『TENET テネット』(クリストファー・ノーラン)におけるアクションの違和感について

クリストファー・ノーランの新作『TENET テネット』が先週末に公開された。新型コロナウイルスの影響で映画界が大打撃を被る中、久々の大型新作公開である。

ノーラン作品は大抵観ているので、本作も当然のように観に行った。感想を一言でいえば、「凄いことが頭の中では分かっているが、その凄さを身体が受け付けない」という奇妙な体験だった。

『テネット』の概要

テネットのあらすじは極めて複雑だ。WHERE(どこ)とHOW(設定)を見失いやすい『インセプション』(3階層+αの夢世界が舞台、全階層で夢の主体が異なる)も油断すると筋を追えなくなるが、

『TENET』はWHERE(舞台は世界中を飛び回る)、HOW(無知=有利という設定のため、基本主人公(unknown)視点の作中では明示的な設定バラシがなされない)に加えて、WHEN(どの時間軸で/どの向きで)がとても分かりにくいので、ストーリーを追うので一苦労である。中盤から終盤にかけて、ようやく全体の構造が見えてくるつくりになっているので、序盤のあのシーンはそういうことか、あの人物は彼だったのか、というのを観客自身で観賞中に補完していく必要がある(まさに過去と未来で現実を挟む挟撃作戦を観客自身が実行している、といったところか!)

僕自身、一度しか見ていないのでストーリーの細かい部分を理解できているとは思えないが、大まかには以下のようなストーリーだ。

大枠は環境が崩壊した未来の地球に住む未来人vs現代人。未来人は、現在(未来人視点では過去)の地球を乗っ取るために、現代人を滅亡させようとたくらんでおり、そのための武器が「時間逆行装置」「アルゴリズム」。

未来人は時間を逆行させる装置を開発したが、自分だけが逆行する世界では、逆行者は自由に呼吸ができず、周りも全部逆再生になるなど不都合が大きい。そのため、全世界の時間をすべて逆行させる「アルゴリズム」を起動することで、逆行時間と順行時間をすべて反転、現代人を全滅させての未来人類の生存作戦に賭けようとしていた(祖父殺しのパラドックス)。

それを防ごうとする主人公チームと、末期がんでどうせ死ぬから皆で死のうモードの武器商人ら未来人チーム(なんて迷惑な野郎だ笑)が時間の逆行を駆使して戦う、というのが大まかなあらすじだ。

ストーリーを丹念に追っていくつもりはないので、これくらいにしておこう。ここで考えてみたいのは、本作で唯一無二な、「逆行アクション」についてだ。

アクションにおける「見えない」違和感について

アクションというのは、映画において基本的には何も考えずに楽しめる部分だ。銃撃戦だったり肉弾戦だったり、重火器戦、カーチェイス、作品によっては魔法や怪獣との戦闘だったりする。

よくよく考えると、巷の映画のアクションシーンにも、変なところ、違和感な部分は存在する。例えば、①WHAT:何が起きているのかわからない②WHY:何で戦っているのか分からない③WHEN・WHERE:いつ、どこで戦っているのか分からない④WHO:誰と戦っているのか分からない⑤HOW:どうやって戦っているのか分からない、といったところだ。

①WHATについて。POVや主観ショットなど没入感を重視した映画やカット割りが激しい映画で、そもそも何が起きているのか分からないケース(ex.『ダンケルク』の冒頭)

②WHYについて。アクションシーンにストーリーとしての必然性がないケース。ギャグっぽくなったりイライラする場面になりがち(ex.『ゼイリブ』のサングラスシーン、出来の悪い諸々の映画における、時間稼ぎのための最後のグダグダ)

③WHEN・WHEREについて。時系列が複雑な作品や、登場人物や舞台が多く同時並行でことがすすんでいるケース(ex.『ダークナイト』のアクションシーン全般、戦争映画全般)

④WHOについて。誰と戦っているのか分からないケース(ex.『インセプション』における夢の中の敵、スパイ映画にたくさん出てくるモブ敵)

⑤HOWについて。アクション、戦闘の仕組みが分からないケース。そういうものとして受け入れた方がよい(ex.『スターウォーズ』シリーズにおけるフォース)

おそらく、これらの違和感をすべて回避しているアクションシーンというのはそこまで多くはない。カーチェイスやマイケル・ベイ作品のようにドッカンドッカン爆発するアクションシーンなどは途中で何が起きているのか俯瞰で理解することは困難だろう。しかし、我々観客は、目の前で繰り広げられるアクションシーンに対し、没入し、心躍らせることができる。なぜか。

それは、これらの違和感がすべて、目の前で提示される視覚・音声情報からは切り離された「見えない」情報だからだ。どんなアクションシーンも、慣れ親しんだ物理法則、フィクションのお約束に乗っ取って展開する。我々は、(よく考えると意味不明な)アクションシーンに対し、安心して身を委ねることができる。そしてその心地よいライド感に酔うのである。

『TENET』における「見える」違和感について

では、『TENET』はどうだろうか。『TENET』における派手なアクションシーンは大きく3つ。「空港倉庫内での逆行者との肉弾戦」「プルトニウムを巡るカーチェイス」「クライマックスの挟撃作戦」である。

この3か所で展開されるアクションシーンについて、僕は他のアクション映画のようなライド感を全く味わえなかった。それはなぜか。

スクリーン上の視覚・音声情報を容易に理解できないからだ。他のアクションシーンと違って、違和感が「見える」のだ。

順行者と逆行者のアクションは、当然逆再生が挿入される。しかも、その逆再生は映画全体ではなく、「その時点のカメラ視点から見た逆行者」にのみ適応される。

そのため、アクションシーン全体の違和感が強すぎて(特に細かい部分、順行と逆行が目まぐるしく入れ替わるような場面)、本来「アクションに酔う」べきシーンで脳みそが状況を理解しようと「フル覚醒」してしまう。

他にも、逆行者の銃撃のせいで初めから壁やガラスに銃痕が残っているような場面。逆行弾の発射が確定しているため、「銃撃戦」というアクションは、「いつ/誰に銃弾が発射されるのか」というサスペンスに転換する。アクションシーンなのに脳みそはサスペンスの緊迫モードになっているので、ものすごくぐったりするのだ。(BLEACHで平子真子の「逆撫」に瞬時に対応した藍染惣右介はやっぱり凄い、と変な感動も覚えた。。)

それが、冒頭で書いた「凄いことが頭の中では分かっているが、その凄さを身体が受け付けない」という感想の意味だ。

アクションシーンの没入感、爽快感を犠牲にしてまで、時間の逆行という小説的なSFギミックを映像化してみせたノーランの手腕は評価されるべきだろう。とはいえ、この作品が映画として楽しいか?と問われると、答えに窮してしまう。複雑なストーリーの構造も相まって、小説の方がいいのでは?と思ってしまう。

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