【中編小説】お母さんといっしょ 3

それは地震がきてからずっと経って、庭にツバキの花がさいてるときだった。

ぼくは地震のことなんて忘れてたし、アミも泣かなくなっていたし、ミミのなき声はいつものことだから気にしなくなっていた。

でもその夜はミミのなき声がしなくて、べつにそれを気にしていたわけではないんだけど、なんだか急に夜目が覚めて、目が覚めるとそれから眠れなくなって、ベッドのなかで目をあけたままじっとしていた。

夜はしずかでじっとしていると今まで聞いたことがない音がいろいろ聞こえてきて、それでもじっと耳をすませていると小さな足音が聞こえてきて、それが少しずつぼくの部屋に近づいてくる。

ぺて、ぺて、ぺて、っていう音がだんだんぼくに近づいてきて、ぼくは怖くなってミミがないてくれればいいのにって思っていたけど、ミミはないてなくて、それでぺて、ぺて、ぺてがだんだん近づいてきて、ぼくの部屋にはいってきて、急にそれが消えて、消えたと思ったらぼくのふとんにどさんって音がして、それでぼくの前に小さな影が見えた。

ぼくは怖かったけど暗いなかをいっしょうけんめい目をこらしてぼくの前の影を見た。

じっと見てるとそれはだんだん形になっていって、またじっと見るとそれはミミみたいに見えた。

なんだミミかってぼくは思って、そう思うと安心して、僕はふとんから手を出してミミの頭をなでた。そうしたらミミが口を開いて「ヒロシさん」って言った。

ぼくはびっくりしたけどどうしてか声がでなくって、夢でもみてるのかなって思ったけど、目を開けて夢をみることってあるのかなって思って、目をぱちくりしてもう一回ミミを見た。ミミはやっぱり人間の言葉で大きな口をあけてぼくにはなした。

「ヒロシさん、いままでずっとヒロシさんにはなしかけてたけど、ヒロシさんは気が付いてくれなくて、しょうがないからもう人間の言葉を話してしまおうと思って今日きたんです」

ぼくはなにも答えられなくてだまってうなずいた。そこでミミは一回、猫の声で「にゃあ」ってなくとまたはなしはじめた。

「こうやって人間の言葉ではなすと猫の寿命が縮まるんです。だからほんとうは嫌だったんだけど、ヒロシさんは気づいてくれないし、ヒロシさんが気づいてくれないと、わたしはだれに言ったらいいのかわからないし、よし、じゃあこれは自分の命を縮めてもやらねばならぬと決心して、今日きたんです。だからこわがらずにきいてくださいな」

ぼくはやっぱりだまって頷く。ミミはまた「にゃあ」となく。

「たまにね、にゃあ、ってなかないと自分が保てなくて、ほら魂がぬけていっちゃうんです。猫の魂百までもたないっていうじゃないですか、意味は知らないですけど。でもにゃあってなかないとどうしてもだめなんですよ、猫の猫たる意義がなくなってしまうんです。にゃあは大事ですよ。さあヒロシさんもにゃあって言ってごらんなさい」

ぼくはミミの言うことを聞いてにゃあって言おうとしたけど口だけが動いて声がでなかった。ミミは少し残念そうな顔をした。

「人間にはわからないんですね、猫の気持ちは。いいです、わたしがここにきたのはヒロシさんににゃあと言わせるためではないですし、わたしはわたしの使命を果たさなければいけないんです。いいですか、きいてください」

ぼくは黙って頷く。もうにゃあって言おうとしない。

「わたしはヒロシさんをこれからある場所に連れていかなければいけないんです。そこがどこかはわたしにはわかりません。わたしには関係ないことですし。わたしはそこにヒロシさんを連れていくことだけが使命なんです。あとは知りません。わかりますか?」

ぼくは頷く。頷いてばっかりだとおもう。

「わかったんならすぐに行きましょう。いいえいいえ、パジャマでいいです。服装なんてだれも気にしません。歯は寝る前に磨きましたね、ご飯も今は食べる時間じゃない、顔ぐらいは洗ったほうがいいかもしれませんが、わたしもよく洗いますしね、でも今はそんなことをしている時間はありません。ぼさっとしてるとすぐ朝がきますからね。朝がきたらぜんぶおしまい。わたしはにゃあとしかなけないし、ヒロシさんは学校にいかなくてはいけない。その前にぜんぶすましてしまいましょう。さあ、はやくおきて」

ミミが右足を僕のおでこにのせるとぼくのからだが急におきあがる。おきあがると朝みたいに目が覚めていて、これから元気に学校に行くような気分になった。

ミミはベッドからおきると人間みたいに右手で窓をあけて「ほら、ヒロシさん、はやくはやく」って手招きをする。ぼくはやっぱりだまってうなずいてミミのあとについていく。それから声はでるかなって思って「にゃあ」って言うと今度はちゃんと声がでて、それを聞いたミミがうれしそうに笑った。

ミミは庭に出るとツバキの花のにおいをかいで大きなくしゃみをして、それから「こっちこっち」と走っていく。家をでて、右に一回、左に二回、それからもう一度右に一回曲がって、それでぼくが友達といつも遊んでいる公園に入っていく。

ぼくはかけ足でミミのあとをおいかけるけどなかなかおいつけなくて、ミミはときおりめんどくさそうに「にゃあ」ってないていた。

公園に入るとミミはジャングルジムの前でおしっこをしてそれから砂場でごろごろしてからぼくのもとにやってくる。

「すいませんね、これも生理現象で、どうもやらないと落ち着かなくて。べつにね意味はないんです、ただやらないと落ち着かない、ただそれだけです。それでね、今度のはちゃんとやらなくてはいけない。これは生理現象じゃないんです。ヒロシさんがしかるべき場所にしかるべくいけるようにする儀式です。儀式ってわかりますか?」

ぼくは首を横に振る。ミミは「にゃあ」となく。

「儀式っていうのはね、それをやらなければものごとがきちんとした方向に進まないものです。ヒロシさんはものごとをきちんとした方向に進ませたいでしょ?」

ぼくは頷く。

「わたしもそうだ。わたしはきちんとした猫ですから、きちんとものごとが進まないと嫌なんです。きちんとものごとが進まないとわたしは魂をすり減らしてまで人間の言葉を話している意味がなくなる、わたしとしてはそんなの嫌です。きちんとやりましょう。いいですか?」

僕は「にゃあ」となく。ミミはにっこり笑う。

「よろしい。それでははじめましょう。そこに大きな桜の木がありますね」

ミミはそう言うと右手で桜の木を指さした。桜の木には花も葉もなくてとがった枝が真っ暗な夜の空に向かってのびていた。ぼくはだまって頷いた。

「桜の木、春になればみんなお花見するし、春じゃなくてもあの木のまわりでヒロシさんぐらいの子供たちが鬼ごっこをします。みんな大好き桜の木。ね?」

ぼくは「にゃあ」と言おうか言わないしようか迷ったけどやっぱり言わずにだまって頷く。ミミは少し残念そうな顔をする。

「あの桜の木の下にヒロシさんはこれからいくんです。あの下になにがあるかわたしはわかりません。ただヒロシさんをそこまで連れていくのがわたしの使命なんです。使命には理由はありません。そう決まっているからするんです。いいですか。よく聞いてくださいね。これを間違えるとヒロシさんはしかるべき場所にいけません。ヒロシさんがしかるべき場所にいけないとわたしはかなしい。もしかするともう、にゃあ、ともなけないかもしれない。それほどのことなんですよ。いいですか、よく聞いてください。ヒロシさんは今からあの桜の木の前に立ちます。あそこですよ、あのぼんやり光ってるところです。そこじゃなきゃだめですよ、ほらあそこです」

ミミが指さしたところをみるとそこはぼんやりと光っていた。ぼくはなにがぼんやりひかっているだろうとじっと見たけど、なにが光っているかよくわからなかった。

「ほら、よけいなことは考えなくていいんです。あそこが光っていて、あそこに立つんだってことがわかればそれでいいんです。なにが光ってるかが問題じゃない、あそこの光ってる場所に立つんだってことがわかればいいんです。いいですか、まだ続きはありますよ。ちゃんと覚えてくださいね。あの光っている場所に立ったら、左回りで桜の木を一周します。左回りってわかりますか?時計と反対回りですよ。時計の見方は学校で習いましたね。それの反対です。いいですか、間違ってはだめです。間違ったらぜんぶおしまい。いいですか時計と反対回りに一周、二周じゃないですよ、一周ですよ。一・二・三の一。これも学校で習いましたね。時計と反対回りに一周。はい、声に出して言ってみて」

ぼくは「時計と反対回りに一周」と声をだす。声をだすと元気な気持ちになってくる。

「はい、よくできました。今度はそれを実際に行動に移してみましょう。光ってる場所に立って」

ぼくはミミに言われた通りに桜の木の光っている場所に立つ。

「はいそこから時計と反対回りに一周。ゆっくりでいいですよ」

ぼくは桜の木の周りをゆっくりと一周する。そしてまた光っている場所に立つ。

「はい、よくできました。それではいってらっしゃい」

ミミが手を振っている。ぼくもミミに手を振ろうとする。でもぼくが手を動かそうとするといつのまにかミミが見えなくなる。ミミだけじゃなくてなんにも見えなくなる。耳にひゅーっという風の音が聞こえる。ジェットコースターみたいにからだが上から下におちていく感じがする。

ぼくはいつまでもいつまでもおちていく。いつまでおちるんだろう思って数を数えたけれど、いつのまにかぼくの知ってる数が終わって、もう一度最初から数えたけど、やっぱり途中でわからなくなって、もう数を数えるのをやめようと思ったとき、ぼくはどすんとなにかのうえにおっこちた。

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