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ヒトがヒトを審査する世の中になってしまった

私の職業はレストラン。
こんな事態になってしまって、それはそれは厄介なことになった。何はともあれお酒が出せない。今になっては撤回されたものの、これも野望かとさえ考えてしまう、それは「客が飲食店のルール違反を書き込める」という事態。
一体それをしてどうなるというんだ。お酒を出すことが悪いことのようにいわれ(人を集めるということに関しては今は避けた方がいいというのは判る)それを見つけて取り締まるという人が出て来た。

SNSの悲劇。

こうやって良いこともたくさんある。人にわたしの文章を読んでもらえることや、忘備録で残してもおける。書き込みゃいい、それは自分とそれを楽しんでくれる人のために。

SNSに書き込む、ということに恐れ慄いて営業をやめた人もいる。それの方が生死に関わるかも知れないのに。本末転倒のように思える。いや、ちがうのか。こたえは見つからない。

ルール違反は決してしてはいけないことだけど、違反をする、しそうな人を見つける、そして陰口をいう、告げ口をする。それはもっといけないことに思える。
人に楽しんでもらってなんぼ!のレストランで働いていて、全てのお客さんが敵に見えてしまう。
「あの人は政府のまわしものじゃないか」
「あの領収書は国にあげられるんじゃないか」
お酒を出しているわけではないのに、それすら怖く思えてしまう。楽しくおしゃべりしたいのに。
「お酒を出したいですよねー」と安易な言葉も阻まれる。

「書き込む」という事態は撤回されたものの、飲食店は常に恐怖と隣り合わせになってしまった。
もちろん売上げを見ても一目瞭然。
感染して痛み目に遭うか、支払い出来ずに痛い目みるか。

SNSの恐怖が今日も起こった。いや、毎日起こる。
小林賢太郎さんが解任された。使命を全うしようと力を込めていたに違いない人がSNSで叩かれた。
もちろんニュースを見る限り、叩かれても仕方ない発言をしていた。わたしだってそう思う。ただ、20数年前のことを、どうして選ぶ側が最初に、選ぶまえに気付けなかったのか。

去年の今よりもっと前に延期が決まったオリンピック。
延期→施行が決まったならどうして的確な人選が出来なかったのか。他のことに忙しかったから?
選ばれてから落とされる人がどうして今になってこんなに出てくるのか。

みんな言いたい放題すぎる。

誰が代わりをやるんだよ、好き勝手いう人は決まって言うだけの人。これが起きた、さぁ叩け!あれが起きた、さぁ叩け!叩きたいだけの人。自分にはそんな順番も大役も回ってこないからね。

命かけて、家族かけて飲食店を営む人がいる。仕事に命をかけて全うしようとしている人がいる。叩くのは自由。
政治家も叩かれる、なんの尻拭いも出来ないひとたちに。

どーなっちゃったんだ、日本。人を敬う気持ちを持っているのが美しい国だったのに。私は少なくとも数カ国をまわって、日本人であってよかったと思うことが多々あった。
日本人はブランドだと思っていた。
日本人だから許されてきたこともたくさんあった。

他の国のSNS事情はよく知らないけれど、遠回しに遠慮がちに、傷付けないように、物事をはっきり言わない日本人の謙虚さが裏目に出ている気がする。SNSをもっと有効的、友好的に使ってほしいな、由緒ある日本を大切にしたいな、とおもった。
ひと昔まえみたいに、日本人に生まれてよかった。とおもいたい。

何はともあれ、始まったら、始まると決まったなら生涯このために頑張ってきた人たちを応援したいし、自国で開催されることを誇りに思いたいし臨場感を楽しみたいなー。
批判しているよりはきっと良い時間が過ごせそう。
東京オリンピックは父がとても楽しみにしていた。
入院中のベッドで招致が決まった。天国にいてどうせ行けないなら、無観客だよと教えてあげたい。
いろんな意味で無観客でよかったと思える。

数十年したら、クイズ番組に
「2021年に行われた東京オリンピックは2020東京オリンピックである、○か✖️か」みたいな問題が出そう。

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