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自己紹介4最終話。ハロー、グッバイ、グッラック!

私は旅をしてきた事を後悔しています。
親にも心配掛けたし、三重の恥晒しの旅だった。
後悔する人間と後悔しない人間の
2パターンあるならば、私はいつも後悔していたい。
だって、後悔しない人は人殺ししたって後悔しないじゃない?

でも、出逢ってきた、この目にしてきた物事は
今の私を作ってくれた誉れ。
特別な御縁の賜物。誇りにも似た存在です。

そんな出逢いがこれからも続いていきますように。


10代で家出。二十歳に親へ連絡。。。そうですね。
親へ連絡した時のお話し書こうかな。超恥ずかしいけど。

1話で書いた通り、ウチの親は閻魔様。激怖い。

絵で金賞取っても、入選大賞取っても、褒められやしない。
というか、落選した事がない。
バカバカしくて自慢にもならない。
小学生半ばまではタテや賞状を持って帰って見せてた。

親がどんな顔してたかわからない。私は頭なでなでしてくれる。
と思って、赤らめる顔が恥ずかしくて俯いてたから。
でも
ふ~ん。みたいな冷めた感嘆符だけ聞こえて、どっかへ持って行った。
飾られる事も無かったし、保存さえ怪しい。

それからは表彰式の帰り道はタテと賞状、
帰り道に公共のゴミ箱へ捨てるようになった。
私自身かなり冷めた顔をしていたと思う。

美術は5しか取ってなかったけど、
それ以外の重要な科目が悪かったから、
いつも2言目には「勉強しろ」

そりゃ、「美大に行きたいんです。」なんて言ったらNO!ですわw
私は諦める事を諦めた。そして、家族を捨てた。


この時は、フィリピンホームステイ計画の為、
あのスラムから憧れの新築フローリングを住処とし、
当時、奇跡的に高知で1番高いと言われる高級クラブで務めていた。

二十歳の誕生日、店が夜12時で終わるんだけど、
その日は同伴出勤もしたし、成績もまずまずだったから、
店長さんが、早上がりを許してくれた。
実は、もし可能ならば、親に連絡したかったからだ。

時刻は夜11時。実家の消灯は10時。
電話が鳴ったら激怒の時間。でもどうせ怒られるだろうし、
この期を逃したらもう永遠のお別れになる気がしたからダイヤルした。
怒って永遠の勘当、久離(きゅうり)される可能性も高い。だからその辺、
はっきりさせたかった。

少し大きめの電話BOXから掛けたら、なんとワンプルで出た!
言葉が詰まって出ない。黙っていると、母の声で優しく私の名を呼ぶ。
はい。と答えると、「お誕生日おめでとう」と言われた。
涙が溢れて、ありがとう。と答えた。
「ちゃんと食べてるの?」「うん。美味しいよ。」
絶対に連れ戻しに行ったりしないから何処にいるか。とか等の質問に答えながら、しゃっくりが止まらなくなってきて、
母は涙声で笑って、
「何をそんな泣いとんのよ~wお父さんに代わって良い?」「はい。」

そして閻魔様の番「ちゃんと食べとるか?うん、うん、そうか。誕生日おめでとうな。ほな、かーちゃんに代わるでな。」と、まさかの神対応。
仕事で遅い時間の電話になってしまった謝罪を、今までの親不孝も合わせて謝罪した。

短い電話だったけど、親ってのは子供が食べれているかどうかが一番心配なんだな。。。とか思いながら
小一時間程、色んな感情が止めどなくせり上がってきて
その場にへ垂れこんで、声を上げて泣きじゃくった。
きっとずっとホームシックにかかっていて、
我慢していた事もあったようだ。嬉し涙としては一生分泣いた。



これにて自己紹介?は終わりました。
お付き合い有難う御座いました。

この二十歳からが本当の旅の始まりといっても過言では無いでしょう。
この時は初めての場所高知が舞台です。
今後、あちこち飛び回ります。

生きる力、賢いバカの勉強法、使えるサバイバル術なんかも
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