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子供を産んだら「偉い」と褒めよう

筆者がよく動画を視聴している鉄道系youtuber スーツさんのツイートから新たな知見を得ることができた。

以下は筆者のツイート

子作りだって子供の意思を反映していない、親の意思だけでやるものだから趣味に近く、鉄道撮影と同じようなものだとしたツイートだ。これらを同一視することにフォロワーからは批判の声も上がっているようだが、これは現代の子育てに対する価値観をよく反映している。

昭和の時代までは、子供を産んで育てて一人前という考えが社会の共同幻想として存在していた。それは若者への圧力となっていた一方で、子供を持つことそれ自体が意味のあるもの、という考えを形成し、高い出生率を維持することに繋がった。

だが、時代が変わり欧米由来の人権意識が高まると、子供一人ひとりの人権も飛躍的に向上し、子供が育つ環境は安全で万全でなければならないと世間の目は非常に厳しくなった。

それによって、その子供を育てる親への圧力も非常に厳しくなり、万が一にも不幸に追いやることがあれば激しいバッシングに晒されることになった。この結果として、子供を作ることは子供の意思を反映していない親のエゴである、という反出生的な考えが世間に出始めた。

意見が出るだけならまだ、一部の人の極端な思想で留まっていられたかもしれない。だが、人権思想の高まりは、結婚や子育ても強要すべきではない、それを選ばない自由も尊重すべきという機運も高めることになった。その結果、子育てはしたい人だけがすればいい、それこそスーツ氏の言うように、子育て=娯楽、趣味の考えが根付くことになり、子育ては本当に親の勝手、エゴと言われてしまうような社会が正しいものとして定着してしまったのだ。

「子作りは親がやりたいと思って、子供の意識を聞くこともなく勝手にやっていることである」

「子供が不幸な人生を歩まされるのは、そもそもは頼んでもいないのにこの世に産み落とした親のせいだ、勝手に子供を産むのはエゴ以外の何物でもなく、推奨すべきではない」

最初は虐待やネグレクトに対する批判だったのが、今では毒親、親ガチャなど、人としてひとつでも欠陥があればもう子供を産むなと言わんばりの勢いだ。「子供を守れ」と皆口をそろえて言うが、優生思想同然の事を正しいものとして主張しているのだ。


以前、別の話題で子供を持つことに消極的な人を何人か見かけたのだが、彼らは異口同音に、「自分のせいで子供が不幸になったらと考えると、とてもも子供を持つ気になれない」と語気を強くして主張していた。

私はその時、「誰かが子供産んで育てないと社会が持たないんだし、誰であっても子供を持つことを誇っていいのでは、そこまでネガティブになる必要があるのか?」と懐疑的だった。

だが、子作り=親の趣味、エゴという前提がその人たちの意識にあると考えれば、その主張も腑に落ちる。「エゴでやる以上、そのとんでもなく重い責任を果たす必要があり、自分にはその覚悟は持てない」ということだ。

自信の生い立ち、家庭環境や、ネット、メディアによる不幸な事例の拡散を見ているからこそ、一層その気持ちも強くなってしまうのだろう。

・共同幻想の大切さ


さて、ここまで考えを自分なりにまとめて、思ったことはただ一つである。

こんな考えが広まっていて少子化が解決するわけがない、子供を不幸にしたくないと言いながら、子供が安全に暮らせる社会を自ら潰してしまっている。

それだけだ。

改めて、少子化の解決に必要なのは、

「子供を作った、産んだ、それだけでも偉いし、頑張って育てようとしているのであれば人として一人前である」

という子育てに対する社会の共同幻想だ。

これは現在活発に取り組まれている、子育て支援とは全く別のものだ。子供を不幸にさせないという支援活動ではなく、子育てそのものに対する価値観の変革を促すある種の布教活動をするべきなのだ。

今の人権うごめく社会で大っぴらにこれを言えば、「差別的」であるとして袋叩きにされてしまうが、まずはこの状況を改善していくことが必要だろう。

https://welcomebabyjapan.jp/

細かく探していけば、子供を産んだことを祝い、支援しようという団体や自治体はある。上記団体はその一つであり、筆者も寄付を行っている。

ひとりひとりが「子供を産んで偉い、育ててて偉い」と言い支援をする姿勢を見せることで、やがては共同幻想の復権につながる。時間がかかるかもしれないが筆者は継続してやるつもりである。





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