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君が五年後に死ぬから好き



春の海を見て、自分には例える言葉が思いつかないな、って言ってるのを隣で聞いて、それは私より詩的な表現だなって思った。例えば私だったら、スワロスキーのお店みたい、とか数億匹のボラが跳ねてるみたいとか、まあそんな感じで表現するけど。君がそうやって呟いたのは、私がキラキラしてるって言った後だった。
キラキラ、たったそれだけのオノマトペで私が何通りも考えてた、春の海の美しさを、君は全部汲み取ってくれた。きっと私が、パンケーキが焼き終わるまでの25分、いくつも考えたかもしれない、例える言葉を、君はその一言だけで言い表してくれたなあ、って。
君が五年後に死ぬから好き、とはまだ言ってないけど、私は隠し事が苦手なんだよね。ラブレターとかLINEに書く好き、って言うのは、口で言うのが恥ずかしいから、代わりのツールにしてる、で合ってる?私はいつも両方言っちゃう。ラブレターを渡しながら、好きだって言ってしまう。
まあ君も隠し事が苦手みたいだし、それも多分分かってるのかな。もう大人だから、言いたいことは口で言うよね。
例えば、五年近く行きたかった、江ノ島のパンケーキが期待していたほどの美味しさではなかった時とか、江島神社のトリコロールの御神籤を、なんとなく引かなかった時とか、帰りのクルクル回る坂道を、めんどくさくて通らない選択をした時とか、そう言う時になんだか大人になってしまったな、と思う。
それは、恋人達の鐘って言われる全部が、ただの迷信って気付いたり、歩いて鎌倉を回れなくなったり、コーヒーの美味しさがわかるようになったりしたときに起こる。
大人になっていくのは、そういうキラキラを失っていくようなものだと思う。
春の海を見て、キラキラしてるな、って当たり前のことに感動してしまう。
桜が咲いているか、探さなくなってしまう。
お互いの知らない部分が、だんだんとなくなっていくときに、一体感より寂しさを感じてしまうのは、もう学生ではないからだと思う。
私は大人になるのを、悲しいとは思わないけど、君はどうだろう。早く学生を辞めたい、飽きたってぼやいた私に、分かるって君は言ってたね。
どうも、大人になると責任感っていうのが必要になるらしい。それは春のふわふわした空気になんて揺らがない、石の橋みたいなものだ。
学生が辞めたいのは、本当に飽きたからで、実際私は大人なんかじゃない。君はますますそうかも、一言だって好きだって言わないし。
大人になると、ラブレターなんて書かなくなるらしい。
好きっていう、キラキラしてて春の海みたいで、咲き始めた一輪の桜みたいで、沈丁花の香りがする言葉は、大人になると責任になってしまう。
江ノ島と神奈川を繋ぐ堅牢な橋みたいに、私たちの間に横たわるそれ。
それを軽々と超えて、グラスを当てる時、手に触れる時、あんぱんを半分に割る時、私たちは22歳でなくなる気がする。
大人になってみたかったから、私は好きだと言いながらラブレターを渡してきた。
好きだと言ったら、石橋が永遠に横たわると思って、鐘を鳴らした事もある。あの急な階段を、必死で登ったこともある。
それはどれもあっという間に散ったけど、まあ今年も咲くのだろう。
でも一つ、ズルくなれたと思うのは、大人になりたいと言わなくなったこと。
付き合ってないのに春の海を見にいく時が正直一番楽しいと思う。好きだなあ、ってわかっているから渡さないラブレターほど、輝いているものはない。
結局必ず散ってしまうから、ずっと蕾のままでいいと思ってしまうのだ。江ノ島と神奈川の間に橋なんていらなくて、船でしか行き来ができなかったら、あのパンケーキはもっと特別だったかも。
君が五年後に死ぬから好きなのは、君がそうはっきり言うから。
可愛いなって思ってしまう。申し訳ないんだけど。
君が私に好きだ、付き合ってくれって言ったら、それはそれで笑い飛ばしてしまいそうだけど、五年後に、じゃあ今から死ぬね、って言ったら私は君の細かな輪郭を一生忘れないなって思う。
その時の最後の言葉は、きっと世界で一番美しいだろうから。
君は五年後に死ぬと、結構本気で言ってるはずなのに、コブシの花が白いだけで泣いてしまうという私を笑わなかった。
桜の花がついた枝を探して、嬉しそうな顔をしていて、握手だってさせなかったくせに、あっさり手のひらを見せてくれたりする。
春の訪れを純粋に楽しんでいて、子供みたいにはしゃいでいる。
きっと君は私の鏡なのだ。
私だって五年後に死ぬと、言ってみたかった春もある。全てを見ないまま死ぬ、蜻蛉になりたかった。
もう、桜が咲くからって、空ばかり見て歩かなくなった私の前を、軽々と君は笑い飛ばしてくれる。だって君は死ぬつもりだから。
本気で海に突き飛ばしても良かったけど、私の大人な部分が邪魔をしたかもしれない。
私は君の鏡でありたいから。
君の言葉になれたらいいと思う。好きだなんて、責任感の塊みたいな言葉も、恋人も、結婚も、全部要らないから。
君は世界の全てに、目を向けなくっていい。
私が全部言葉にするよ。君の姿がどんなに白いか、本の中に描かれる白さのように、君がそのままでいられるように。
君は私に好きだなんて、言わなくていい。
私も君が好きだと言わなくていいように、君の言葉を、ラブレターにするよ。
まあそれを渡すつもりは無いかも。
君が死ぬまでの五年は、私も春の海なんて、言葉に出来ないままでいたい。

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