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吉田修一「旧岩淵水門」

吉田さんの文章も心地よい。一人称の「私」を使わないので、書いてあることが直に寄り添ってくる。自分で感じているかのように読めてしまう。

主人公は、早朝に荒川土手をジョギングする。コースは決まっている。走りながら、いろいろなことを思い浮かべる。

息子の友人がスペインにサッカー留学する。息子は大喜びだ。ちょっとは悔しくないのか、とつい言いたくなる。

高校時代、160キロ投げる甲子園球児が同じクラスにいた。その選手が怪我すればいい、と密かに想像し、そのくせ話せば「怪我しても応援するよ」と言ってしまう。

自分の人生は、ネットにある平均的な男性の一生と大差ない。そう自分の人生を見つめる。

同僚は転職した。残った同僚は主人公に「俺らはうちの会社でやり過ごすしか」と言った。その言葉に拘ってしまう。

台風の時、氾濫する荒川を見に行った。濁流に駐車場も野球場も飲み込まれていた。消防団員に注意されるまで濁流を見つめ続けていた。

主人公は、毎朝、荒川土手の同じコースを走る。いつものように朝日が昇る。

主人公は自分の平凡な人生を悔いているのだろうか。
何もなかった人生。
やり過ごすしかない人生。
野球の才能も、転職の才覚も、濁流に飲まれることもなく、毎朝、決めたままのコースを走り続ける人生を。

ジョギングの折り返し地点に、もう用済みの岩淵水門がある。水門としての役目を終えた水門。

主人公は、そこで青い物体を眼にする。

飛びすさり、慌て驚く主人公。しかし彼はやがて走り出す。自分の日常にない事件に関わるより、毎日のルーティーンを優先させて走りだす。

通報するのは自分ではない。
そう思う主人公は多分決意している。自分は変化よりも日常を選ぶんだ、と。それが自分の人生の生き方である、と。

才能の限りを試す人生があっていい。
才覚を世に問う人生があっていい。
波瀾万丈の荒波に、自ら飛び込む人生があっていい。
そして、地に足をつけて、平凡に毎日を生きる人生があっていい。

平凡を生きることは、どんな生き方にも負けない強い意志の力が必要なのだ。

どの人生も、間違っていない。どの人生も精一杯に生きた人生だ。
平凡を生きる人生も。


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