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憂しと見し世ぞ12

 居間に入ると、弟の大輔がソファーに寝そべってテレビを見ていた。わたしをチラ見して言う。
「姉貴、空手やってんの」
「おまえ、家族の話なにも聞いてないな」
「そんなこと話してたっけ」
「こないだ変質者が出たときも空手の話、出たろ」
「そうだっけ。いや、ベランダに道着が干してあったから、誰のって訊いたら姉貴のって言うじゃない。柔道やってんのって訊いたら、空手だって言うからさ」
「いいだろ、何やっても」
「ソフト部だろ。指、大丈夫かよ」
「空手つっても、今は型だけだから大丈夫よ。あんた、心配してくれてんの」
「別に」
「じゃ、聞くなよ」
「姉貴、遅いとメシ遅くなるじゃん」
 全く、なんて弟だ。そんな話をしていると、台所から母親が出てきた。
「おかえり。ニュース知ってる?」
「知ってる」
「おまえの学校だって?」
 情報は早い。しかもうちの学校だってことまで知っている。
「なんで知ってんのよ」
「俺が教えたんだよ」大輔が口をはさむ。「学校の帰り、門のとこにテレビ局が来ててさ、それでまあ騒ぎになって、わかったってこと」
「あんた、なんでそんな遅くまで学校にいんのよ」
「教室で大貧民やってたんだよ、ずっと」
 相変わらず救いようのない馬鹿だ。何で好きこのんで放課後二時間も三時間も大貧民なんてするか。帰宅部なんだから、さっさと帰宅しろ。
「あんた、ソフト部の練習は仕方ないけど、道場は休んだら」
「道場だっていっしょでしょ」
「運動馬鹿だから、体動かしてないと、死んじゃうんじゃね」
 ケケケと笑いながら、大輔が言う。ぶん殴ってやろうかと近づくと、母親までも弟の味方をする。
「火木はソフト部の練習お休みでしょ。早く帰ってきなさい」
「あのね、部活動は毎日あるの。火木は校庭が使えないだけなの。だから二日間は学校周りを走ったり、自主練で体力作りしてんの。あたしの空手はその代わり。道場やめても、早く帰れるわけじゃないの。わかった?」
「早かったじゃん。姉貴、太って走るのが嫌だから、空手とかなんとか言ってるだけじゃね」
 全く口の減らない餓鬼だ。陸上部じゃねえんだから二時間も走ってられるか。もう口をきくのも嫌だ。わたしはそのまま部屋へ行った。
「ご飯の時は来てちょうだいよ。片づかないから」
 母親のうっとおしい声が追ってくる。

  
 翌日の放課後に警察の人が来て、前回襲われたとき見た男のことを細かく訊かれた。あのときは実質被害も無かったので、先生に男の特徴とか言って、それを先生が警察に言ってそれで済んだ。けど、今回は実際被害者も出ているから、警察の本気度は違ってた。相談室で事細かに男の特徴をもう一度訊かれた。大野先輩の事もあるので、私も懸命に思い出し思い出しして話をした。警察の人の中に似顔絵を描く人もいて、私の話を聞きながら、スケッチブックに描いていた。途中で何度か、こんな感じかな? とか訊かれたけど、思い出そうとすればするほど、見せられた絵を見れば見るほど、なんだかあのときのあの男の顔は遠ざかってしまって、なにがなんだか分からなくなった。そんな自分が嫌になった。担任の先生とか、大丈夫だから、そんなに思い詰めなくてもいいからって言ってくれたけど、やっぱ思い出し切れない自分が歯がゆかった。情けなかった。

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