09 電気工事士2種
「また、マンガ描きよろうが」
見られた。慌ててノートに体を被せる。
「なんじゃ、勉強しよると思うたら、またサボりよる」
幸子は右の肩越しから覗き込み、なんとか見ようとする。
「うるさいのう。あっち行かんかい」
「従業員の分際で、社長の娘に、よう言うた。お父ちゃんに、言いつけてクビにしちゃろうか」
今度は左の肩越しに首を出す。
すかさず首を傾げてガードする。
「なんが社長か。電器屋の親父じゃないの。クビにできるもんならやってみい。明日から仕事にならんわ」
「見せてくれたら、黙っちょっちゃげる」
「お前になんか、見せるか」
「ちょっと見せいや」
「見せるか!」
怒鳴って振り向くと、幸子の顔が鼻先にあった。思わず飛び退く幸子。
「あー、ビックリした。唇、奪われるとこじゃった」
「あほ。誰がじゃ」
幸子はニヤリと笑う。それからくるりと後ろを向いて、店の奥に入っていく。中二のくせに、ほんとませたガキだ。
「おとーちゃーん。また、健ちゃんが勉強サボって、マンガ描いちょるどー。クビにしてー!」
「なんじゃ、全く」
ワシはノートを閉じて、鞄に突っ込んだ。
「親父さん。帰ります」
奥の部屋から、親父さんが顔を出す。
「おう。気をつけて帰れ。試験近いんじゃけえ、漫画もええけど、帰って勉強もせえよ」
「はい。さいなら」
店を出て、自転車に跨った。
木村電器店に就職してから二年になる。主な仕事は、冷蔵庫やらテレビやらの積み込みと、配線工事の手伝い。まだ免許がないから工事自体はやらせてもらえない。ケーブル運びやら工具渡しやら雑用ばかりだ。
側でずっと見てるから、工事の手順はわかる。店に帰ると、親父さんは廃棄する電化製品を自由にいじらせてくれたから、試験で実技はできると思う。でも、ペーパーが難しい。試験には電気理論のことなんかも出る。ワシは中学しか出てないんで、頭が悪い。悪くても、なんとか及第点を取らなければ、この先ずっと雑用係のままだ。
親父さんは、どっかから電気工事士二種の問題集をもらってきてくれて、ワシにくれた。昔のことじゃから忘れたのう、と言いながら、わかるところは教えてくれる。何しろ最初は電流と電圧の区別からわからなかった。どう考えてもこんがらがる。親父さんに訊くと、
「お前、そりゃ電気と思うからわからんのじゃ。電気じゃのうて、水と思え」
「はぁ、水、ですか」
「そうじゃ。電流は水流。水の量じゃ。電圧は水圧。水の力じゃ」
「ああ、わかります。じゃ抵抗ってのは」
「それはのーー」
という具合に教えてくれた。学校で習ってた時は、まるで興味がなくても、それが飯の種となると、俄然やる気がでる。
が、ワシは頭が悪い。やる気がでても、なかなか理解ができなかった。
「親父さん。ワシ、頭が悪いけえ、二種取れんかもしれん」
「あほ抜かせ。誰でも取れるわ」
「親父さんは、ワシがどんだけ馬鹿か知らんけえ、そねなこと言うけど、ワシはたいがい馬鹿じゃけえ」
「お前、小学校んとき、掛け算は出来たか」
「いや、親父さん。ワシがいくら馬鹿でも九九くらいは言える」
「みんなと同じで言えたか」
「いや、それは。最後の方でやっと言えた。クラスのもんが全員言えて、けつっぺたでやっと言えた。馬鹿じゃけえ」
「その考えがあほんだらじゃ。ええか。人が一年でできるもんを、同じ一年でやろうと思うから馬鹿じゃあほじゃと思うんじゃ。何年掛かかろうが、言えたら一緒じゃ。人が一年で覚えるもんをお前は二年で覚えりゃええんじゃ。二年経ったら同んなじじゃ。お前はお前の時計で生きりゃええんじゃ。二度と俺の前で自分は馬鹿じゃ言うな。言うたら、くらわすぞ!」
ありがたかった。だから、次の試験では何としても合格したかった。二種免許の試験は、年に二回ある。前回は落ちた。そん時も親父さんは、お前はお前の時計で勝負すりゃあええんじゃ、と言ってくれた。嬉しかった。だから、今度は絶対受かりたかった。なのに、つい漫画を描いてしまう。
自転車を家の前につける。盗まれないように、前輪をチェーンで巻いて鍵をかける。
戸を引きながら、
「ただいま。腹減った」
と声がでる。
「ああ、おかえり。飯、自分でよそってな」
母ちゃんは何やら縫い物をしている。側で、妹のよし子が、広告の裏に人形を描いて遊んでいる。父ちゃんは、テレビで野球。ワシは、フライパンに残った茄子の野菜炒めに火をかけて、冷えた飯をよそる。
「どうじゃった」母ちゃんが訊く。
「今日は冷蔵庫運んで、テレビの修理じゃ」
「カラーテレビか」よし子が言う。
「白黒じゃ」
「なんか。カラーテレビじゃないんか」
「こんな田舎、カラーテレビなんか買うやつおるか」
面倒くさいんで、立ったまま飯を食う。野菜炒めは直接フライパンから。
「行儀の悪い。座って食べんさい」
「ああ、もう済むけえ」
どんぶりいっぱい山盛りの飯を野菜炒めで流し込んで、食器を洗う。
「あれ、母ちゃんがやるけえ、水に漬けちょきゃあええけえ」
「大丈夫。すぐ済むけえの」
立ち上がりそうになる母ちゃんを制して、フライパンまで洗ってしまう。
洗い終わって、部屋に上がる。よし子の側に座る。
「何を描いちょるん?」
「てつじん28号じゃ」
「ヘタクソじゃのう」
「兄ちゃん、かいて」
よしよし、と描いてやる。
「のう。兄ちゃん」
「なんか」
「なしてテレビは、男の子のマンガばっかりやるん」
「男の子の漫画?」
「アトムとかてつじんとか、ロボットばっかりじゃ」
「よし子は、お姫様がえぇじゃろ」
「そうじゃ。兄ちゃん、お姫さま、かいて」
「お姫様かあ。難しいのお」
「ねえ、かいてかいて」
「しょうがないのぉ」
鉄人28号と隣にお姫様を描く。へんてこりんな取り合わせになったが、よし子は大喜びだった。
「兄ちゃん、マンガうまいなぁ。マンガ家になったらええのに」
「そうじゃな」
そう言いながら、よし子の頭を撫でた。
ワシはなにしちょるんかのう。ほんとは何がしたいんじゃろうか。いや、今は電気工事士二種じゃ。布団の中で頭を振った。よし。明日から、漫画は卒業じゃ。漫画はやめる。隣を見る。よし子が寝息をたてている。今日は巨人が勝って機嫌のいい父ちゃんも、ずっと針仕事をしていた母ちゃんも、いびきをかいてもう寝ている。よし子の枕元には、さっき描いた鉄人28号とお姫様が置いてある。
金が欲しいのう。二種が取れれば給料もあがる。ゆくゆくは独立もできる。
金があったら、ワシも高校に行けたし、金があったら、よし子も高校にやれる。うちのクラスで高校に行かなかったのは、ワシとさえ子の二人だけだった。
さえ子の家はうちより酷かった。中学校卒業前に、バス遠足があった。貸切で城山遊園に行く。ワシの家はなんとか工面して、遠足代を出してくれた。高校の代わりに遠足くらいはと、金を出してくれた。
でも、遠足のバス座席にさえ子の名前はなかった。さえ子は高校入試の翌日から学校に来なかった。四月から、美容院の住み込みで働くと聞いた。もう働いているのかもしれない。きょうだいの多い家だった。
行かないはずなのに、みんながバスに乗り込んだ時、さえ子が現れた。それを見て、担任はオロオロしていた。金を払ってないさえ子が来て慌てたんだろう。勿論バスに乗せるわけにはいかない。でも、帰れと言うわけにもいかない。ワシは、そんなこと構うかと、
「さえ子、乗れ!」
と窓から身を乗り出して言った。担任は、目をむいてワシを見た。
でも、さえ子は首を振る。
「あたしは行かん。今日は見送りに来た。お店の方があるけえ、卒業式も出れん」
「乗れよ、さえ子」
も一度言った。みんなも窓から、乗れ乗れ、と言った。
でも、さえ子は首を振る。
「今日は、みんなに見せたいものがあるけえ」
そう言うと、さえ子は鞄から、高校の合格書を出した。
「先生に無理言うて、高校受けさせてもろうた。合格したんよ。これ、みんなに見せとうて」
息を飲んだ。さえ子が高校に行けないことは、みんな知っていた。行けないのに、高校を受けた。そして、合格した。合格しても、多分入学金は払えない。払えないから、入学は取り消しになる。さえ子は、高校に行けないことを知ってて受験した。
「ほんとはいけないんだって。入学する意志のないものは受験しちゃあ。そうよね、私が受かっちゃったら、落ちる人が出るんだもの。でも、どうしても受けたかったんだ。そしたら、先生、いいって。受けろって。今年までは補欠合格の制度があるから、お前が辞退しても誰か繰り上げで受かるから、受けろって。で、合格しましたあー! 先生、ありがとう。みんな、ありがとう。ピース!」
Vサインするさえ子に、おめでとー! てみんな手を振った。バスが動き出しても、ずっと手を振ってたな。見えなくなるまで、ずっとさえ子はピースしてたな。そんなことがあった。
さえ子は、そうまでして、どうして合格書が欲しかったんだろう。いけるはずもないのに、それがわかっているのに、何で受験勉強なんかしたんだろう。
翌日、木村電器店で仕事の準備をしてると、幸子が寄ってきた。
「なんじゃ、早う出んと、学校遅れるど」
「なぁ、健ちゃん。あんたマンガ家になりいや」
妙に真剣な声色で幸子が言う。
「はっ。何言うとるん。なれるかい、そんなもん」
「なれるじゃろ。あんな上手いんじゃから」
「漫画は趣味じゃ。趣味趣味」
今度は覗き込むようにワシの顔を見る。
「じゃ、ずっと電器屋やるん?」
「立派な仕事じゃないかい。お前、親父さんの仕事舐めとんのか」
「舐めちょらせんよ。電器屋は立派な仕事じゃ」
「なら、言うな」
「違うんよ。健ちゃんには頑張って二種免取って欲しい。でも、マンガ家にもなって欲しいんじゃ」
「何言うとるんじゃ。あほか」
「別に一つじゃのうてもえかろう」
「あほか」
「二つでもええじゃない。二つ目指して、何が悪い? 好きなんじゃろう、マンガ」
好きだ。描いてると、我を忘れるほど好きだ。幸子に言われるまでもない。
「なして、そんなこと言い出すんか」
「いや、昨日反省したんよ。健ちゃんがマンガ描いてるの悪う言うて。お父ちゃんに叱られたんよ」
「なんて」
「人が好きで頑張りよるもんを馬鹿にするなって。あいつはマンガがあるから、試験勉強も仕事も頑張れるんじゃって。人は仕事がそのまま生きがいになるんが一番ええけど、生きがいがほかにあるから仕事が頑張れることもあるんじゃって。そんなら、お父ちゃんの生きがいはなにって訊いたら、それはお母ちゃんとお前じゃって。健ちゃんはそれがマンガなんじゃから、ほっといたれって」
「そうか。親父さん。ええこと言うな」
「な。じゃから、今度マンガ見せてえな」
「それとこれとは違う。早う、学校行け。本当に遅れっぞ」
幸子を玄関に追い立てながら、ふとさえ子の顔が浮かんだ。その顔に向けてワシは知らずつぶやいていた。
まぁ、お互い頑張ろうや。
了
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