【長編小説】父を燃やす 6-2

仕事を退職した真治は島本由香里と一緒に住みはじめた。島本由香里は今まで通りに貿易事務の仕事をこなし、真治は家事など家のことをしながら起業に向けて動き出した。

真治がまず手を付けたのは凍っていた人脈を解凍することだった。リテール営業時代に築いた人間関係を再び温めるべく、真治は名前と電話番号だけが書かれた名刺を持って昔の顧客に会いに出かけた。

また、新たな人脈を作るべく起業家が集まるセミナーなどに出かけ自分の名前を売っていった。

真治はそこで起業家を志す人間というものがどんな考えを持っているのか少しずつ理解していった。彼らは出会う人間すべてに丁寧に接した。しかしその態度の裏には目の前の人間が自分にとってどう役に立たつかという打算が隠れていた。

彼らは相手の会社の規模、役職、能力を抜け目なく観察する。果たしてこの人間は自分の顧客になるだろうか、自分の成長に利用できるだろうか、そういった利己的な考えを愛想笑いで隠し、探偵のように相手を探り、品定めする。その場で必要とされるのは社会的な地位であり、それを最も表しているのが名刺だった。

真治の名前と電話番号だけが記された名刺には価値がなかった。そこにはどんな効果もなかった。必要とされるのは流通した社名と肩書なのだと真治は痛感した。自分が今までどれほど会社の名前に助けられて仕事をしてきたのかを今さらながら実感した。真治はまず自分の所属する箱を作るべきだと判断した。そしてその箱を収めるものとしての肩書を自分に付与する必要を感じた。

真治は自らが治める箱に「株式会社GOLD INVOCATION」という名前を付けた。

その名前は家で島本由香里のための夕食を作っているときにふいに頭に浮かんだ。それが脳裏に映し出されたとき、真治の心に小さな疼きが生まれた。

「INVOCATION」

その言葉に含まれるなにかが真治の胸の奥にあるなにかを刺激した。真治はその疼きを深くは考察しなかった。ただ直感的にその言葉が自分に関わりのあるなにかだと理解した。そしてその啓示的な直感をすぐに自分の箱にする決断をした。

真治は弁護士をしている大学時代の友人に相談し、「株式会社GOLD INVOCATION」の登記をした。そして「代表取締役」の肩書を名刺に記した。

箱と肩書を持った真治は今まで以上に積極的に外部へと出ていった。起業家セミナーや懇親会に足しげく通い、そこで名刺を配り歩いた。

名前の知られていない「株式会社GOLD INVOCATION」は怪訝な目で見られたが、まずは社の名前を売ることだと心に決めた真治は丁寧に自らの学歴、職歴を語り、自分が相手にとってどれだけ役に立つ存在なのかを売り込んだ。

名刺を配り歩き、自分を売り込む毎日を過ごしているうちに真治は実績というものの壁にぶつかった。代表取締役がどれだけの学歴、職歴を持っていようと「株式会社GOLD INVOCATION」の実績が皆無であれば相手の信用をえることができなかった。まずは実績をつくること、はじめの一歩を踏み出すことが必要だった。

はじめの一歩。それは「株式会社GOLD INVOCATION」がこれから成長していくために最も大事なことだった。そこで大きなインパクトを業界に与えることができれば必然的にその名前は浸透していく。当たり障りのない仕事ではだめだった。人の目を引くような仕事を成功させる必要があった。

真治は今まで作り上げてきた人脈と証券会社での経験を一つずつ丁寧に吟味し、自分がするべき行動を考えていった。

まずはこれから伸びていく分野を見つけ、それに投資すること。

証券会社での経験から真治は資本の流れというものについてある見方をもっていた。

資本は旧から新に流れる。旧いものはやがて廃れ、新しいものが生まれ栄えていく。その絶え間のない万物の流動のなかに資本の流れも含まれている。

真治は新しいものに資本を移転させることを自らの使命と課した。そしてそのような目で交流する起業家たちを眺めていった。

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