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カッコーの巣の上で(35年ぶり2回目)

※ネタバレを含みます。

1975年のアメリカ映画、「カッコーの巣の上で」を見た。
1990年頃、19歳の、金は無いが時間はあるのでレンタルビデオ屋に通ってる頃に見たと思う。
35年ぶり2回目の鑑賞になる。

19歳の俺はこの映画を見て「管理教育と自由」みたいな、尾崎豊的なことを思った。


54歳になるまでに、精神科に何度か入院している。
入院しても医者(主治医)に会えるのは1日に1回がいいとこで、あとは看護師の管理下にあり、見張られてる感はあった。
大声を出すなど、他の患者に迷惑をかけるような行動をすると、開放病棟の場合、車椅子に乗せられて拘束され、閉鎖病棟行きになる病院もあった。
いやだ行きたくないと言いながら他の患者が拘束されて閉鎖病棟に行くのを何度か見ている。

そういう経験を過去にした今の俺が、精神科病棟内を描いたこの映画をどう感じるのか、興味があった。

リアルだなと思ったのは「ワールドシリーズ見ようぜ!」とジャックニコルソンが言った時に他の患者が躊躇すること。
ずーっと同じ規則で同じ生活をしていると、「変化」が怖くなる。
たとえそれが楽しそうなものでも。
これは精神科という場所だけに限らない。
そこが、国や時代が違っても同じなんだな、とリアルに感じた。


この映画は多くの人が語っているので本当はネイティブアメリカンの話であるとか、そういうのは置いとく。

俺が35年前と違う印象を持ったのは、あの、婦長である。

精神科病棟内の安全管理を任されている。他のスタッフもいるが、あの婦長が責任者である。

あの婦長を19歳の俺は「権力による支配の象徴」と捉えた。
酷いな、と。


今回はあの婦長に対して、全く違う印象を持った。
あの婦長は、全てのことを「仕事だから」やっている。

どうすれば、あの精神科病棟内の安全を保てるのか?
それに対して最も効果的なことを仕事としてやっている。

逆に言うと「懲らしめてやる!」とか「このポンコツどもが!」とか、
そういう、個人的な感情をベースにやってはいない、ということ。

現在の価値観から見たら酷いことをしてるように見える。
象徴的なのはロボトミー手術だが、
(あの手術の指示を婦長がしたかどうかは別として)
あの時代、あの手術は「適した医療行為」だったはずだ。

婦長のパーソナルな部分は映画では全く描かれない。
既婚なのかとか、帰宅したらどんな生活をしてるのだとかは描かれない。

ただラスト付近に、笑顔を見せるシーンがある。
あの首を固定する、何だっけ、アレ、アレね、アレをした状態で患者に話しかけて笑顔を見せるシーン。

あの微笑みで「この婦長は、患者が良くなれば嬉しいんだな?」と俺は思った。精神科病棟内の患者が憎いだとか面倒だとか、患者を見下してるだとか、そういう感情はあの婦長には無い。
そう感じた。

あの笑顔を「混乱の原因、ジャックニコルソンが大人しくなったから安堵して」と捉える人もいるだろう。
それはそれでよいと思います。


ジャックニコルソンと大きい人が並んでガムを噛むシーンとか、釣りに行くシーンとか、良かったですね。

あと、吃音症の男性が女性と一夜を共にした後に「I can explain」と一言だけど、ハキハキ喋ってるとこも良かった。
あのビリーという男性がとても良かった。


話が婦長に戻るけど、あの婦長は当時の価値観に基づいて仕事でやっている、という話。

極端なことを言うと戦争中なんかは価値観が違うのだから、収容所で人を処刑してた人も「仕事で」やってたかもしれない。

仕事は全てサービス業ではないから、機械的に、場合によってはキツいと思われる言い方をするべき、という時もあると思うのですよ。

そういうのを感情的に、短絡的に「酷いな。酷い人だな」と思わずにいれる人になりたいものですね。


俺は無職ですが………

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