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あの頃9

新歓コンパのことは書いても仕方ないので書かない。というか、酒飲まされたんでほとんど覚えていない。
行く前、Wが胃薬飲んでて、白けるやっちゃなぁ、と非難されてたことと、酒なんかなんぼでも飲めるわ、みたいなこと言ってたHがすぐに潰れたことは覚えている。私は、みんな食い散らかすんで、テーブルをひたすら拭いていた。

翌週の月曜から、部室で会うと部員の人と普通に話せるようになっていた。
基本、講義と講義の間で、ぽっかり時間が空いた時に、皆んなは顔を見せるらしい。家から通える人は、活動日以外あまり来ない。今は四月なんで、飛び込みの入部希望者がくるかもしれないので、当番で詰めているのだそうだ。

普段の空き時間は、講義の下調べや宿題を自習室でやったり、クラスの友達と食堂で話したりで、すぐに潰れる。通い組は講義が終われば、さっさと帰るかアルバイトに行く。
だから、常に部室に複数人いた四月当初の状況が特殊ということらしかった。

ただ月末と月初めの一週間は、顔を見せる者が多くなる。提出された小説と詩を読むためである。

その日、部室を開けると新入生のHがいた。提出された小説を読みに来たらしい。二人で暫く読んでから、なんとなくおしゃべりが始まる。

ーー○○は、次の締切に小説出すの?
ーー今、書いてる。Hは?
ーー俺もなんとかするかな。最初だからなあ。
ーーああ、書けよ。そういえば、Hって大江健三郎が好きって言ってたっけ。
ーー言った。お前は大江のなかで何がいいと思う?
ーーすまん。読んだのは「個人的な体験」だけなんだ。
ーーで、どうだった。
ーー面白かった。でも、なんか文章、おかしくなかったか? 回りくどいというか、わざと難しく書いてるような。
ーーわざとああ書いてるんだよ。
ーーなんで?
ーー言葉が滑るからじゃない。
ーー滑る?
ーー普通に書いてたら、引っかからないじゃない。読み流されるのが嫌なんじゃないの。
ーーああ、なるほど。
ーー師匠はサルトルだからね。
ーー哲学か。
ーーそう、哲学哲学。哲学の言葉って難しいじゃない。難しく書いてなんぼってとこもあるからね。
ーーなんで哲学だと言葉が難しくなるんだ。
ーー「厳密な学」だからじゃね。まあ、哲学ベースの作家は日本に他いないから、大江は今読んどくべきかな。
ーーそうか。じゃ、読もう。サルトルは読まなくていいか。
ーー読みたきゃ読めばいいんじゃない。まあ、フランスじゃあもう時代遅れみたいだけどさ。
ーーサルトルは時代遅れなのか。
ーー晩年、街中で共産党のビラ配ってても、誰も受け取ってくれなかったらしいね。
ーー本当か。
ーーさあね。見たわけじゃないし。本当かどうかより、本当に聞こえるかどうかの方が大事じゃねえの。あ、俺、アンガージュマン。バイトあるから行くわ。

話してみると、Hの考えはなかなかに深かった。読書量も私の数倍はありそうだった。アンガージュマンとは何だ。油断ならならいやつであった。

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