【新連載】真夜中の森を歩く 最終話

よく晴れた日だった。ミツロウは持っている携帯電話の画面を眺めた。黒田と高橋からの連絡はまだきていない。ミツロウはどこへ行くあてもなく歩きだした。

子供が列になって歩いていた。高い声がリズムを刻んで響いている。犬を連れた老人が子供たちに挨拶をすると子供たちは丁寧にお辞儀をした。そしてまた声をそろえて歌いはじめた。

その後についていくようにミツロウはゆっくりと歩いた。眠気はあったが頭はしっかりと働いていた。行くところがない、そう考えてみたが特につらいとも感じなかった。目の前にT字路があり、子供たちは右に曲がりミツロウは左に曲がった。曲がった瞬間に前田さんの顔が浮かんだ。しかしそれをすぐに打ち消した。母さんに会いたい、ミツロウは母の墓に向かうことにした。

母の墓は寺の奥にある無数の墓ののうちの一つだった。誰も墓の手入れをしていないようで他の墓と比べてだいぶ荒れていた。ミツロウは墓の入り口に置いてあった手桶に水をくみ、柄杓で墓の上からかけた。水にぬれた墓石が日の光を反射してキラキラ光っていた。隣の墓に置いてあった線香のかけらを拾って墓前に置いた。そして手を合わせ、母に語りかけた。

頭の中に無数の記憶が流れる。前田さんの顔、ナナちゃんの顔、ユキの顔、高橋の顔、黒田の顔、殴られて動かなくなった男の顔。それらの顔は頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、最後には母の顔になった。

母の顔は不幸を耐え、全てを受け入れるような苦渋に満ちた顔だった。そしてそれは少しずつ歪み、変形し、バラバラに砕けていった。

ミツロウの頭にある考えが浮かんだ。その考えはミツロウが否定すればするほど大きく膨らんでいった。そしてそれがミツロウの全てを飲み込むと、ミツロウはその考えを自然と受け入れた。はじめからわかっていたことだったのだと了解した。

ミツロウは合わせていた手を解き、立ち上がって母の墓を眺めた。そして今了解したとこを口にだしてみた。

「母さん、母さんは本当はオレのこと愛してなんかなかったんだろ」

思いを言葉にして口にすると気分が楽になった。突然、目から涙が溢れた。涙は止まることなくいつまでも流れた。苦しくもなく悲しくもなく、ただ涙が流れ続けた。

涙が止まるとミツロウは手で目元を拭い、もう一度母の墓を見た。墓はただの石だった。そこに母の気配はなかった。

ミツロウは他の墓も眺めた。そのどれにも死者の気配はなかった。

ミツロウはありとあらゆるものを見た。墓の向こうに立つ寺やそこを覆っている木々や青い空や白い雲を見た。それらはまったく平坦だった。どんな気配もどんな意味もそこにはなかった。寺は寺であり、木は木であり、空や雲は空や雲だった。それらはなんの構造も持たず、ただそこに在った。在るものが動いていた。世界は偶然で満ちていた。原因も結果もなく、ただグルグルと流動しているだけだった。ミツロウはそのことに言いようのない感動を覚えた。

ミツロウは墓を後にして歩きだした。もう黒田や高橋からの連絡などどうでもよかった。自分もただ流動するだけだと考えると心が軽くなった。前からベビーカーを引いた若い男女がやってくる。男は女になにか話しかけ、女は笑みを返した。ベビーカーの中で子供がなにか声をあげると二人はお互いを見合って笑った。ミツロウはその男女とすれ違うと立ち止り、母に言葉を捧げた。

「オレも同じだよ、母さん」

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