今年度入試問題検討

全国の国語の先生が集まって、今年度の入試問題について話すミーティングがあるということで参加してきました。

そこでの話と端的にまとめると「今年度入試は授業改善に向かうべしという意図は感じるが、その意図の通りに現場は反応しない、というかできない」ということになると思います。

数年実施されてきた共通テスト。今年の様子を見るに、受験生が点数を取るためには従来型の授業、もしくは問題演習を繰り返すことが一番だという結論になりました。
対話型問題も正解探しの対話を求めることになってしまっています。思考力を問う問題で本当に思考しては時間不足になります。話し合いや主体的な学びより、出題されやすい知識を覚えこんで、選択肢のウソを見抜くテクニックを鍛えた方が点数は上がるでしょう。それが大学が求める力ということなのでしょうか。いや、違う。と思う。(反語?)

むしろ、授業と試験は別物と考えた方がいいのでは?と思いました。そして、大学進学するような人は、試験対策をやった方が進学しやすくなると思います。ただし、引き算なく、足されている傾向にあるため、やることは膨大で、他の事をしている暇は些少です。

対話の中で、「試験は、試験。学びの成果を試すものとしては絶対のものではないのでしょう。試せるものは決まっている。」というお話も出ました。確かにそうだなと共感しました。

現在は、入試が授業を作る関係にあります。しかし、授業の延長線上に入試はあるべきではないのでしょうか。特に共通テストはそうであってほしいです。
現在は、学び合いや個別最適化と対極にあるところにあるスキルを鍛えることを求める試験になっています。

情報処理速度と問題作成者の意図を忖度する力。これが日本が身に着ける力。確かに国内で円滑な人間関係を築くためには重要な要素であるように思います。

されど、従来の教える授業の方が点数をとれる試験だということと、そうではない方向に行ってほしいという出題者の意図の両方が想像できることが悲しいなと思いました。

そのような中、現場ではどうしたらいいのだろうか。という話の中で、総合的な探究の時間で受験勉強をすればいいのではないかという話も出ました。これは、国語の文章の出題や、25年に予定されている図表問題など八日横断的要素のある問題が予定されている中、教科単独での指導は困難だというところからそうなりました。
しかし、総合的な探究の時間こそ個別最適化の場になるように思います。どんな力がつくかは十人十色でなくてはいけないように思います。それも入試が侵食してくることになりそうです。

「入試に関連した探究を」

探究はもっと自由で楽しく、有意義なものが想定されていたのではないでしょうか。本当に入試制度の見直しは、教育、授業改革と両輪です。中央省庁や大学の先生方と問題を共有し、抜本的な改革を早期に実行してもらいたいと切に願う時間でした。

そして、私は主体的な学び、学習者を世界とつなげる教室の価値を捨てきれないので、受験と並走させるというイバラの道に次年度は漕ぎ出さざるを得ないなと覚悟を決めたところです。

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