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友人っていいなという話

 友達は少ない方だと思う。

 自分自身の扱い方と、人との距離を掴むのが苦手だった学生時代を経て、今の私は友人と呼べる人は数人しかいない。向こうから離れていったり、私から距離を置いたり、そういうことを繰り替えしていわゆる少数精鋭になりました。コミュニティの中でいうところの「嫌われ者」になっていたことも何度かありましたが、今回はそういう話ではないので置いておきます(あんまり思い出したくもないし)

 現在進行形で無職の私、今のその日々に彩りを添えてくれているのが友人達の存在です。
 元々ハードワーク上等な職場で働いていた私をかなり心配してくれていて、最近は会う度にその頃の苦労を労ってくれます。働いていた時は仕事が結構楽しくて大変さはそこまで重大なものとして捉えていなかったけれど、今なら思える。ちょっと頑張りすぎていたかもしれない。

  フットワークがものすごく軽い友人が「ここに行きたい」とツイートをし、それに私やほかの友人が名乗りをあげればだいたい数日後に一緒に出かけます。期間限定のスイーツを食べに行ったり、花を見に行ったり、銭湯に行ったり。元はといえばオタク仲間だったのですが、いつの間にか共通点:オタクの気の合う仲間たちみたいな関係性になってました。
 今回の記事のヘッダー、友人らと見に行ったシャクヤクです。とてもきれい。

 スイーツを食べた帰りに立ち寄った道の駅の前に海岸があって、みんなで靴に砂がまとわり付くのも構わず波打ち際まで行って、各々自由に写真を撮ったり変な漂着物を探したりと。私はこの友人らとの「各々」の距離感を非常に心地よく感じているんだな、とその時気づきました。それぞれに入りすぎずちょうどいい距離感ではしゃぎ合う。一緒に食事をしても頻繁にシェアしない。なんとなく会話をしながら各々の食事に集中するのです。思えばそれぞれオタクとして推しキャラや推しジャンルがいても、全部が全部一緒ではなくそこそこバラバラにオタクをやっているのを眺めて楽しんでいる、くらいの感覚です。でも好きな作品が被ったらそれはそれで楽しいもの。

その時の海岸で見つけたチンアナゴみたいな流木

 とはいえ時々友人の趣味の範疇にお邪魔することも。友人のライフワークである野球観戦に同行した時もワーワー言いながら野球を見て盛り上がり、球場メシを食べて、楽しかったねって言って帰る。私はその帰路、毎回なんともいえず満ち足りていました。野球の楽しさを知って、友人とその感情を共有できた喜びは勿論ですが、自分の境界を尊重してくれる人が私にはいるんだと再認識できたことがすごく嬉しくて、有難くて。

 どうかこの友人達とは末長く楽しくいられたらなあ、と常々願っています。
 私にとって友人と呼べる人は少ないけれど、それでいい。自分の両手におさまる範囲の人間関係に、私はとても満足しています。

 あー、友人っていいなあ。

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