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【短編小説】生活

「健ちゃん。二種取れたんだって?」
「はい。お陰様で」
 この春の試験で、ようやっと電気工事士2種の資格がとれた。これで、屋内配線の工事も、電器製品の取り付けもできるようになった。時間はかかったが。
 運転席の義正さんは、大学が休みの間、親父さんの電器店を手伝っている。アルバイト代も出るらしい。親子といえども、そこはしっかりしている。
「幸子が言ってたぞ。随分勉強、頑張ったって」
「三年かかりましたけえ、そんな威張れんのじゃけど」
「そんなことないさ。健ちゃん、頑張り屋だもんな」
「いやいや」
褒められるのは苦手なんで、話題を変えた。
「義正さんは、大学卒業したら、電器店継ぐんですか」
「まさか。どっか会社に入らあ」
「じゃあ、電器店はどうするんすか」
「まぁ、オヤジでおしまいかな」
「そうなんすか」
 継がないと聞いて、なんだかがっかりした。漠然と親父さんと義正さんとで店ができると思っていたからだ。
「健ちゃんも、よう考えたほうがええよ」
「何をです」
「東京じゃ、でっかい電器量販店ができてる。やがて、こっちの方でもできるやろ。町の電器屋は難しいよ」
「潰れるいうんですか」
「さあね。製品は量販店で買って、取り付けの仕事が主になるかもな」
「下請けちゅうことですか」
メーカーの系列店のうちが量販店の下請け。ほんとか。
「系列の町の電器屋じゃあ、勝手に値引きもできんかんな」
「量販店はするんですか」
「するする、なんぼでもする」
 急に不安になってくる。
「なんでそんなことができるんですか」
「さぁね。まぁ、世の中、ずんずん動いてるってことだ。ほれ、着いたよ」
 町のお得意さんの家に着く。軽トラから降りて、洗濯機を二人で下ろす。一槽式全自動だ。お客さんが来た時、店には置いてなかった。カタログと親父さんの話で、つまり信用で買ってもらった。その代わり、不具合があれば飛んでいく。それがうちのメーカーでなくても、飛んでいく。
 古い洗濯機をひきとり、新しいやつを設置して、使い方をひと通り説明する。
「なんかありましたら、いつでもお電話下さい」
作業帽をとって頭を下げて、義正さんの待つ車に戻る。
車を出す前、義正さんは、煙草を吸った。
「健ちゃん、吸う?」
「いや、俺はええです」
差し出したハイライトを胸にしまいながら、煙を外に吐き出す。
「健ちゃん、俺のこと冷たいって思ってる?」
「いや、そんな、思ちょりません」
「ま。時代は変わるんよ。健ちゃん、18でしよ。今度は運転免許かな」
 煙草を窓からはじいて、エンジンをかける。また、試験か。でも、仕方ない。親父さんにずっと運転さすわけにもいかない。
「もう昼か。飯食おうや」
道沿いに、適当な店を見つけて、車を寄せる。
「うどん屋でいい?」
「はい」
 店に入って壁のお品書きを見る。
「奢るよ。なんでも頼んで」
「ええです。払います」
「昼飯くらい奢らせてよ。たまになんだし。家で俺の分までよくやってくれてるし」
「ええです。俺、給料貰っとるし」
「そうか」
更に強いては来なかった。年下とはいえ、一応社会人の自分が、学生に奢られるのは、格好がつかないと思ったので、ほっとした。
お茶を出しにきたおばちゃんに、義正さんはカツ丼、俺はキツネうどんとライスを注文にした。
「健ちゃん、奢るって。カツ丼にしたら」
「いや、ええです。ほんとに」
 漸く察したらしく、なら、と義正さんはお茶を飲む。黙ってる方が間が持たないので、大学のことを訊いてみる。
「義正さんは、大学でどんな勉強をしちょるんですか」
「商取引のこととか、為替のこととか、そんなこと」
「やっぱり難しいですか」
「難しい、か。まあ、難しいけど。ほんとに難しいのは、今やってることを、ちゃんと社会にでて役だてて、ちゃんと金儲けできるようになることだ」
「金儲け、ですか」
「究極、世の中いかに金儲けするかだ。普通に働いてる人、まあ公務員は別だけど、働いてる人の目的って、お金儲けでしょ」
言われてみれば、そうかも知れない。
 注文したものが運ばれてくる。義正さんにはカツ丼、俺の前にはキツネうどんとライス、沢庵。え。うどんに天かすが入っている。店員を見ると、え。
「さえ子、か?」
「健ちゃん、久しぶりじゃの」
「お前」
「天かす、サービスじゃ」
そう言って戻っていく。
「なに? 知り合い?」
さして興味なさげに義正さんが言う。
「いや、中学ん時の同級生す」
「そうか。狭い町やな」
義正さんはカツ丼をかき込む。俺も七味をとってうどんに振った。

 それから晩飯に、時々うどん屋に通った。一応うどん屋だが、定食もある。いわゆる大衆食堂だ。
さえ子は忙しそうで、ゆっくり話す機会もない。でも俺は、にっこり笑って「いらっしゃい」て、言われるだけでよかった。
飯を食い終わって金を払う時、
「あんま通わんでええよ。お金かかるじゃろ」
と言われた。
「毎日じゃないけえ」
言い訳のように言う。
「明日、あたしお店お休みじゃけえ、どっかで話さん?」
さえ子は目を見ずに言う。
「ええけど」
「お昼、抜けられる?」
「まあ、なんとかなるわ」
「はい。お釣り。じゃ、駅前で、12時過ぎに待っちょる」
ずっと目を見ずに言って、小走りに厨房に入る。
明日水曜か。昼休みなら抜けられる。なんで昼? まあええか。
 翌日の午前中、親父さんと義正さんとで、店に置く最新のカラーテレビを問屋に取りに行く。11時には戻る予定だ。
「健ちゃん。戻ったら、帰ってええど」
親父さんはそう言ってくれた。
「よし子ちゃん一人じゃ心配じゃろう」
今朝、妹のよし子の具合が悪いと、嘘を言って早引けをお願いした。
さえ子とは中学卒業以来会ってなかった。住み込みで美容院に就職したはずなのに、なんでうどん屋にいるのか。辞めたんだろうか。
などと、つらつら考えているうち、なんだか昼休憩だけで話が終わらないような気がしたからだ。
 ラジオの修理をしながら店番をしていると、電話がなった。時計は10時半を指していた。
ーーはい。木村電器店です。
ーーもしもし、こないだ、洗濯機入れてもろうた田中じゃけど。
ーー先日は、有難うございました。
ーーそれがの。動かすとゴリゴリ変な音がするのよ。
ーー異音ですか。
ーーそうじゃ。買うてすぐじゃし、見てもらえんかの。
ーーあ、はい。申し訳ありません。すぐ行きます。お手数ですが、洗濯物を出して、コンセント抜いちよってもらえますか。すぐ行きますけえ。
 書き置きをして、工具箱と防水マットを持つ。戸締りを確かめて、自転車にまたがって、田中さんの家に急ぐ。おかしい。新品のはずなのに。

「これ、パルセーターになんか挟まってますね」
「なんね。パルセーターちゃ。まだ買うてひと月もたっちょらんのに、もう故障?」
奥さんはおかんむりだ。こういう時は冷静に冷静に。
「パルセーターちゃあ、槽の下についとるプロペラです。まだ、新しいけえ、摩耗とかじゃないんで、多分大丈夫です」
「多分ちゃなんか。不良品じゃなかろうの」
「あ、いえ。外して確かめますんで」
ドライバーでパルセーターを外すと、案の定、薄い石を繋いだネックレスが出てきた。もう紐は切れている。
「一緒に洗っちゃったんですね。これが原因です」
「あ、あ、そう」
旗色が悪くなって、奥さんは急に大人しくなる。パルをはめて回してみると、問題はない。
「直りました」
「そう。有難う」
気をつけください、の言葉を飲んで、故障報告書に記入する。
「保証期間なんで、お代はいいです」
利用者の明らかな不注意の場合は修理費用も取れるが、町の電器屋は、それではやっていけない。サインをもらって頭を下げる。
「また、何かありましたら、いつでもお電話ください」
片付けて、腕時計を見る。12時を回っていた。荷物をもったまま駅に行っても30分はかかりそうだった。仕方ないとペダルを踏んだ。

駅には12時40分に着いた。周りを見回した。もう帰ったかと思ったが、さえ子は立って待っていた。
「すまん。急に修理の電話があって」
さえ子は、作業着姿の俺と自転車の荷台の荷物を見て、フーっと息を漏らした。
「待たせた。すまん」
「よかった」
さえ子は安心したようにニッと笑った。
「よかったって?」
「すっぽかされたかと思うたわ」
「まさか」
「これからお店戻るんでしょ」
「あ。荷物置いたら、また来るけえ」
「ええって」
と、持っていた紙の手提げ袋を差し出す。
「なに?」
「お弁当」
「ああ、それで昼休みなんか」
「金もないのに、お店来てくれるお礼じゃ。これ食べて午後も頑張り」
なんか、今更、今日はこの後、休めると言いにくくなった。
「夕方、また会えんか。今日、休みなんじゃろ」
「弟らのご飯の支度があるけえ、遅うは会えんよ」
「なら、4時。今度は遅刻せんから」
さえ子は少し考えて、返事した。
「5時まででええんなら」
「わかった。じゃ4時ここで」
「うん」
さえ子と手を振って別れた。
店番は義正さんか親父さんに頼もう。早引けなんだ。道具を置いたら、裏の空き地で弁当を食おう。
さえ子の弁当は、一人で食いたかった。

「それで辞めたん?」
公園のベンチに座っていた。弁当箱を返して、近況を喋りあった。俺は電器屋に勤めていること。電気工事士二種の資格が取れたこととかを話した。さえ子は、この春に美容院を辞めて、うどん屋で働き出したことを喋った。
「2年やったけど、結局お給料は安いまんまで、まあ、住み込みじゃし、あんまり文句も言えんけど」
「住み込みは一人なん?」
「うん。店から近いんじゃけど、店長さんが持っちょるアパートで、知った人もおらんし」
「さえ子は家族が多いけえ、一人じゃと寂しかろう」
「そうじゃ。夜は寂しゅうて。でも、仕事教えてもらえるなら我慢もしたんじゃけど。カットもあんま教えてもらえんから」
「そうか」
「毎日、掃除ばっかりで、やらしてもらえるのは、洗髪ばっかりじゃったの。じゃから、おっても仕方ないちて思うて」
「それで辞めたん?」
「うん。店長さんからは辛抱が足らん言われたけど」
「そうじゃったんか。それでうどん屋さんか」
「うん。お給料はちょっと上がったけどーー」
「けど、なんか」
「お店のご主人とか奥さんとか優しいんよ。お客さんもええ人多いし。じゃけど」
「じゃけど、なんか」
さえ子は、手にした弁当箱の入った紙包みを強く掴んだ。
「なんか。健ちゃんはええね。二種の合格とか難しいんじゃろ」
「俺は馬鹿じゃから3年かかった」
さえ子は首を振る。
「健ちゃん、偉いよ。ちゃんと先のこと考えて」
「さえ子も考えちょろう。考えたから辞めたんじゃろ」
「辞めて、うどん屋の店員じゃもの」
「嫌なんか」
「嫌じゃないよ。楽しいよ。でも、ずっとこうなんかなぁ、て思うてしもうて」
「ずっと?」
「うん。ずっと。ずっとこうして生きてきくんかなぁと思うて」
さえ子が、行けるあてもないのに、高校受験したのを思い出した。さえ子は合格して、合格を辞退した。
「夜学、行ったら」
「えっ?」
「その金もないん?」
「うちに入れんといけんし」
「入れんでもええじゃない」
「え、なんで?」
「わがままになり」
「下に弟やら妹やら三人もおるんよ」
「全部の学費、さえ子が出すん。無理じゃ。それなら、さえ子が働きながら学校に行くお手本になりゃええんじゃないの」
「お手本か」
「そうじゃ、今のうどん屋は晩があるけえ、夜学行くんなら仕事変えんといけんけど。俺、親父さんに聞いてみるよ。夜あく仕事ないか。職安もあるんじゃし」
「高校・・・か。三年遅れじゃな」
「何年遅れでもええじゃない。難しいこと、夜学でいっぱい習うて、しっかり勉強したらええんじゃない。勉強、、したいんじゃろ?」
さえ子は視線を下ろした。さっきより強く紙袋を、握っている。
「勉強は、、したい」
「なら、なら決まりじゃ」
俺はさえ子の手をポンポンと叩いた。
「健ちゃん」
「なんか」
「漫画、まだ描きよる?」
「なんか急に」
「上手じゃったけえ、まだ描きよるんかなぁて思うて」
「いや、もう描かんよ」
「なんで」
「ありゃ、子供の遊びじゃ」
「ふうん」
納得いかないような返事をした。
「描きゃあ、ええのに」
「なんで」
「中学の時、思うちょったの」
「なんて」
「私も、健ちゃんの漫画みたいなのがあったらええなって」
「なんぼう好きでも食えんよ」
「食えんかどうか、まだわからんじゃろ」
「いや、食えんよ。どんどん描けんし」
「他で食べりゃあええじゃない。健ちゃん、仕事もあるんじゃし」
「まあな」
「あたしみたいに何もないもんは、お金お金いうて、あくせくしちょる」
「そりゃ、みんな同じじゃろ」
「みんな同じじゃけど、健ちゃんのこと羨ましかったな」
さえ子は立ち上がった。
「帰る。今日はありがとう。夜学のこと、考えてみる」
「うん」
「また、会えん?」
「さえ子がええなら」
「うん。じゃ」
バイバイしてさえ子が帰っていく。後ろ姿を見ながら、さえ子が喋ったことを思い返していた。
「漫画か・・・」
机に突っ込んだまま、たぶん埃を被っているケント紙やら丸ペンやら定規やら、カラス口やらを思った。
漫画か。今は関係ないと思った。

          了

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