「評価」について

先日、自身にとって心地よい評価というものがあることを感じました。

恩師に取り組みを評価していただいたときでした。
自分では気づかなかった点でした。大変恐縮するとともに、がんばってよかった、同じ状況を再現できるようにまたやろうと思えたのです。
評価してほしい人からされることが大切なのではないでしょうか。また、すでにあるテンプレートの中からできるところを加点すると点数が入らないところは必然的にできないところとして可視化されます。一つの行動の中に含まれる多面的な要素の中でできたところだけを確認することがよい評価のあり方なのかもしれません。
また、誰に評価されるかもおそらく大切。立場ではなく、人であると考えたときに、一対多である以上、教師が教室全員にとって求められる評価者ではあり得ないということも評価の構造の問題なのかもしれないと感じました。

これは教師の評価、会社の評価にもつながるかもしれません。
価値を評してもらうことで気付くことの大切さを感じつつも、その人に阿るような関係性を醸成してしまうような形式重視の評価の弊害は深刻ですが、いわゆる望ましい評価の形の発見は、両者を相対化することにより、新たな可能性が生まれる余地を感じました。

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