【新連載】真夜中の森を歩く 5-2

鉄板の上にあるハンバーグを一つ一つ小さく切っていく。ソースの焼けるにおいが食欲を掻き立てる。ミツロウは小さくなったハンバーグを一つフォークで刺し、口に入れた。ソースの濃厚な味と濃い塩分に唾液が溢れた。すぐさま皿に盛られたライスをフォークで掬い口に運ぶ。ソースと唾液の交じり合ったライスは目が覚めるほどうまかった。ミツロウは夢中になってハンバーグとライスを交互に口に入れていく。ナナちゃんはそれを見ながらウーロン茶をストローで啜った。

「よく食べるね」

「食べないと仕事になんないから」

「じゃあ、これも食べる?」

ナナちゃんはまだなにも手をつけていないピザの皿をミツロウの前に押しやった。

「食べないの?」

「べつに。食べても食べなくてもどっちでもいい。お腹空いてたら食べていいよ」

ナナちゃんはタバスコの瓶を持ち上げピザの上で振った。赤い液体が白いチーズの上に点々と跡をつけた。

「ああ、オレ、辛いのダメなんだ」

「ふふ」

ナナちゃんは楽しそうにタバスコの瓶を振る速度を速めた。ピザが薄い赤に染まっていく。満足したのかナナちゃんはタバスコの瓶を置き、ピザを一枚とってミツロウの前に差し出した。

「はいどーぞ、召し上がれ」

タバスコの酸っぱいにおいが鼻を刺激した。ミツロウは慌てて顔を背けた。ナナちゃんは悪意のある笑顔でミツロウを見つめる。

「ほら、好き嫌い言ってると大きくなれないぞ」

その母親を模したような口調がミツロウの胸を刺激した。心に反発心が芽生えた。それは甘えの含まれた反発心だった。

「いーんだよ、オレはもう大きいから」

「まったく、自分一人で大きくなったみたいな顔して」

ナナちゃんはそう言うとピザを皿に戻して笑った。その甲高く大きな笑い声に他の席に座っている客たちが一斉にナナちゃんを見た。ミツロウは恥ずかしさを覚えたが、ナナちゃんはなにも気にしていない様子だった。ミツロウがまたハンバーグを食べはじめるとナナちゃんは店内を見回しながら鼻歌を歌いだした。どこかで聞いたことのある曲だった。

「それなに?」

「ん?」

「鼻歌」

「知らない、教会でよくみんなが歌うやつ」

ナナちゃんはミツロウを見ると目を大きく見開いて視線を上に向けた。ミツロウはナナちゃんの歌う鼻歌の歌詞を思いだそうとしたが言葉はまるで浮かんでこなかった。

最近、日曜礼拝に行ってないな、ミツロウは前田さんの顔を思い浮かべ申し訳ない気持ちになった。残り一つのハンバーグの欠片を口に入れて咀嚼しながらミツロウは礼拝の光景を思い出そうとした。

優しい日の光が窓から差し込む礼拝場、合唱や聖書を朗読するみんなの声、前田さんの説教、シンセサイザーの音、なつかしさが胸に込みあげた。来週の日曜は礼拝に参加しよう、ミツロウはグラスに入ったコーラを勢いよく啜りながらそう心に決めた。

「私、ウーロン茶取ってくるけどミツロウ君もなにかいる?コーラ?」

「ああ、オレも行くよ。自分でやる」

「まあまあ、お仕事してる人はゆっくり休んで」

ナナちゃんはそう言うとミツロウのグラスを取ってドリンクバーへと向かった。ミツロウはその後ろ姿を目で追った。制服のスカートから覗く太ももにペニスが疼いた。ナナちゃんを抱きしめたい、不意にそんな衝動が心に沸きあがった。その急な衝動に自分でも驚いたがそれをどう処理していいかがわからなかった。罪の意識が胸を刺した。

ミツロウはナナちゃんから目を逸らし、ピザにかかっているタバスコをフォークで払い落として口に入れた。冷めたチーズとタバスコのにおいが鼻を刺激した。舌が辛さで熱くなった。その刺激がペニスの疼きを忘れさせてくれた。ミツロウは荒く息を吐きながらもピザを二枚食べた。

「仕事楽しい?」

ドリンクバーから戻ってきたナナちゃんはコーラの入ったグラスをミツロウの前に置いた。ミツロウはそれを一気に半分ほど飲み干した。口の中の熱さは少し和らいだ。

「楽しかないけど、まあ仕事だしね。いつも聞くね、学校は楽しい?仕事は楽しい?って」

「だって楽しいって重要じゃない?生きてく上で。I’m happy! And you? 」

「ナナちゃん、英語好きだね」

ミツロウはなるべくナナちゃんの身体を見ないように心掛けた。ペニスが疼きそうになるとタバスコのかかったピザを食べそれを沈めた。

「あーあ、私もなんか仕事しようかな」

ナナちゃんはそう言うとバックから携帯電話を取りだしていじりはじめ、そのまましばらく黙っていた。急に訪れた沈黙と疎外されている感覚にミツロウは自分もと携帯電話をポケットから取り出した。しかしナナちゃん以外にLINEをする相手のいないミツロウはただ画面を眺めるだけでなにもすることがなかった。

画面を眺めながらときおりナナちゃんを探るように見る。ナナちゃんは携帯電話に視線を落としたまま指先を器用に動かしている。目の前にミツロウがいることなど忘れているかのようだった。

ミツロウは仕方なく携帯電話でゲームをはじめた。同じ色と形の図形を消していくパズルゲームを無心で繰り返した。そこになんの意味も見いだせなかったがナナちゃんに疎外されている感覚は薄れていった。

「ねえ、ゲームしよ」

不意のナナちゃんの声にミツロウは顔を上げた。ナナちゃんは頬杖をつきながら携帯電話をミツロウに向かって小刻みに振った。

「ゲーム?なんの?」

「秘密をあてるゲーム。名付けて『ザ・シークレット』」

「え?そんなの入ってないよ」

「だって私が考えたんだもん」

ナナちゃんは自分の携帯電話の画面をミツロウにも見えるように傾け、LINEを開いた。
「今からお互い交互にメッセージを送り合うの。メッセージは一言。それは私だったら私の、ミツロウ君だったらミツロウ君の秘密に関する言葉を書くの。お互い少しずつ自分の秘密に関するヒントを相手に教えていって、それで先に相手の秘密がわかった方が勝ち。どう?おもしろそうでしょ?Do you understand?」

ナナちゃんは携帯電話を自分の顔の前に戻すと「まず私からね」とメッセージを作りはじめた。

ミツロウはナナちゃんの説明を頭の中で反芻しながら自分の秘密について考えた。それはイメージであり、まだ自分自身でも言葉に置き換えたことのないものだった。

あるイメージが頭の中で常にミツロウを脅かし、それは現実のミツロウの身体にも影響を与えていた。イメージとそれに伴い現れる身体の反応、それらがミツロウの秘密であり、決して人に言ってはいけないミツロウ自身が背負わなければいけない罪だった。

テーブルの上でミツロウの携帯電話が揺れた。ミツロウは黙ったままLINEを開いた。

 ザ・シークレット
 叔父さん(お父さんの弟)

 ミツロウはそれを読み終わるとすぐに自分の分を返信した。

ザ・シークレット
お母さん

ナナちゃんの携帯電話が光る。ナナちゃんは携帯電話を見ながらニヤニヤしている。

ザ・シークレット
黄色いスカート

ザ・シークレット
薄いカーテン

ザ・シークレット
お風呂場

ザ・シークレット

ザ・シークレット
おやつの時間

ザ・シークレット
細い紐

ザ・シークレット
赤ちゃん

ザ・シークレット
トイレのにおい

ミツロウはその言葉をナナちゃんに送ったとき、急にイメージが目の前に現れた。外部の音は遮断され、光が遠のいていった。そこにあるのはあの時の光景であり、そしてあのにおいだった。揺れるカーテン、現れる母の姿、鼻を衝く異臭、イメージは過剰なほどのリアリティを持ってミツロウを飲み込んだ。身体が反応する。ミツロウは携帯電話を放り投げ顔を手で覆った。罪の意識が心に重くのしかかった。息が苦しかった。涙が知らずに流れた

声、声、ナナちゃんの声がした。いつになく切迫した声だった。

「ごめんね、ごめんね」

ナナちゃんの手の感触が背中に伝わってくる。

「触るな!」

ミツロウはナナちゃんの手を払いのけた。とっさに我に返り、側に立っているナナちゃんの顔を確かめる。ナナちゃんは真っ青な顔をして立っていた。いつもの明るい笑顔はそこにはなかった。ナナちゃんの目から涙が零れ落ちる。

「ごめん、ごめん」

ミツロウはナナちゃんの身体に触らないように必死で身振り手振りで謝った。ナナちゃんは元の席に座り、しばらく泣いていた。それは震えるような、心の奥から湧いてくるような泣き声だった。ミツロウはその姿をただ茫然と眺めていた。どうすればいいかわからなかった。イメージはいつの間にかどこか遠くへ消えていた

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