【長編小説】父の手紙と夏休み 5

大学を辞めてからふらふらしている僕もそれなりに恋をした。僕の恋愛体験はあまり恵まれたものとはいえないもので、だいたいが悲劇的に終わった。そしてその度に傷つき、深く落ち込んだ。

僕は自分の恋愛がうまくいかないと彼女に電話をし、話を聞いてもらった。僕の恵まれない恋愛体験を彼女が聞くという間柄が僕と彼女の関係だった。

そのときの僕も自分のふがいなさを持て余して彼女に電話をした。彼女はひとしきり僕の話を聞くとふとなにかを呟いた。それはあまりにも自然に彼女の口からでた。その自然な口調とは裏腹にそこで発せられた言葉は僕の現実からかけ離れたものだった。

僕は彼女が冗談を言っているのだと思った。でも彼女がそんな冗談を言う必要はなかったし、冗談にしては悪趣味すぎた。僕はそのことを彼女に確認した。そしてそれが彼女に本当に起ったことだと認識した。

彼女はその体験を詳細に僕に話した。彼女はまるで他人の話をするようにいたって平静に言葉を連ねた。僕は僕の周りを取り囲んでいる世界が少しずつ捻じれていくのを感じた。そして心の奥からふつふつと怒りが沸いてくるのを感じ取った。

「無事でよかった」

僕が彼女に言えたのはその一言だった。彼女は「ほんとうに」と言って小さく息を吐いた。僅かな沈黙が僕たちを支配した。そして僕は電話をきった。

電話をきったあとも彼女の声が頭から離れなかった。怒りは悲しみに変わり、その悲しみは僕の胸を激しく締めつけた。なぜ彼女がそんな目にあわなければならないのだ。

僕は出口のない疑問をぐるぐると考えた。彼女に非はなにもなかった。普通に日常を生き、自分なりの人生を生きていただけだった。それは彼女のそんな日常に暴力的に介入した。現実の裂け目から現れたそれは彼女の意思などに構うことなく彼女の尊厳を貶め、生命に危機を与えた。

「無事でよかった」

僕はもう一度そう言った。その言葉の残酷さがじわりじわりと僕の認識を侵していった。僕が彼女にできることはないだろうか、そう考えたけれどなにも頭に浮かんでこなかった。それはすでに起ってしまったことなのだ。そしてその『すでに起ってしまったこと』に対して僕は無力だった。僕にできたことはそのことに対して「なぜ」という問いを発しつづけることだけだった。

僕はそれから彼女に頻繁に電話をかけた。彼女はいつもいたって普通だった。僕の他愛のない失恋話を聞き、ときには励ましてくれた。

そのときの彼女の心を僕はうまく理解できないでいた。起きたことは起きたこととしてすべてを過去の出来事と割り切っているようにも思えた。

でもそれは彼女の強い意志があの出来事を心の奥に押さえつけた結果だった。抑圧されたそれは心の奥で消えることなく常に彼女を脅かしていた。そして僕も同様にそれに脅かされていた。

彼女の心の痛みを僕がどこまで共有できていたかはわからないけれど、痛みが確かに存在していることは感じ取った。その痛みは不意に心に沸きあがり、どうしようもない無力感を僕に、そして彼女に与えた。

彼女はときおり起き上がれないほどの頭痛を起こした。頭痛だけではなかった。身体から力が抜け、全てのやる気が失われた。そんなときは彼女は一切の連絡を絶ち切った。僕がいくら電話をし、メールをしてもなんの返答もなかった。

僕はそのことでとても不安になったし、身が切られるような思いをした。そして彼女からの連絡があると安心感に包まれた。

彼女は身体の不調を抱えながらも日常の生活から脱落しなかった。仕事をし、友達と遊び、ときおり僕と電話をした。そんな彼女を僕はまた好きになっていった。彼女の傷を癒せるのは自分しかいないと根拠のない自信が沸いた。

それはただ自分を慰めたいという僕の弱さだった。僕は彼女よりもずっと弱かった。弱くて愚かだった。そしてそのことになんとなく気づきながらも僕は彼女を守るという仮面をかぶり彼女に接した。

僕は何度となく彼女に好意を伝えた。僕と付き合って僕のそばにいてくれと。その度に彼女からたしなめられた。僕と彼女はそういう間柄じゃないのだと。

そのことを僕は納得できなかった。お互い屈託なくなんでも話せる関係なのだから、つきあってもいいじゃないか。僕はいつもそう言った。彼女はそういう問題じゃないと言った。

今思えば彼女が正しかった。そういう問題じゃないのだ。

その時の僕は余りにも幼稚で自己陶酔的だった。彼女はきっとそのことに気が付いていた。でも僕にそのことは告げず、幾度も繰り返される同じ話に付き合ってくれた。彼女は僕よりずっと大人だった。

僕の頭は「なぜ」という言葉で支配された。「なぜ」彼女はこんな風になってしまったのか、「なぜ」彼女は僕と付き合ってくれないのか。それは答えのない問いだった。僕はその問いに答えをみつけるべくまた文学に没頭した。

小説は以前よりも理解できるようになり、それとともに文学のおもしろさがわかるようになった。小説に書かれている人物はみんななにかしら悩んでおり、そして自己陶酔的だった。

僕はそんな彼らに共感した。共感し、その生き方を模倣した。ときには無頼派をきどり、ときにはあてもない思索をした。文学は僕の頭を支配している「なぜ」という問いに答えを見つけてくれるような気がした。

夜、眠れずに鈍い痛みを感じるときには小説を書いた。痛みの原因を掘り下げていくうちに僕は自分の内面の奥へと沈み込んでいった。そこは暗く陰鬱な場所だった。自分の影が横ぎり、彼女の傷が浮かんでいた。僕はそこから一つずつ言葉を探し出し、文章にしていった。そして一人の人物を描きだした。その人物は僕の影であり、彼女を傷つけた者たちだった。

書き終えたとき、僕は深い悲しみと小さな達成感を得た。それははじめて僕が書いた僕の物語だった。

その小説はある文芸誌の新人賞で一次選考を突破した。それははじめて目に見える形での結果を僕にもたらした。少なくとも僕の小説が誰かの目に触れ、そしてその人間の心を動かしたのだ。そのことは僕に自信を与えた。この調子で書いていけばいずれは小説家になれるだろう、僕の人生は少しずつだけど良い方向に向かっている、そう思えた。

でも、それ以降、僕の人生はどこへも行かなかった。書く小説は全て一次選考も通ることなく消えていき、彼女との関係も相変わらず堂々巡りだった。僕は全く行き詰っていた。どこから入ってきたかもわからず、どこから出て行けばいいかもわからなかった。そして僕は二十六歳になっていた。

どこへも行くことのない僕の人生は少しずつ歪みはじめていった。それはある予感からはじまった。僕は常に誰かに視られていると思った。その感覚は僕の神経をすり減らしていった。

夜、眠れなくなり、頭だけが答えのない疑問を延々と繰り返していた。予感はしだいに現実の中に侵入し、僕はそれを恐れた。

一体なにが起ったのだ、僕は冷静になってその世界を見ようとした。でもそこは全てが不確定で曖昧だった。曖昧でありながらも示唆的だった。予感によって染められた現実は否応なしに僕を飲み込んでいき、僕は死に向かって進んでいった。そして死に直面した僕は自分の弱さと傲慢さを発見した。僕を死から救ったのはその弱さと傲慢さだった。

僕は両親に心療内科へと連れて行かれ、そこで何度か診察を受けた。もらった薬を飲み、実家で静養した。そうしているうちに少しずつ落ち着きを取り戻していった。現実から予感は取り除かれ、確定した意味を持つ時間が過ぎていった。僕は自分が体験したことの意味をよく理解できないまま全てを成り行きに任せた。そして伯父の会社に入社することになった。

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