【新連載】真夜中の森を歩く 6-1

日々は遅滞なく進んだ。ミツロウはそれが不思議なことのように思えた。深夜の教会での出来事以来なにもやる気が起きず、倦怠感が身体を支配していた。前田さんもナナちゃんもその顔を見たくなく、携帯電話が揺れるたびにそれを見えないところに隠した。

仕事に対しても以前のような情熱を持つことはできずただ毎日をなんとなくやり過ごしていた。

朝目覚めるのがつらく、日中も眠気と憂鬱な気持ちに悩まされた。ときおり吐き気が込み上げてくることもあり、それは決まって夕方だった。頭は空虚さで満たされ、身体は石のように重く不自由だった。

それでも止まることなく続いていく時間にミツロウは苛立ちを覚えた。世界は自分の気分や体調と関係なく、むしろ自分を無視するかのようにいつも通りの日常を映しだしていた。そうやって目の前に映る他の人々の生活をミツロウは理不尽だと思った。自分だけが苦しんでいる、そういった錯覚に陥るようになり、その苦しみに「なぜ」という言葉を常に投げかけるようになった。

「なぜ」はミツロウの人生のあらゆる場所に現れては彼を悩ませた。「なぜ」父は母に暴力をふるったのか。「なぜ」母は死んだのか。「なぜ」ナナちゃんは前田さんにあんなことをしたのか。「なぜ」自分だけがこんな目にあわなければいけないのか。

「なぜ」の引力はミツロウが見、聞き、感じたこと全てを引き寄せその仕組みの中に投げ込んでいった。その先にはなにか得体のしれない大きな影のようなものがいて、それがミツロウの人生を操っているように思えた。それが前田さんの言う神であるなら、神はなんて残酷で意地悪なのだ、ミツロウはときおり天を見上げては神に対する不満を呟いた。そのミツロウの言葉に対して天は沈黙で答えた。

ミツロウの発する「なぜ」は答えを与えられぬまま、神という沈黙の中に飲み込まれ、宙吊りとなっていつまでも淀んでいた。

そんな居心地の悪い生活を続けていたミツロウだったが、仕事を休むことはなかった。どんなに気分が悪くとも、どんなに体調が悪くとも、仕事だけは必ずやり通した。

柴田夫婦はそんなミツロウを信頼し、現場も一人で任せるようになった。会社の景気は上向きで、仕事も増えていった。人員と現場の数の関係でミツロウはあちこちの現場を一人でこなした。一人で仕事をするのは楽だったが、全ての責任を自分で取らなければいけないというプレッシャーで手を抜くことはできず、今まで以上に疲れた。

ミツロウが独り立ちしても柴田電気に入ってくる仕事の全てを受注することはできなかった。柴田夫婦は依頼される仕事を受けるため電気工を募集した。そして27歳の電気工一人と19歳の見習い一人の計二人を新たに採用した。

27歳の電気工はすでに他の電気会社での経験があり、その技術はすでに熟練されていた。第一種電気工事士の免許を持ち、現場ではミツロウなど古参の社員に指示をだすこともあり、難しい現場を任されそれを上手く捌いていた。

19歳の見習いは電気工事の経験はなく、以前はコンビニの配送センターで商品の仕分け作業を行っていたとのことだった。体力には自信があるようでミツロウが苦労したケーブル運びも難なくやってのけた。電気工事に関する技術が未熟なため一人で現場に行かせることはできず、技術を習得するまでは他の電気工が行く現場に同行することになった。

歳が一番近いということもあり、その見習いはミツロウと一緒に仕事をすることが多かった。高橋というその見習いは威圧的な風貌でどこか世慣れているようにミツロウには見えた。短く刈った頭を茶色に染め、耳には大ぶりなピアスをいつもぶら下げていた。柴田夫婦に言われ、仕事中はピアスを外したが、耳に大きく開いた穴は遠目からもそれとわかるものだった。

仕事の先輩ではあるが年下のミツロウに高橋は横柄な態度をとり、ミツロウはときおりその態度に苛立ちを覚えた。しかし高橋の世慣れたような立ち振る舞いや自信に満ちた言葉にミツロウは少しずつ惹かれていき、彼がただ自分を大きく見せたいと思って発する誇大妄想的な武勇伝を嬉々として聞いた。

前田さんとナナちゃんに距離を置いたミツロウにとって自信に満ち溢れた、それがなんの根拠もない空虚な自信であったとしても、その態度は自分の虚ろさを補ってくれるように思えた。ミツロウはただ強い言葉がほしかった。「なぜ」の引力から離れ、なんでもいいから強い言葉によって自分を補強したかった。それが例え張りぼてで嘘にまみれた言葉でも神の沈黙よりはましだった。高橋はそんなミツロウの心を見透かしたように世の中を断定調で語り、自分の強さを誇った。そこには罪の意識などどこにもなかった。

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