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【短編小説】卒業

 あのころ、イケとヤナギは必死に逃げていた。つかまってボコられるときの痛さはハンパないから。ヤマのパンチに強れつだ。
 たまたまそれを見てた下級生は青くなって先生に言いつける。すると担任の洋子先生に、三人は呼び出しをくらう。

 ヤマは平気だ。遊びでーす、って言えばいいと思ってる。まだしつこく先生が聞いてきたら、誰がそんなこと言ったんすか。教えてくださいよ。会ってゴカイをときたいんすけど、て言う。
 もちろん、ヤマに面と向かって私が見ましたなんて言うバカはいない。危ない遊びはやめなさい、と先生が言えば、二組の遊びはいいんすか、とこの頃プロレスごっこをしている2組の男子のことを言う。他の組はいいのよ、あなたたちのこと。何でいいんすか。今はあなたたちのことを言っているの。色眼鏡じゃないすか。色眼鏡ってなに。先生は初めから俺たちをそういうふうに見てるじゃないすか。ヤマは口だけはたっしゃだ。6年生だから、反抗期なのかもしれない。私はまだだけど。

 あなたはどうなの、と洋子先生はヤナギに訊く。ヤナギはうつむいて、色眼鏡はやめてください、と言う。驚いて先生はイケに訊く。遊びです。みんな楽しくやってます。と言う。謝りはしない。認めもしない。特に謝ることだけは、絶対にしない。これはいつの間にか三人の固い約束になっていた。謝ったら負けだ。謝ったら自分たちが馬鹿だって自分で認めるようなもんだ。いや、馬鹿やることはむしろいばっていいことだ。謝ることは先生に負けることだ。それは我慢のならないことだ。だから、これにかぎらずどんな時でも三人は謝らなかった。戦いなのだ。三人が謝るか。先生が諦めるか。

 もちろん、負けた方にはお仕置きが待っている。三人が負ければ、先生にしっぽを振った負け犬に見られる。先生が負ければ、ほかの子供たちから、なにもできないデクノボーに見られる。国語の教科書に出てた。デクノボー。人の心配ばっかりして。おろおろして。ご飯も我慢して。あっちいったりこっちいったりするけど、何の役にも立たなくて。みんなにデクノボーって呼ばれて。そういうものに私はなりたいだって。頭おかしい。ほんとに馬鹿みたい。

 残り半年と少し、先生は中学生になったらこれじゃ通じないのよ、なんて三人をしばろうとするけど、そんなの通じない。ていうか、デクノボーの言うことなんか、誰も聞かない。三人だけじゃない。クラスで頭のいい吉永くんだって沙織ちゃんだって、言わないけど、洋子先生のことデクノボーって思ってる。吉永君は授業中しゃべってばかりいる。先生の話を少しも聞かない。勉強は塾でするのだそうだ。沙織ちゃんは耳栓して塾の問題集を授業中でもやってる。怒られると、二人は同じことを言った。

「だって、先生の授業受けたって私立には受からないでしょ」

 二人は私立受験組で、二人の言うことはもっともだ。沙織ちゃんにいっぺん問題集を見せてもらったことがあるけど、ちんぷんかんぷんだった。

 二人がやらないから授業はだんだん荒れていった。5年生の時は、吉永君と沙織ちゃんが授業をリードしてくれて、なんか楽しかった。今はつまらない。そのつまらない授業にも、なんだか馴れてしまった。

 あと半年したら、吉永くんと沙織ちゃんは違う学校に行って、たぶん道ですれ違っても知らんぷりされるんだろうな。そう思う。みんなばらばらだ。洋子先生も諦めてるし。たぶん、中学校に行っても同じなんだろうな。このままのことが、ずっと続くんだろうな。て、思ってた。

 昼休み。いつものようにヤマがイケを追いかけて、捕まえて殴っていた。ヤナギはそれを見て笑っている。次は自分がやられるのに、全く馬鹿だ。イケはヤマから逃げようとして、机を倒しながら教室を走った。危ない。と思ったとき、イケは沙織ちゃんの机に頭からつっこんだ。勉強していた沙織ちゃんは、ヒッ、と短い悲鳴を上げて、イケもろとも机ごとひっくり返った。

 一瞬の沈黙の後、ヤナギが「馬鹿じゃん馬鹿じゃん」と甲高い声ではやし立てる。ヤマは遠くからニヤニヤしながら見てた。ほかの人は、私をふくめてただただびっくりしていた。

「血。血が出てる!」

 誰か女の子が叫ぶのと沙織ちゃんの泣き声がするのと同時だった。倒れた沙織ちゃんは右目を押さえてて、その指の間から血が流れていた。イケがぶつかってきて倒れた拍子に、右目に鉛筆が刺さった。救急車が来て、沙織ちゃんは運ばれていった。

 イケとヤマとヤナギは先生に連れて行かれた。洋子先生と知らない男の先生だった。馬鹿、あれ少年課のお巡りさんだぞ。お巡りさんのカッコしてねえじゃん。馬鹿、少年課のお巡りさんは背広着てんだぞ。男の子たちがヒソヒソ言ってたが、私は知らない先生でも少年課のお巡りさんでも、どっちでもよかった。その後、授業はなくなって下校した。

 次の日。沙織ちゃんは学校に来なかった。きっと入院してるんだろう。イケとヤマも来なかった。ヤナギは来た。警察に連れて行かれて、いろいろ事情を聞かれたことを自慢げにしゃべっていた。

「あれな、カツ丼出ないんだぞ。カツ丼」

 みんなはヤナギをヒーローあつかいで、それで調子に乗って、ヤナギはしゃべりまくっていた。刑事さんと友達になったとか警察署の中を見学しただとか、嘘ばっかりついていた。

 三日たってイケとヤマが学校に来た。沙織ちゃんはやっぱり来なかった。

「だって、事故じゃん。わざとじゃないし。先生がいなかったのがダメなんだよ。カントクセキニンとかあってさ。洋子先生のせいなんだってさ。母ちゃん言ってたし」

 イケもヤナギと同じくらい陽気にいろいろしゃべった。ヤマは吉永くんとひそひそ話をしていた。沙織ちゃんは卒業までもう学校に来ない。女の子の間ではそう噂になっていた。

 次の日の授業中、紙が回ってきた。担任を変えてほしいというようぼう書だ。名前を書くところに最初に吉永君とイケの名前があって、クラス半分くらいの名前はもう書かれてあった。
 文はたぶん吉永君が考えた。あのひそひそ話はこのためだった。結局、クラス全員が名前を書いて、代表して吉永くんが校長室に持って行った。私はちょっとためらったが、みんな書いているし自分だけ書かないのも変だから名前を書いた。ちょっとへたに書いた。12月に洋子先生は病気で学校を休んで、新しい担任は副校長先生になった。

 年が明けて、中学受験組はもうほとんど学校にこない。1月いっぱいは受験と勉強だ。教室に残された公立組はなにか置いていかれたようで元気が出なかった。担任の副校長先生は怖いのでみんな静かに授業を受けた。授業はぜんぜんつまらなかった。洋子先生のよりつまらなかった。

 2月になって私立受験組が帰ってきて、思い出づくりの時間が始まった。卒業文集を書いたり、卒業制作をしたり、卒業遠足に行ったり、卒業の歌を歌ったり、卒業式の練習をしたり、毎日卒業のことで大忙しだった。あい間あい間に授業があった。沙織ちゃんは3月になっても来なかった。やっぱり卒業まで来ないんだろうか。卒業式には来るんだろうか。

 卒業式は雨だった。みんなで舞台に上がって将来の夢を発表した。私は夢なんかなかったが、副校長先生が考えるまで帰さないと言ったので、学校の先生と答えた。みんないろんなことを言った。プロ野球選手とか、まんが家とか、ユーチューバーとか、かんごふさんとか。学校の先生と言う人は誰もいなかった。練習では「学校の先生」と言ったが、本番では「小学校の先生」と言った。夢を言ったあとで、どうしてその夢を選んだか理由を言わなくてはならない。夢に向かってどう努力するかも言わなくてはならない。
「小学校の先生」と言ったあと、私はらいひん席を見た。一つ席が空いている。洋子先生の席だ。洋子先生は病気がなおらないから卒業式にこれないんだとみんな言っていたが、ほんとは来たくなかったんだと思う。みんなほんとは来たくなかったんだと思っていながら、病気が治らないから来れないんだ、と言っている。
 練習では「私は妹とか小さい子に教えるのが好きだからです」と言った。「たくさん勉強して、特に算数をしっかり勉強したいです」と言った。それが本番では言えなかった。理由の言葉も努力の言葉も言えなかった。言えなくて悲しくて。なんで「小学校の先生」なんて言ったんだろうとくやしくて、泣いた。卒業式だから泣いてもいいやと思った。泣いていたら、次の子が気をきかせて、自分の夢を発表し始めた。助かった、と思った。そしてこのまま、式が終わるまでずっと泣いていようと思った。

 そしてやっぱり沙織ちゃんは卒業式にも来なかった。


            了

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