見出し画像

子育てに前向きになれる社会に必要な4つのこと


前回の記事では子供を守る意識が高まり、不幸にした親をバッシングするほど子供は産まれなくなる、その経緯についてまとめた。この記事ではそれを踏まえて、今何が必要なのか筆者の考えをまとめる。

1.子供を産んで育てることを「偉い」と褒める


子供を産んで育てることに前向きになる為には、社会の風潮や価値観がそれに前向きになる必要がある。その為には子供を産んだ人を評価し褒める、「偉い」と言ってあげることが必要であると考える。

「下らん」と思うかもしれないが、ひとりひとりの発言の内容によって社会の風潮など容易に変わる。インターネットやsnsを見ていれば一目瞭然だ。例え狂ったイデオロギーや事実かどうかわからない論調であっても一度共感の輪を形成すればあっという間に拡散していく。ならば子供を産んだことを評価する風潮だって広めることは可能なはずだ。

昭和のころは子供を産んだ人を一人前と評することがごく当たり前の価値観として社会に共有されていた。だがいつしか「結婚や子育てだけが幸せじゃない」「価値観を押し付けるな、口出しするな、個人の考えを尊重しろ」という個人主義の台頭によって廃れてしまった。今ではそれも通り越して、政治家等が結婚に言及するだけでも「差別的」と叩かれてしまう。

今の社会は、個人の自由にこだわるあまり共同体の維持に全く目が向いていないのだ。これでは子供が増えるわけもない。発言力のある人ほどこういったことを言いにくいのであれば、我々一般人がそれを積極的に発言、発信していくべきだろうと思う。

2.社会に対しての責任を自覚する


上の内容にも関連することだが、自分達が自由で快適な生活を送れているのは高度なインフラとそこで働く人がいるからであり、そのインフラが子供の健康で安全な暮らしを担保している一面がある。そんなインフラを維持するには子供を育てて働き手を確保する必要があるのは紛れもない事実なのだ。

反出生主義者で特に顕著だが、「不幸にしてしまうくらいならば産まない方がよい」という考え方がある。しかし筆者としてはこれは正しくないと考えている。それは先述の通り、インフラが子供の育つ環境を健全なものとしており、それは当然子供達の人生や幸せの点においても重要な役割を果たすからだ。

不幸にしたくないからと産まなければその子自身にとっては苦痛から逃れられる(幸せになるチャンスを潰している点からするとこれも正しくない気がするが)かもしれない。しかし、それによって少子化が進んだ影響は他の子供達へツケとして回る。地方では治安や衛生の維持管理が困難になり、住む場所は自ずと限られるし、それによって多くの娯楽や文化が失われる。今すでに若者に大きな負担をかけている社会保障だって一層その負担は重くなる。

不幸になるからと産まない選択をすることは、回りまわって自分とかかわりのない子供の不幸へと繋がる。紛れもない事実ではなかろうか。自分の子供だけでなく他の子供に対しても今の暮らしを守る責任が大人にはあり、その責任を果たす手段が子育てだと考える。


3.子育てに対してのリスクを受け入れる


身も蓋もない話だが、子供が何一つリスクにさらされない社会など古今東西どこを探してもない。むしろ現代の日本は治安や衛生、医療等の面で子供を育てる環境としては恵まれている方なのだ。

子供が不幸になることを放置してよいとは思わない。そのような事例には厳しく対処するべきだろう。しかし神経質になりすぎてしまうことにも問題であるから、ある程度は受け入れる、子育てとはそういうものだと認識する姿勢も必要だろう。

子供が育つ過程でリスクは付き物。それを可能な限り減らしつつも、完全にゼロになることはないし、そこを突き詰めようとしてもきりがない、ある程度のリスクと付き合って子育てをしていくという姿勢を持つのだ。


4.子育て支援に繋がる活動に協力する


早い話が募金や寄付をやれという話である。子育て支援に携わる団体は数多くあり、HPや寄付を募るサイト、クラウドファンディングのサイトを覗けば子供に救いの手を!と訴えるページが数多く表示される。その中で自分が寄付したいと思った団体に寄付をするだけである。

前回の記事で紹介した「子供を不幸にする親や大人へのバッシング」「子供を不幸にするかもしれない恐れから子供を持つことを諦める若者」は、その人自身がこれまで置かれてきた環境が考えの起因になっている。「自分がされてきたようなことを子供にも味会わせたくない」という気持ちだ。これを改善していくことは子育てに社会が前向きになれるかにも大きくかかわってくる。

迂闊に子供に近づくだけでも不審者として通報されるような時代では、かつてのように地域全体で子供を見守るような環境を作ることは難しいだろう。(にもかかわらず安心して子育てができないというのは間抜けにも程があると思うのだが)

だからこそ、間接的な形で支援することが最も適切な支援方法になると考えている。その代表例が寄付だ。金は誰でも送ることが出来て確実にその効果が見込めるものだ。月に1000円、いや500円であっても皆で送ればその団体にとっては貴重な活動資金となる。

子育て支援自体は出生率を上げる効果はない。だが、支援をすることで不幸な子供が減れば、自分の人生やそれを踏まえた子供を持つことへの意識がネガティブなものになることを防ぐことはできる。つまり産み控えを防止することができるのだ。

社会が高度化し「ふつう」の基準が上がったことで生きづらさは拡大しており、それは子供を持つことへの意識にも大いに影響しうるものである。そんな状況を緩和する為にも金銭という形で子供を助けていくことは十分に意味のある事だと考える。

https://www.jiji.com/jc/v4?id=202112kihusukunai-shakaibuhatu0001

寄付や社会的投資が進む社会の実現を目指すNPO法人「日本フ ァンドレイジング協会」発行の寄付白書(2017年)を参照すると、日韓英米の比較デ ータが確認できます。個人寄付の総額は、文化的に近いと思われる韓国が6736億円(名目GDP比0.50%)なのに対し、日本は7756億円(同0.12%)。アメリカ は30兆6664億円(同1.44%)、英国は1兆5035億円(同0.54%)です。一人の年間寄付平均額は日本人2万7013 円、米国人12万5664円、英国人7万4400円、韓国人9095円。白書には、上述したCAFのデータを用いた直近1カ月の寄付者率も掲載されており、日本23%、米国63%、英国69%、韓国35%とされています。欧米と比較すると、日本の個人寄付は頻度も金額も少ないという傾向が明らかです。

日本は現状、他の先進国と比べると寄付額が少ない。日夜ネットの中で社会への愚痴や憂いを掃き続けて、時間を消費していくだけなら、わずかな金額でも寄付をした方が自分にとってもより良い結果が得られるだろう。

まとめ

1.子供を産んで育てることを「偉い」と褒める

2.社会に対しての責任を自覚する

3.子育てに対してのリスクを受け入れる

4.子育て支援に繋がる活動に協力する


皆さんは「こうすればもっと良くなる」という意見はお持ちでしょうか。もしあったら是非コメント欄でお聞かせ願えればと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?