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新潮新人賞受賞から十年ーー何を考え、どう書いてきたか

上田岳弘、小山田浩子、滝口悠生のお三方の鼎談である。デビュー作、転機になった作品、今の時代で小説を書くということ、といったテーマで語られる。
私は、前二つも面白く読んだが、最後のテーマはことさら興味深かった。

 コロナ、ウクライナ、地震、パレスチナ、AIといった現代に小説を書く意味は? 時代との向き合い方は? 

 こんなお題出される純文学の作家さんは大変だなぁ、て正直思う。そんな全員が大江健三郎じゃあるまいし、戦争経験しても「虫のいろいろ」書いてた人もいるし。別に「虫のいろいろ」書いてもええし。それはそれで面白いし。

勿論、時代と向き合うことは大事やけど、「目の前に見えることをしっかり書く」ことも大事だと、私も思う。「それが否が応でも世界の状況に通じている」という感覚でいいと思う。お二方がこんな感じ。

家族を書くことは世界を書くことだ。

みたいなことを井上ひさしも言ってたし。どう繋がるか説明せい! つて言われると言葉に詰まるが。ま、あとで考えは書くが。

もうおひと方は、「社会で起きることには意味がある」「ズルしてる奴には腹が立つ」いうスタンスで書かれているらしい。こちらの方のほうが、より見える形で社会と切り結ぶ小説を書かれているんだろうか。

 こんなとこで、素人ポンコツ小説しか書けへん私の立場を表明しても、それこそ何の意味もないが、せっかくだから一応表明しとくと、私は前者ですかね。

 て、純文書いてるわけじゃないから何言ってんだ、て話ですが、一応現代社会に起きそうな、起きている出来事を書こうとはしている。

 これは現代物書く場合だけじゃなくて、時代物だってSFだってミステリーだって、同じだと思う。そこに現代の時代が抱える問題を落とし込んで書くから、人は惹きつけられるんだと思う。
 松本清張だって司馬遼太郎だって、ちょっとずつ古くなる。それは作内に内包する時代性が当時の読者には切実に感じられたのだが、今はそれが微妙にズレはじめているからだと思う。
 通俗小説が、同じ筋でも、書き直され続け、その命脈が尽きないのも、そこにある時代性とそれに向き合う作者の姿勢が、常に更新されることを求められているからだと思う。
 藤沢周平がいたからもう時代物は書く必要がない。小松左京がいたからSFはもう尽くされた。指輪物語さえあればファンタジーはいらない。

では、ない!

常に新しく「蝉時雨」は書かれなければならないし、新しく「日本沈没」は書かれなければならない。「獣の奏者」には書かれた意味があるし、それはそのジャンルに、過去どんな名作があったとしてもだ。

 別に純文だけが世界と切り結んでるわけではない。逆を言うなら、その問題は物書き全部が抱える問題意識だと思う。いや、意識するしないは別として、今の時代にとにかく書いているということだけで、私は物凄く意味のあることだと思う。

 最後にお三人は、「希望」について語られる。いい言葉だ、希望。それに向けて書くことができれば、それは立派に世界と切り結んでいると、私は思う。

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