【新連載】真夜中の森を歩く 7-1

高橋の恋人アリサの母親が経営するスナック「エイミ」にミツロウは足繁く通った。最初こそ高橋がいなければ店の中に入れなかったが、徐々にママやアリサとも打ちとけ、高橋がいなくともカウンターで一人ビールを飲みながら談笑できるようになった。

目的はユキに会うことだった。ユキは店にいることもあればいないこともあった。特に決まって何曜日に出勤するというシフトはない様子だった。ユキがいるときにはソファー席で彼女の話を聞き、いなければママからユキの人となりを話してもらった。

ママにはミツロウがユキに恋をしていることが手に取るようにわかり、そのことを利用して金を巻き上げることもできそうだと考えることもあった。しかし自分の分身のような一人娘の恋人の友人を無下にもできないと店の経営とは切り離して考えるよう自分を戒めた。

それにお世辞にも綺麗とは言えない四十間近の中年女に恋をする十九歳の男にも興味があった。たしかにユキはそれなりに苦労もし、様々な経験を積んだ成熟した女性ではある。口もうまいし、頭も回る。場の空気を読むのがうまく、相手を煽てて喜ばせ、自分を貶めて笑いをとることもできる。思春期の男には魅力的に映るのかもしれない、ただミツロウのユキを見つめる眼差しにママはなにか重い過去を感じとった。それは長年、水商売している中で自然と身についていったある種の不幸を嗅ぎわける嗅覚だった。ミツロウの奥には鬱屈した思いがあり、それは一般的な思春期の男子が抱くものよりも濃く重いものである、嗅覚はそう訴えていた。

ママはそれとなくユキにそのことを話した。あまり深く付き合うんじゃないよ、ママのその忠告にユキは笑うばかりでまるでとりあわなかった。「まさか私があんな子供相手に」彼女の笑いはそう意味していた。

ミツロウのユキへの思いはアリサの口から高橋へと伝わった。高橋にはそれはミツロウをからかう良いネタだった。

仕事が終わってすぐに現場を去ろうとするミツロウに高橋は「ユキはそろそろ股開くか?」と下品な笑い声をかけた。ミツロウがむっとした表情で高橋を睨むと「おお、怖い怖い」と言って体を震わせる真似をした。

高橋は中年女に興味はなかったし、人の色恋にも関心がなかった。ただ仕事も嫌韓も真面目すぎるほどの態度で臨むミツロウが女のことでからかわれるとどんな反応をするのか興味があった。殴りかかってくれでもしたらそれこそおもしろい、本心ではそう思いながらもただ睨むばかりのミツロウに高橋は「まっ、がんばれよ」とエールを送った。

ユキはなんでも開けっぴろげに話す女だった。「あんたの年くらいの頃には女優になりたかったわ」彼女はミツロウに語った。

高校を卒業すると女優になるため上京した。演技などしたこともなく、ただキラキラした世界になんとなく憧れをもっていた程度だった。綺麗な服を着て、人から羨ましがれ、顔のいい男と付き合い、シャンパンを飲む、そんなことがしたかった。

コネなどなく、芸能事務所のオーディションにいくつも応募したが全て書類審査ではねられた。生活費を稼ぐため水商売をはじめた。そこでは綺麗なドレスも着れるし、シャンパンを飲むこともできた。たまにホストの客がくるし、言い寄ってくる男もいた。

次第に芸能界への興味が薄れていった。ここでもいいか、そう思えた。オーディションへの応募はそこですっかりやめ、夜の店で休みなく務めた。

ナンバー1になることはなかったが、それでも自分を気に入ってくれる客も中にはいて、指名や同伴の数もそれなりにあった。

その客の中の一人と付き合い、一緒に住むようになった。同じ水商売の男だった。それなりの顔で、それなりに金を持っていた。身長がやけに高く、その割に体重が少なかった。優しかったし、頼もしいところもあった。

2年一緒に住んでから結婚した。店はそれと同時に辞めた。家で家事をする毎日だった。家庭生活は概ね順調で、とくに不満もなかった。これから子供を作って、子育てに追われる毎日になるのだろうとぼんやり想像した。それも悪くないと思った。芸能界には入れなかったがそれなりに煌びやかな生活はしたし、満足もした。そろそろ落ち着いてもいい頃だと思った。髪を黒くし、ヒールの高い靴を捨てた。結婚生活は5年を過ぎていた。

あるとき男がいなくなった。居場所もわからず、連絡もとれなかった。男の知り合いに聞いても皆わからないと言った。そのうち帰ってくるだろうと半年待ってみた。男は姿を消したままだった。徐々に生活費がなくなっていった。

もう男は戻ってこないだろう、ふとそう思った。そしてそれをきっかけに地元に戻ることにした。一年間は実家でだらだらし、退屈になったのでまた水商売をはじめた。

何軒かの店を回り、今の店に落ち着いた。今はそれなりに楽しく暮らしている。ときどき寂しくなるが、まあまあ悪くない生活だ。

ユキはそのような趣旨の話を数回に分けてミツロウに語った。「まあ、どこにでもある話よ」ユキは真剣なまなざしで彼女の話を聞くミツロウに笑いかけた。

自分でも本当に平凡な人生だと思った。水商売仲間の中にはもっとひどい生き方をしている人間もいたし、ユキには手の届かないような生活を手に入れた人間もいる。自分のような人生などどこにでもコロコロ転がっているし、たいして面白くもない。そんな自分の退屈な人生をこうも真剣に聞いてくれる人間がいる、ユキはミツロウを愛おしく感じた。

ミツロウはユキの半生を自分なりに理解しようと努めた。自分の経験と想像力を駆使して彼女の四十年近い歩みになんとか近づこうと思った。

彼女は自分の人生を平凡と語った。その平凡な人生でもミツロウにはわからないことばかりだった。夜の街での男と女の駆け引き、結婚生活、それらはミツロウの今までの経験では推し量れないものだった。

ただ彼女の夫がいなくなったこと、その喪失感は自分にも理解することができると思った。

ミツロウは、少しずつだが、ユキに自分の今まで歩んできた道について話すようになった。父から母へ向けられる暴力、母の死、好きだった女性のこと。

ユキはそれを優しい微笑みをもって受け入れてくれた。最初は漠然とした感情をたどたどしく語っていたが、徐々に頭の中が整理されていき、どの出来事によって自分がどのように傷ついたか、どう自分が感じたかを明瞭に語ることができるようになった。

自分について語ることは気持ちが良かった。そしてそれに対してなにも言わず、ただ受け入れてくれるだけのユキが心強かった。なにか大きなものに包まれているような安心感を抱かせてくれた。

ミツロウとユキは急速に距離を縮めていった。ママの忠告を笑えなくなったユキはママに一言「ごめん」と言った。ママは「まあ、あんたの人生だから」とそれ以上、なにも言わなかった。

全てはなりゆきにまかせようとのんびり構えていたユキにミツロウは正式な交際を申しでた。そして一緒に暮らすことを提案した。ミツロウをいないものとしている父と暮らすことにうんざりしていたミツロウは常々早く外にでたいと思っていた。全く心の通わない父の新しい女とその子供の顔も見たくなかった。家を出て自分の生活を打ち立てたかった。そしてそこにユキさえいてくれれば怖いものはないと思えた。

唐突なその申し出にはじめは難色を示したユキだったが、ミツロウの若さに任せた熱心な求愛にほだされ、彼と生活を共にすることを許した。休日に二人はママから紹介された不動産屋に行き、そこで見つけた1DKのアパートを借りた。名義はユキの名前で、家賃は二人で折半と決めた。

住む家が決まると、ミツロウは父に何も言わず、自分の荷物をまとめてすぐに新居へと引っ越した。ユキは実家の両親になにか言われたようだったが、それでもミツロウが越した一週間後には荷物を持って新居に現れた。

新しい生活にミツロウはなかなか慣れなかった。清潔な部屋、温かい食事、そしてセックス。はじめはユキに触れることさえ怯え、裸になることに抵抗したミツロウだったが、ユキの肉付きのよい柔らかい肌に触れ、優しい言葉にあやされると、自然とユキの身体を求めるようになった。

ぎこちない動きに対してもユキは「そう、上手ね」と決して否定をすることはなかった。射精の際に感じる背徳の意識も次第に薄れていき、ミツロウはゆっくりと肉の欲望に癒されていった。

心地よい安心感と気怠い快楽、新しい家はミツロウから罪の意識を少しずつ洗い落としていった。

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