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【アニメの考察】アニメのメガネはどこにいったのか

*この文章は長編小説の一部として構想されたものである。長編小説が、いつになったらできるかわからないので先行して発表する。



メガネはどこにいったのか

    ○○大学第三学年 
        飯島洋子

 私はアニメ好きである。そして私はメガネ女子である。
 私は何事においても根本から極めたい人間だ。だから創成期からのアニメがどう発展したかに興味がある。とりわけ学園モノが好きで、その変遷について調べている。その研究の中であることを発見した。

メガネである。

初期学園ものアニメにおいて重要な役割を担ったキャラクター。それはメガネだった。

 私がそれに気づいたのは、過去の学園アニメを辿るなか、「ど根性ガエル」に行き着いたときだった。これは、現代でも鑑賞に耐えうる優れたアニメである。その中で、私はあるキャラクターに強く惹かれた。
 主人公ひろしの子分、五郎である。いつも学生服で学帽を逆さかに被り、白の学生鞄を肩から下げている。喋る時に必ず「〜でやんす」とつける背の低い男だ。
 何より特徴的なのは、目の周りが鉢巻したかように赤く塗られていることだ。なぜ目の周りだけ赤いのか。原作の漫画も見てみた。漫画はカラーではないので、目の周りは黒い。なんだ。覆面なのか。狸か。なんなんだ。調べていくうち、作者は帽子の影として描いたのだ、ということが分かった。だが、五郎は帽子を逆さに被る。影がかかるはずはない。ここには作者さえ気付かない、何かがあると思えた。
 そこでハタと気がついた。これは、もしかしたら、何かの代用ではないのか。もしかして、それは・・・メガネ。

 私は、更に遡って学園アニメを探した。そして見つけた。
「国松さまのお通りだい」(白黒アニメ「ハリスの旋風」のカラー版である)。
主人公石田国松が、学園で喧嘩にスポーツに大暴れするアニメだ。その国松に憧れる親友が作中こう呼ばれる。

「メガネ」

そのままである。彼は勿論メガネをかけていて、いつも学生服を着ている。学帽もかぶっている。髪の毛はない。(五郎が学帽を脱がないのは、髪の毛がないからだろうか)。語尾で必ず「〜ッス」と言う。似ている。五郎と限りなく似ている。

 更に原型はないものか。私は捜索し、学園モノを遡った。そして遂に見つけた。

「ばくはつ五郎」

 五郎! 五郎がいた。が、五郎はメガネではない。主人公の名前だ。大石五郎。転校してきた大石五郎は新聞部の三枝まゆみ。輪島一平とともに、学園内で起こるさまざまなな事件を解決していく。この新聞部カメラ担当の輪島一平がメガネなのである。しかも背が小さい。学生服。ただし、帽子はかぶってない。だが、坊主頭である。

線は繋がった。

整理しよう。メガネとは、
1、主人公を支える脇役である。
2、背が小さい。
3、弱い。
4、坊主頭である。または、帽子をかぶっている。
5、学生服を着ている。
6、喋り方に特徴がある。
 (輪島一平は未確認)
7、五郎繋がりがある。
8、メガネをかけている。

また、同様のキャラクターは、「オバQ」にもでてくる。坊主頭でダブダブの学生服を着て、メガネをかけている。名前はハカセ。時折、発明をして、筋の展開を支える。

どうやらアニメの学園モノにおいて、メガネキャラの系譜は実在していたようである。

 では、現代のアニメにおいて、主人公を支える子分的存在のメガネは、なぜいなくなったのか。それは、更に付け加えられる以下の特徴によるだろう。

9、メガネは恋愛の対象になり得ない。

メガネは、変質してゆく学園アニメの中で、その役割を終えたのである。

変質前の学園ものが描くのは、主人公が悪を懲らしめる姿だったり、スポーツでの大活躍だったりした。基本、バイオレンスなのである。その中で体力的に劣るメガネの役割は、
1、主人公を精神的に応援すること。
2、主人公に有益な情報を提供すること。
3、主人公と他の登場人物を繋げること。
 ぐらいである。たいして役に立っていないようであるが、実は重要である。主人公はバイオレンス系だけあって、単純で喧嘩っ早い。そのサポート役にメガネは必須だったのである。
そして、特に必ず登場するヒロイン役の女の子と主人公を繋げる橋渡し、これが重要な役割だった。当時のヒーロー、ヒロインは、互いに認め合ってはいるものの、軽い反発関係にあるのが常であった。
「ん。もう! わかってないんだから」
とか、女の子はよく言った。そこでメガネである。人畜無害無味乾燥男性性皆無のメガネなればこそ、二人の関係修復のきっかけとなれるのである。

それが・・・学園モノは変質してゆき、メガネはいらなくなった。

 変質の一つ目は、学園アニメに恋愛的要素が強く入り込んできたことである。(やがてそれは、ラブコメという一大ジャンルを形成するに至る)。中学生以上の学園モノでは、思春期の恋愛を語ることが当たり前になった。主人公とヒロインの恋模様に、周りをウロチョロするだけのメガネは必要なくなったのである。
二人は自らくっつこうとするので、メガネの仲介は不要なのだ。

 二つ目に、メガネキャラの地位向上がある。三作品の時代、メガネは軽い侮蔑の対象だった。例えばメガネキャラはメガネを落としてあたふたすることが定番であった。
 しかるに、現代ではメガネ男子、メガネ女子は、その地位を著しく向上させ、今や萌えの対象ともなった。背の低いお笑い担当のメガネキャラは、現代では高身長のインテリキャラとしてしばしば主人公の恋敵となる。勿論、髪もフサフサである。そう、三作品の時代、メガネキャラに髪の毛がないのは、恋愛対象にならないというアイコンだったのだ。

この過渡期に現れた過渡的メガネキャラが「愛と誠」の岩清水であった。アニメにならず実写であったため、不覚にも見逃していた。
その特徴は
1、メガネである。
2、愛と誠の恋愛模様に割り込もうとするが、メガネゆえに弾かれる。
3、虚弱である。勉強はできる。
4、髪の毛、フサフサである。
5、ウザキャラである。はっきり言って邪魔である。
「愛さん。君のためなら死ねる!」ウザい!
6、やたら展開に解説を加えたがるが、解説するだけで、主人公のサポートになってない。

つまり、いらないのである。

岩清水は過去のメガネキャラを引きずった最後の存在であったかもしれない。

 かくして、現代では過去にいたようなメガネキャラは全滅した。現代を生きるメガネキャラは、主人公の存在さえも脅かす最強キャラの一人として、生まれ変わったのである。

話を最初に戻す。私はメガネである。ミス大学の小池佳奈と友人だ。人はよく、そんな私を過去のメガネキャラで見ようとする。見損なっては困る。私は別に佳奈に仕えているわけではない。メガネであるがメガネ女子である。佳奈とつるむのは、対等の友人としてであり、そこに上下の関係はない。私は佳奈のサッパリした人間性が好きなのであって、その容姿のおこぼれにあずかろうなどという、さもしい気持ちは微塵もない。佳奈もそれが分かっているので、私たちは友人でいられるのだ。勘違いをしているやつら、特に男ども、私たちに話しかけるなら、そこをココロせよ!

           了

*「メガネキャラ」の考察については、先行した研究があるやに聞く。が、筆者はそれを読まずに書いた。だから是非、その文章を読んでみたい。知っていることは、
1、過去アニメのメガネキャラに関する研究である。
2、作者は女性らしい。
 これだけである。ご存知の方がいらしたら、ご教示願いたい。

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