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ツカモト シュンのサブカル一人語り

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ツカモト シュンが勝手気ままに一人で語るコラム、雑記。 基本一つの作品をテキストにして、サブカルチャーに関して語っていくスタイル。
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#マンガ

【漫画レビュー】追放されたチート付与魔術師は気ままなセカンドライフを謳歌する。 ~漫画好きに認められた漫画作品(コミカライズ)

以前、Twitterでとあるコミカライズ作品の画像が流れてきた。 これを見た時、なろう系追放もここまで来たかと思った。追放理由がコントのノリから始まるのだから。 馬鹿にされがちななろう系ではあるが、書いている方は必死であり、真剣である。そして、真面目な作品へとしようとしている。だが、これほど冒頭でこれほど頭が悪く、かつ、面白い流れのなろう系追放を描いた作品に、私は俄然興味が湧いてきた。 そして、この1ページだけでなく、1話を、そして、コミックを買って1巻も読んだ。 た

出版社が他のブランド力を借りる時代 ~商業版『ケモ夫人』を読んで

※この記事は最後まで無料で読めます。 ■商業版『ケモ夫人』を読んで商業出版された『ケモ夫人』を読んで、様々なことを感じてしまった。 私はTwitterでもこの作品を追っていただけに、内容のインパクトは体験済み。それでもこの本を読んで何かを感じることは、この場合は作品外のことになってしまう。それは何か? 簡単に言えば、商業出版された意味が分からないからだ。 いや、Twitterで連載されていたモノが商業出版されれば収益となる。収益性、それは明確な意味である。しかし、『ケモ

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ライトノベルとSNS格差 ~コンテンツの上位か下位か

■一個人の感想と同じ編集者のビジネスつい先日、とある個人のTweetがラノベ界隈にわりと大きな反響を与えていた。 確かにラノベを下にした言い方ではあるが、続く根拠は現状と照らし合わせれば賛成も反対も両極端に分かれる内容である。 だが、その少し前にはラノベの編集者として名が知れている人がこのような投稿をしている。 一個人が語る「ライトノベルはコミックの劣化コンテンツ」と有名編集者の語る「ラノベ(ライト文芸)作家がウェブトゥーン原作者になって確実に勝つ方法」はタイトルだけ見て

『鍋に弾丸を受けながら』を読んでいて ~勝手に脳内再生される男性ボイスとは

『鍋に弾丸を受けながら』(原作:青木潤太朗 作画:森山慎)を読んでいて、不思議と四角枠で書かれているナレーション部分が『孤独のグルメ』のゴローちゃん、こと、井之頭五郎のような感じで脳内再生されていた。 ただ、ゴローちゃんの脳内再生はドラマ版の松重豊の声ではなく、自分が漫画『孤独のグルメ』を読んでいるときに聞こえるモノである。松重豊に近いといえは近いし、遠いといえば遠い。 そもそも、ドラマ版以前から読んでいるし作品でもあるし、ドラマCD版の小山力也での印象も強い。 ともあれ

現状から見える、「収益化時代の出版戦略」とは何だろう

今、noteでの活動方針にも多少迷いもあるというか、語るべき方針に関して色々と迷っている。そんな中で自分が主に語っている、「収益化時代の作家戦略」が明確に運用された現状が更に迷わせいる。 実際、迷っているというか、ここまで情報が出てくる中で整理できてないというのが現状ではあるが。 例えば、先日開始されたWeb漫画を投稿・閲覧できるサービス「マンガノ」に置いて、様々なマネタイズ方法を利用者が選択できる。 作品を投稿するサービスにおいて、マネタイズは必須になっていくのは現状

打ち切りは誰が決めるモノ ~作者の手で継続させた作品達

つい昨日、あるライトノベル作品が打ち切られそうとのTweetに、いつもの事ながら私は反応してしまった。 過去にも反応して、口論までにはならなかったモノの多少、その作品のファンとのやり取りをした経験もあったから、自分の心の中だけで処理すれば良かったのだろうが。 しかしながら、この手の打ち切りに対して嘆願するTweetは私にとっては違和感というか、ある種、不快感を覚えていたからこそ、反射的に取り扱っていた。 ただ、その気持ちが何かとも考えることなかった。今回、その気持ちを整理し

そうか、VTuberによる漫画語りは難しいのか ~多くの実力が試される企画

以前、VTuberは漫画をメインで語る配信をしないよねと、記事にしていた。 その時は、恐らく一定のリスクもあって配信はしないモノだと思っていた。 ただ、その後に色々と漫画語りを行う配信が行われていて、この記事の補足を書かねばと思っていたが、放置してしまっていた。 今回はそれらを補足しつつも、やはり漫画語りがメインになっていない点も改めてまとめていきたいと思う。 ■漫画家も交えてのVTuber、漫画語りまず、上記の配信から語っていく。 こちらはどういう経緯で始まったか分か

角川が作った文化施設と都市計画「ところざわサクラタウン」

以前から、角川が埼玉に何か変わっている作っていると言われていた。 それが11月6日にグランドオープンでされたことで、詳細を含めた記事、写真が現地に行くことなく、ネット上でも確認出来るようになった。 「角川武蔵野ミュージアム」の方は建設当時から、マンガ・ラノベ図書館が出来ることが話題となっていた。 また建設段階でもレポート、建設現場も動画でも公開されている。 ただ、出来てもいない施設だけに事前に紹介されても中身に関してはよく分からなかった。そもそも、出来る前からそこまで興味

静かな完結を迎えた『タイムパラドクスゴーストライター』

『タイムパラドクスゴーストライター』(原作:市真ケンジ 作画:伊達垣大)がいつの間にか終わっていた。 私もその人気から途中は週刊少年ジャンプを買って連載を追ってはいたが、内容のアレさに諦めてコミックで続きを待っていた。だから、最終回を知るには人の反応から見るしかなかった。 しかし、あれほど登場時からネットを騒がせた作品なのに、最終回が話題にならないのは寂しいモノである。 連載開始時は私も色々と考察したが、この最終話、また単行本の書き下ろしを読んでも何も感じなかった。確かに

今だから読み直したい『BREAK-AGE』 ~ゲームを通しての青春と同時にゲームの在り方を説いた

■昔のゲーム漫画と近年のゲーム漫画『ゲーミングお嬢様』、『対ありでした。』などの漫画を読んでいると、自分が子供の時に読んでいたファミコン、ゲームをプレイする漫画が如何に荒唐無稽だったかと感じてしまう。いや、それはそれで面白いかったのだが。 確かに『ゲーミングお嬢様』も荒唐無稽という声もあるだろう。それは認める。 しかし、昔はそれよりもひどく、実機で再現不可能の事を堂々と語って都市伝説としたり、今の格闘ゲーム論で「死ななきゃ安い」もびっくりで無理な逆転劇も多かった。(むしろ

なろう系作品の海外タイトルとは ~「Arifureta」で定着した作品名

【カクヨムで2019年9月23日に掲載した記事をベースとしています】 『ありふれた職業で世界最強』のアニメを見ていた際、EDのスタッフロールに「海外ランセンス」という項目があって気になった。海外展開をしているのは間違いないため、そのため海外でのタイトルは何になっているかと気になった。 ただ、これは『ありふれた職業で世界最強』だけではなく、最近のアニメならスタッフロールにこういった「海外ランセンス」に近いモノが含まれている。 さて、海外タイトルの答えを出す前に『ありふれた

作家自身のマネジメントとは ~「作家2.0」に至らないの理由

先日、とあるラノベ作家が「感想がない」、「書きたくない」といって活動を休止を宣言した。この事は多少なりとも波紋を呼んだ。 ただ、これらの理由は私が思うに建前、いいわけだろう。 例えば、定食屋で「ごちそうさま」と客が言わないから店をたたむなど言った所で、何を馬鹿な話をしていると思う前に単に客が入ってないだけの話と簡単に推測できるだろう。 当然、この件に関しては真相は分からない。 だが、この程度の作家の言い分を素直に信じられるほど、現状は甘くはない。このコロナ渦の状況も相

『タイムパラドクスゴーストライター』の佐々木哲平はなぜアナログ派なのか?

今回は1巻が発売されたことで『タイムパラドクスゴーストライター』(原作:市真ケンジ 作画:伊達垣大)について、また語ってみたい。 今回は特に考察といった話ではないのだが、ネタバレではないにしろ、核心に触れるような部分になるかもしれないとだけ先に明かしておく。 で、今回語りたいのは『タイムパラドクスゴーストライター』(以下、「タイパラ」)の主人公は佐々木哲平はなぜアナログ派、紙と鉛筆とインクで漫画を描くのかである。 ■漫画家のほとんどはデジタル派の現在今の時代、プロ、アマ問

創作論の議論はなぜ正しさを振りかざすのか? デフォルメ・サンドイッチの話

先日から異世界で外国語、サンドイッチは有りかと作家達が議論していたが、今度はデフォルメ表現で絵師達が議論しているようだ。 私個人の考えではこれらはバカバカしい議論だと思っている。 それは創作とは己を突き詰めた先にこそ答えがあり、その答えはその人のみの真実であると考えているからだ。だからこそ、他者に受け入れられることも、他者が真似することのできない聖域とも思っている。 実際、ピカソの絵を見れば分かる様に、初めから奇抜な絵を書いていたわけではなく、多くの作風を経て自身の到達点