【新連載】真夜中の森を歩く 1-3

白いカーテンから日の光が注ぎ込んでいる。部屋は人で溢れていた。年寄りや女性や子供ばかりだった。皆、フローリングの床に置かれた椅子に腰かけている。

椅子は五列あり、一列に六人が座れた。列の真ん中には人が通れる通路があり、見知らぬ子供が花輪を運んでいた。部屋の一番前には木製の教卓が置かれている。その横にシンセサイザーがあり、白い服を着た女性が座っていた。

女性は鍵盤を指でなぞっている。反対側には壁に掛けられた十字架をぼんやり眺めている男性がいる。男性はひどく年をとっているように見えた。ぶつぶつなにか呟いている。

ミツロウはその光景を見るともなく眺めていた。部屋は心地よい喧噪に包まれていた。皆、穏やかな話し声だった。ミツロウは隣に座る母を見上げた。母は黙ったまま真っ直ぐに前を向いていた。それに倣いミツロウも前を見た。

一つ前の席にミツロウと同じ年くらいの女の子が座っていた。手に持ったビスケットをしきりに口へ運んでいる。ビスケットの滓が床にポロポロと落ちていた。隣に座っている老婆がティッシュを出して女の子の膝に乗せた。滓はティッシュの上に溜まっていった。女の子はなにも気にしていない様子だった。

シンセサイザーの音が部屋に響いた。皆、押し黙り奏でられる音楽を静かに聞いていた。女性が一人、前へと歩み出る。教卓の前に立ち、持っていた紙を広げる。

「みなさん、ご一緒にお歌いください。わからなくても結構です。歌詞を目で追い、わかるところだけ声に出して歌ってください」

皆が立ち上がる。シンセサイザーがまたはじめの音を奏でる

 いつくしみ深き 友なるイエスは
 罪科憂いを 取り去り給う
 心の嘆きを 包まず述べて
 などかは下ろさぬ 負える重荷を

 いつくしみ深き 友なるイエスは
 我らの弱きを 知りて憐れむ
 悩み悲しみに 沈めるときも
 祈りに応えて 慰め給わん

 いつくしみ深き 友なるイエスは
 変わらぬ愛もて 導き給う
 世の友我らを 捨て去るときも
 祈りに応えて 労り給わん

様々な声が交じり合っていた。子供、老人、男性、女性。声は溶け合い、空間に広がっていった。そして一つに重なり、ゆっくりと消えていった。

シンセサイザーが最後の音を終えると皆は席に着いた。ミツロウは心がざわつくのを抑えるため母の手をとった。母は優しく握りかえしてくれた。

「それでは皆さん、父なる主に祈りを捧げましょう」

教卓の前にいる女性は手を組み、静かに口を開いた。

「天にまします我らの父よ、願わくはみ名をあがめさせたまえ、み国を来たらせたまえ、み心の天に成る如く地にもなさせたまえ、我らの日用の糧を今日も与えたまえ、我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ、我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ、国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり、アーメン」

「アーメン」

ミツロウは父の顔を思い浮かべた。「お父さん、かわいそうでしょ」母の声が脳裏に響く。ミツロウは周りを見渡した。皆、手を組み熱心に祈りを捧げている。

この人たちはみんな「罪」を持っているのだ。そして自分も「罪」を共有する仲間のだと感じた。我らの罪を赦したまえ、ミツロウは心の中で呟いた。そこには得も言われぬ快感があった。

辺りが静かになる。教卓の前の女性は書籍を持ち、ページを開く。席に座っている皆も配られた冊子のページをめくる。カサカサと紙の擦れる音が響く。教卓の前の女性はゆっくりと詩を読み上げる。一つくぎりができると「はい」と聴衆に呼びかける。聴衆は冊子に書かれてる詩をぼそぼそと口に出す。声はまとまらずバラバラに響いていた。聴衆が読み終えると教卓の前の女性が続ける。よく響く声だった。

ミツロウはそれをただぼんやりと聞いていた。言葉の意味はわからず響きだけが頭に染み込んでいった。

「はい」

教卓の女性はまた聴衆を促す。聴衆はさきほどよりも大きな声でそれに応える。声がまとまりはじめる。教卓の女性の声がそれに重なる。その声は聴衆の声を導くように朗々とこだまする。

「・・・、道を正す人にわたしは神の救いを示そう」

シンセサイザーが音を奏でる。皆が歌う。柔らかい空気が部屋を包む。カーテン越しに差し込む光にミツロウは目を細めた。音と光。あくびがでた。母の歌う声がする。ああ、いつかもこんなことがあったな。なつかしい感覚が蘇る。あれはいつだったかな。記憶は定かではなく、感覚だけが思い出される。ただ心地よく、ひたすらに眠い。意識が次第に夢へと接続していく。ミツロウはまどろみの中で母の体温を感じた。

「それでは本日の聖書通読です。本日は新約聖書のマタイによる福音書26章57―68を読んでいきましょう。

人々はイエスを捕らえると、大司祭カイアファのところへ連れて行った。そこには、律法学者たちや長老たちが集まっていた。ペドロは遠く離れてイエスに従い、大司祭の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた。

さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった。最後に二人の者が来て、「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と告げた。

そこで、大司祭は立ち上がり、イエスに言った。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」イエスは黙り続けておられた。

大司祭は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」

イエスは言われた。「それはあなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。」

そこで、大司祭は服を引き裂きながら言った。「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。どう思うか。」

人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。そして、イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら、「メシア、お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言った」

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