【新連載】真夜中の森を歩く 2-1

小学校はミツロウにとって楽しいところではなかった。給食の前に祈りを捧げるミツロウを皆はバカにしたし、ミツロウも大声をあげて走り回る周囲を嫌悪した。周りはあまりにも粗野だった。ミツロウはなるべく目立たないようにと席に座り、静かに過ごした。そして周囲をよく観察した。

男子はまるで猿のようだと思った。ところ構わず走り回り、奇声を発する。群れになってお互いをこずきあい、笑いだす。休み時間になると一斉に校庭へと走っていき、ボールを追回したり、遊具で遊んだりする。

女子はだれかの机に集まり、ぺちゃくちゃとおしゃべりをして過ごしている。キラキラした消しゴムやシールを皆で並べて笑い合っていた。

誰もかれもが人に話しかけていた。ミツロウはそれを恐ろしいと思うとともに憧れもした。自分もだれかに話しかけてみたいという衝動にかられることもあったが、自分の行動が人に笑われるのではないか、自分は人と違うのではないかという思いが人と関わることを躊躇させた。そしてそれはミツロウに寂しさと優越感を与えた。その二つの感情は交互にミツロウの心を占め、深く沈んでいった。

ミツロウを受け持つ教師はミツロウになんとか皆と打ち解けるよう心を砕いた。ミツロウが何に興味を持っているのか、一体何を考えているのか、注意深く見守った。クラスの何人かにミツロウに話しかけるよう促した。そうやって話しかけてきたクラスメイトにもミツロウは多くを話さなかった。話しかけてきてくれたこと自体は嬉しかったが、何を自分は話していいのかわからなかった。

ミツロウはまだ演技をするすべをしらなかった。相手の発する言葉、表情、しぐさから相手の意図を汲取り、それに合わせて自分も言葉を発するということが上手くできなかった。敏感に感じ取れるのは相手の怒気や失望だった。それはミツロウを恐れさせると同時に安心感も与えた。皆が自分に失望してくれるのが心地よかった。失望されることでミツロウは自己を形成していった。

授業は嫌いではなかった。いつも走り回ったりおしゃべりをしているクラスメイトも授業中はおとなしくしていた。先生の声だけを聞いていればよかった。それはとても楽なことだった。覚えろと言うものは覚えたし、漢字も九九も割とすぐに覚えられた。それがなんの役に立つのかまでは考えなかったが、することがあるというのは嬉しいことだった。

休み時間の間もミツロウは漢字を書き、九九を暗唱した。周りはミツロウをガリ勉と呼ぶようになった。ときおり漢字を書いているミツロウの周りに男子が集まり「ガリ勉」と囃し立てた。男子はミツロウからノートを取り上げそこらに放り投げた。ミツロウはノートを拾い、取り囲んでいる男子のうちの一人を殴った。殴られた男子は泣き出した。

「先生に言っちゃおー」

他の男子は騒ぎ立てる。女子が仲裁に入る。ミツロウは黙って机に向かい漢字を書く。早く静かになってくれることを祈りながら。

先生がやってくる。皆が席に着く。男子がミツロウが友達を殴ったことを先生に告げる。先生はミツロウを呼び、なぜ殴ったのかと聞いた。ミツロウは黙っていた。

「あなたは真面目な子だと思っていたのに」

先生が呟く。失望。ミツロウは小さく笑った。女子の一人が「男子がミツロウ君をガリ勉って言っていじめたんです」と言った。男子は黙っている。ミツロウは席に戻され、先生は長い話をはじめた。ミツロウはその女子を見つめた。

その女子は大西友里恵という名前だった。彼女は活発で誰とでも話すことができた。彼女の周りにはいつも人が集まっていた。女子たちは彼女と友達であることに誇りを感じ、男子はどうにか話ができないものかと辺りをウロウロしていた。先生さえも彼女に信頼を寄せているようだった。

彼女はクラスの中心だった。ミツロウはそんな彼女をずっと眺めていた。休み時間に勉強をすることもやめてしまった。ただ彼女の姿、動きを目で追って頭に焼き付けていた。

ミツロウが眺めていると彼女の周りにいる女子たちがヒソヒソと彼女になにかを囁く。彼女はそれを聞くとミツロウの方を向く。ミツロウはさっと視線を逸らす。しばらくしてからまた彼女を見る。彼女は友達と楽しそうにおしゃべりをしている。

ああ、僕も彼女と話ができたら、ミツロウはそんなことを漠然と考えた。どうしたら彼女が話しかけてくれるだろうか、ミツロウはそう考えてから彼女の真似をするようになった。彼女の体の動かし方、口調、笑い方、全てをよく観察し模倣した。

人とも少しずつ話をするようになった。それは主に女子だったが、女子はミツロウの動きや話し方に対して特になにも言わなかった。男子はそれを見てミツロウをオカマと言ってからかった。

「オカマ、オカマ、女のしゃべりかたー」

その度に女子が庇ってくれた。女子たちは男子に容赦がなかった。鋭い早口で男子の急所をつき彼らを尻ごませた。男子が暴力に訴えようとすると素早く先生を呼んだ。彼らはすぐに全面降伏をし、女子とミツロウに謝った。

まるで魔法のようだとミツロウは思った。女子たちの結束力と行動力に憧れた。そして自分もその仲間であることに自信を持った。ミツロウは大きな声で話し、笑うようになった。女子たちと他愛のないおしゃべりやキラキラしたカードを交換するのは楽しかった。動きや口調はいよいよ大西友里恵に似ていった。それはミツロウがはじめて覚えた演技だった。

大西友里恵のクローンとなったミツロウを男子たちは憎らしく思った。学年が上がるにつれ男子と女子の溝は益々深くなっていった。男子は女子の前でミツロウをからかうことはなくなったが、陰でミツロウに暴力を振るうようになった。

頭をはたかれ、尻を蹴られ、上履きに水をかけられた。男子たちはさも遊んでやってるんだとばかりにミツロウに笑顔を強制した。ミツロウは常に笑っていた。びしょびしょの上履きを女子に不審がられてもミツロウはただ黙って笑っていた。

女子はそんなミツロウをおいて急速に大人になっていくようだった。キラキラしたカードの交換は終わり、興味は化粧や洋服に移っていった。雑誌のモデルを模倣し、大人びた口調でお互いのファッションを批評しあっていた。

大西友里恵も例外ではなかった。彼女はフリルのついたスカートに白いモコモコとしたカーディガンがお気に入りだった。髪型は毎日のように変えていた。言動もまるで成人した女性のようだった。

女子たちは競って彼女を模倣しようとした。男子はそんな女子たちをただ遠くから眺めていた。そこには好意も憧れもなかった。むしろ怯えがあった。女子たちの成熟に向けて駆け上がろうとする意志に全くついていけなかった。そして無視をした。女子などこのクラスには存在していないかのようにふるまった。校庭を駆け回り、漫画を読み、ゲームに熱中した。

女子たちはそんな男子を見下した。彼女たちは見世物としての女性を模倣することで自分が見られる主体であることに気が付いた。彼女たちが意識する視線はクラスの男子のものではなく、テレビに映るタレントや雑誌のモデルに向けられる不特定多数の視線だった。彼女たちはいつもそれを意識しながら行動し、容姿を磨くことに熱中した。そして大西友里恵を中心とした一つのグループへと統合していった。

ミツロウはそこから弾きだされた。今までキラキラしたカードを交換してはしゃいでいた女子はどこかへ消えてしまい、目の前にいるのはミツロウのまるで知らない人たちのように思えた。

彼女たちが熱中するファッションにミツロウは全く興味が持てなかった。自然と会話が成り立たなくなっていった。邪険にされるようなことはなかったが、ミツロウは自ら距離をとるようになった。そしていつの間にかまた自分の席が定位置となった。

ミツロウは自分の席で大西友里恵を再び眺めはじめた。しかし大西友里恵も周りの女子もミツロウの視線には全く気が付かなかった。彼女たちの意識する視線はミツロウのそれではなく、他の誰かのものだった。そうしてミツロウにはときおり男子に暴力を振るわれるという慣例だけが残った。彼は演技をやめた。

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