自由には責任が伴う ~結婚しない自由について思うこと~

ツイッターでは定期的にバズる話題がいくつかある。そのひとつがこれだ。

結婚以外の生き方や幸せがあるのだからそれを押し付けるな!人生の自由、一人一人の価値観を尊重しろ!

という趣旨のツイートだ。個人主義の蔓延、多様性の尊重が叫ばれているからこそであろうが、私はこの主張にはどうしても違和感、というよりも否定的な気持ちを持ってしまう。

理由は簡単だ。

その色んな生き方や幸せとやらは、今のような便利な生活がある前提の話ではないのか

と思っているからだ。

今の世の中は、蛇口を捻れば飲み水が出てきてスイッチを押せば電気が付きエアコンがかかる。町から町への移動には車や電車を使ってとても快適な移動ができる。スーパーやコンビニに入れば、安全で味のよい食材が何時でも手に入る。人類の長い歴史のなかでも飛び抜けて便利で快適な環境だ。

だが、これらのインフラやサービスは決してただで手に入るものでもなければ無限にわいてくるものでもない。

これらのもの全てに、見えないところから維持管理に勤め、それを提供する労働者がいるのだ。

どれだけ優れた技術があろうと、それを維持する労働者がいなくなれば、いずれはインフラもサービスも受け取れなくなり、便利な生活はできない。生きるだけで精一杯の環境になり、自由な生き方どころではなくなる。

そして、その労働者を確保するためには人口が必要なのだ。すでにあらゆる業界が人手不足に陥っていると言われて久しいが、人口が減るということは今当たり前のように受け取れているインフラ、サービスに携わる労働者が減るということである。今はまだ良くても、数十年後には今のような生活は成り立たなくなっててもおかしくないのだ。

結婚以外の生き方や幸せを尊重するということは、当然その分、非婚化や少子化にもつながり、人口が減ることを意味する。この手の主張を行う人やそれを絶賛する人達は、それが、自由な生き方をするための環境そのものも奪っていることに気づいているのだろうか。

稀にこういった懸念に対して、

「人口が減るのであればそれに合わせて社会を作り替えればいい!まちづくりや社会保障を見直せば済む話だ!」

と反論する人もみられる。しかし、それも大きな問題があるように思う。

第一に、人口が減るのに合わせて社会を作り替えても、どこかで人口が減るのに歯止めをかけなければ結局社会は縮小し続けてしまう。社会の縮小を延々と繰り返せばいずれは当たり前の生活がなくなる。そのとき、彼らは平気でいられるのだろうか。私にはとてもそうは見えない。

また、人口が減るのに合わせて社会を作り替えるとは具体的にどのように行う気でいるのか。自分の生活環境を今とは全く違うものにごっそり作り替えるということは考えていないのではないか。

見も蓋もない言い方をすると、自分の生活テリトリーとはなんの関係もない地方や文化を潰したり、縮小していけばよい、という気持ちがあるのではないのか。


この主張をする人にはおそらく東京をはじめとした都会在住の人が多いのではなかろうか。既に過疎化が進んでいる地方であれば、人口が減ることによって生活の基盤が失われていくことを肌身で感じる機会も多い。その為、人口が減ったって良いとはそう簡単には口にはできない。

一方で、常に人やモノに囲まれた生活を送る都会暮らしの人にとっては、そのような危機感を感じにくい。人がいなくなることで、自分達の生活が失われることが中々想像できず、自分は今まで通り生活できると根拠もなく考えてしまう。むしろ、社会や共同体のために自分達の自由がなぜ失われなければならないのか!と考え、リベラル思想や個人主義に寄っていく。

その結果、「人口が減ったって都会に住んでいる自分達には関係のない話、問題なのは自分とは無縁の地方や文化、産業がなくなることなのだから縮小や切り捨てによって作り替えれば良い、それよりもひとりひとりの幸せを重視すべきで結婚や子育てを押し付けるな」と端から見れば極めて利己的な主張をしているのだ。

余談だが、都会の人口は地方からの流入によって支えられている側面が強く、地方が滅びれば都会も滅びる。また、インフラはもちろん、都会で買える食材や物品も地方で生産されているものが多いので、これも地方が滅びれば確実に都会での暮らしにも影響が出る。自分達の生活は変わらないなんてことは到底あり得ない話なのだ。

社会に対しての責任

だからこそ、私はタイトルにもある「自由には責任が伴う」の考えを大事にすべきと考える。一般にこの言葉は自分がとった行動には自分で責任をとれ、という意味合いで使われる。だが私は、自由に生きることが出来る社会を守る責任という意味でも使えると考えている。

自由だからと後先考えずに好き勝手するのではなく、この環境を後の世代にも引き継いでいく。その為にも結婚し子供を産んで育てていく。今を生きる人にはその責任があるのだ。

日本は長い不況から抜け出せない状況にあるが、この要因には、後先を考えず自分達だけに利益を寄越せ!関係ないやつのために負担など背負いたくない!と団塊の世代が主張してきたこともある。その皺寄せを我々が今くらっているのだ。

子育てに関しても同じだ。後先考えずに自由を行使すればその皺寄せは少子化という形で後の世代に向かう。そうなったとき、我々も団塊の世代と同じような目で見られることになる。

自由には自由に生きる環境、そして社会を守るための責任がある。その為にも結婚して子供を産むべきである。これを意識すべきだし、私はことあるごとに口酸っぱく言っていきたいと思う。そして願わくば、この意識が浸透するように個人ではなく共同体のことを重視する価値観がもう一度復活してほしいと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?