関心を装いだす。

無関心を装えば装うほど、子供が伝えたいことを見逃してしまう、、。

「これじゃだめだな。」

親は木に立って見るから親と書く
どんな接し方をすれば木に立って見られるのだろうか。

そんなある日、寝返りをした。
子供と一緒になって喜んだ。
すると子供は一緒になって喜んでくれたことに嬉しそうにする。

「そうか。一緒に喜んだり、楽しんだり、悲しんだり、一生懸命になったりするだけで良いんだな。」

そういえば、自分の親もそうだったじゃないか。

大きくなって他人とどんどん一緒に喜んだり、楽しんだり、悲しんだり、一生懸命になったり出来なくなっても親だけは一緒に感情を共有してくれていたじゃないか。

自分もこの子が大きくなっていっても、いつまでも一緒に感情を共有できる存在でいたいな。

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