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金木犀の便り

金木犀の香りが、好きだ。
毎年、秋のほんの少しの間だけ、街の至るところからふわっと香ってくる、あの香り。毎年、いろんな気持ちを運んでくれる。

二年前の秋、受験生だった私は、金木犀の香りが怖かった。
時の流れが速すぎて、まるで自分だけが置いてけぼりを食らっているようで、大好きなはずの香りが、怖かった。
去年の秋、無事大学生になって地元を離れた私は、人生で初めて地元以外の金木犀の匂いを知った。ああ、都会にもちゃんと金木犀はあるんだなあ、というのが正直な感想だった。

そして今年、外出の機会が例年に比べてぐっと少ない今だけれど、今年も一度だけ、金木犀の香りに出逢うことができた。
単純に、すごく嬉しかった。何だか、今、マスク越しに匂う金木犀の香りには、何か特別な意味があるような気がした。

私にとっての「いい香り」の代名詞の金木犀だけれど、一体いつから、どうしてそう思うようになったのだろう。
はっきり覚えてはいないけれど、幼い頃、母と一緒に歩いていて、「キンモクセイだね。いい匂いだねえ。」と言った母の横顔は、おぼろげながらも思い出すことができる。

かたちのない、目には見えない感覚や感情に名前をつけることは、絶対に独りではできない。
目で、耳で、鼻で、さまざまな世界を感じること。
感じたままに、ことばにすること。
そんな当たり前のことができる背景には、今までに寄り添ってくれた誰かの存在があること。
今年の金木犀の香りは、マスク越しにふらっとやってきて、”いい匂いだなあ”と感じることができるあなたは、独りじゃないよ、と、そっと教えてくれた。

大学は、あいかわらずオンライン授業が続いている。
なかなか人にも会えず、一人暮らしのアパートで何とか課題をこなす毎日である。
旅行より、外食より、私は普通に学校に行きたい。
そう思っていることは事実だし、ふとした瞬間にどうしたらいいんだろうか、どうなるのだろうか、と考えることもある。

だけど、誰も悪くないから。誰のせいでもないから。
ときどき落ち込みそうになってしまうのは、もう去りつつある秋の持つ、センチメンタルな魔力のせいにして。
今年の金木犀が運んでくれた優しい教えをそっと抱きしめて、明日もそれなりに元気でいられたらなあ、と思う。

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