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高校留学体験記

留学の理想と現実

高校生で留学する。
今年はコロナ渦に突然突入し、外出自粛やソーシャルディスタンス。あっという間に秋が来てしまいました。
留学を予定していた人は涙を呑んだことでしょう。
コロナが始まる前までは、グローバル化が急速に進んできた中で多くの日本人学生が海外で勉強するようになってきていました。
そんな私もひと昔前に高校留学を果たした一人です。

当時、なぜ私が留学しようかと思ったかというと、通っていた某女子高では、国際科の女学生たちは一年間ニュージーランドに留学するというカリキュラムが3年間の学生生活で組み込まれた当時は珍しい高校に通っていました。
私はというと、そんな華やかなお嬢様クラスとは違い冴えない普通科の普通の生徒でした。
平凡な私がこよなく愛したのが、洋楽でした。
中学生のころ、英語のテストで赤点をとるほど勉強が苦手であった私を夢中にさせたのが、当時流行っていたAvril Lavigneというアーティストでした。
彼女の音楽と出会ったことで、私の成績は赤点から満点まで跳ね上がりました。
何の取り柄もなかった私が英語だけは自信が持てるようになりました。
「留学したい」それだけが人生の目標となった中学3年の夏。
私は意を決して進学先を留学カリキュラムのあるこの高校に決めたのです。
しかし、国際科は落ちてしまい、かろうじて普通科に合格した私は納得できませんでした。
そこで外部機関を頼りました。まず高校入学したその夏、夏休みを利用して短期の留学をしました。

社会人も参加する短期留学プログラムへ

画像2           ↑米国南部に位置する州

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             ↑オクラホマ州立大学
アメリカ、オクラホマ州の田舎町でホームステイをしながら、大学の空き室を借りた短期集中英語学習に参加しました。
社会人向けであったため、私以外の参加者はかなり年の離れた人ばかりだったのを覚えています。
社会人経験を積んだOLの方や、会社経営をしている方など。
私を含めた皆が留学初心者だったので、日本を出発して、テキサス州ダラス空港で国内線に乗り換える際、乗換案内係として現地在住の日本人の方が空港で待ってくれていました。
待ち時間が5時間ほどあり、乗換案内の方と談笑しながら次の便を待つこととなりました。
現地在住の40代の日本人女性は長い黒髪に、よく日に焼けた肌をしていました。

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自己紹介がすんですぐ、彼女は大粒の涙を流し始めたのを覚えています。
突然のことで皆が励まそうとしていると、彼女は話し始めました。
「アメリカ人の主人と子供5人、そして主人の両親と兄弟で暮らしています。黒人一家に嫁いだのですが、継母から嫌われていて私はいじめられているんです。日本に帰りたいと私が泣いていると、子供たちを置いて一人で帰りなさいと言われるんです。お金もないし子供たちと離れたくない。日本から来られた皆さんが羨ましいわ」
衝撃的な発言に皆何も言えませんでした。
初めての海外。初めての飛行機。飛行機酔いし、時差ぼけの私は良い言葉も見つからず。「きっといつか帰れますよ」とだけ声をかけて次の飛行機に乗りました。

当時の国内線は歩いて飛行機のある場所まで行き乗り込みます。小型機だったので大型機より狭く、ふくよかなアメリカ人の方が隣に座った時は、小柄な私の先は半分占領されてしまっていました。

ホストファミリー記事用

私のホストファミリーは郵便配達員として働く白人の家族でした。
両親、娘が一人。そしてヨークシャテリアと猫が2匹。
毎週末に教会へと通い、ベビーシッターのお手伝い。初めての留学は充実したものとなりました。
私の英語学習のため、職場からわざわざお電話をくれたり、同年代の娘さんもたくさんの話をしてくれたので、一か月という短い期間でしたが、話すという訓練ができたのを覚えています。

ただ、他の参加者さんの留学は結構大変だったようです。
ある30代の女性は、ホストファミリーが独身の高齢女性でお世話をさせられたり、40代の男性は会社経営をしているらしく、お金持ちであったため、ホストファミリーに宝石を買わされプレゼントさせられたりしていたのだとか。
帰りの飛行機でお話を伺ったとき、そんなことがあるんだと耳を疑いしました。

帰国後、留学での体験がこの上ない経験となったことがきっかけで長期留学がしたいという願望が生まれました。そこで両親にお願いしましたが、もちろん反対されました。
「次の英語検定で2級に合格すること。」が条件として両親の了承を得ました。これは、当時、国際科の生徒でもなかなか合格しないと言われていた試験でした。

私は見事に1年生の終わり、英語検定2級に合格しました。
普通科の1年生で合格した初めての生徒でした。


そして、また外部の高校留学斡旋専門の企業のプログラムに応募し、そこの試験を受け、留学の夢を叶えたのです。

「長期高校留学へ」とつづく→


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