フトウコウはフコウか#03(どんな親で在りたいか)

お疲れ様です。
この記事では、一時期不登校だった息子、
絶賛不登校ライフ満喫中の娘たちとともに暮らす父親の視点で
今の不登校事情の1片をお伝えできればと思います。
今回は#03、どんな親で在りたいかという主観の記事です。
前回の社会性はこちらからどうぞ。
https://note.com/ttn1983/n/nddbfea617dd0

ぼくらがどういう両親なのかはこちらをどうぞ。
https://note.com/ttn1983/n/n890540452f3b


何で学校に行かなくてはいけないの?

前回は学校は学業だけでなく社会性を身に付けるためにもいったほうがいいというけど実際どうなの?みたいな観点で書きました。
今回は、不登校の子供(だろうが関係無いんですが)との付き合い方のようなものを書いてみます。
完全に主観なので賛否両論あって当たり前だと思います。
参考になるならそれで良し、合わないならスルーしてくださいね。

自分に置き換えてみたらそんなこと言える?

なんにも相手の気持ちや自分のこれまでとの違いを理解しようとせず、四角四面に「学校に行け」「甘えるな」「サボるな」「遊ぶな」って言ってる親のなんと残念なことか。
今の時代を懸命に生きてるあんたの子供は、すでにあんたより鬼ほど凄いことに気付いてるのかな?
頭の悪いオトナが自分を省みずに全世界に対して物申せるようになってしまってる時代。
膨大な数のエンタメから個々が好きに選べる時代。
皆と同じテレビ見てれば友達が出来てたのとは根本から違う。

そりゃそういう大人にしか触れておらず、学校に行ってるフリをしたり嘘をついたりしてたら、夢も描かず、他人や社会に対して野次を飛ばし、揚げ足を取り、自分を省みず、奴隷みたいに搾取されて生きる人間になるのも当然なのでは?
ちょっと飛躍している気もしなくもないですが。
それよりも、
「学校に行くことよりも大切なこともある」
「合わない人とは距離を置く」
「いいことはいいと言う」
「下らない嘘は下らないからやめる」
そういう、「つまらないオトナにならないための要件」みたいなものを身につけないことの方が大事なんだと思ってます。

チャンスは存分に提示して、親は楽しそうに生きろ

余談ですが僕は「お父さん」とか「パパ」という自称を用いません。
一貫して「俺」です。そして子供たちの母親のことは「あんたらのママ」もしくは「○○ちゃん」と名前にちゃん付けで通しています。
なぜなら彼女は僕のママではないからです。
彼女は子供たちの前で「ママ」と自称しますが、それはそれ。
僕のことは名前で呼んでくれますから、僕らは僕ら、子供らは子供らと線引きしてくれてると感じます。
とにかく、僕は型にはまることを避けて皆がやってることでもゼロベースで考え、自分はどうが良いのかを考えて決めています。

そして子供たちに一番近い大人として、親の立場を利用したりすることは極力しません。頭ごなしの命令なんてもっての他だと思ってます。自分の食器を洗うのは、そうしないと誰かに押し付けることになるから。つまり自分の勝手な都合を他人に押し付けるなということを体感的に分かって貰いたいので、「○○ちゃんが全部洗うのは違う」と言って「洗ってね」と諭します。

親ってのは一番身近な大人です。人間は周りの人間に合わせたり学んだりしながら生きる事が多いので、要は地球歴の先輩から学ぶわけです。親がいなければ近しい人間から学ぶ。
周りの人間が楽しそうに生きてれば、「あ、こういうのいいな」と思って真似するのは至極自然です。

いいんですよ。
その人の生き方にとやかく口を出すより、経験をただ語り、どう生きるかはその人に委ねる。
決められないなら決め方や考え方を語ればいい。
間違っても「あなたはこう生きるべき」などと言わない。
「考えろ。自分で決めろ。」で十分。
そして、できる限りの応援をする。
言いたいことをぐっと堪える。
自分で決めた道を楽しそうにどっこい生きて、
愚痴や悪口を言わず、よりよく生きる。

そんなのでいいんじゃないんですかねぇ。
ほんとにそう思います。

正解はいらない

生き方にたったひとつの正解なんて無い。
最終的に、自分に正直に、好きなことに熱中できるように生きてれば全部ある種正解なんだと思ってます。

40にして父も母も亡くしていますが、
振り返ればふたりともある意味志半ばでの他界でした。
だからかもしれません、何も成し遂げずとも、それでもいいと思えてしまいます。一人っ子だった僕が3人子供をもうけたんです。3人子供を作れる人間を産んだんですから、バトンを渡す役目は果たしてますよ。
だから両親だって僕だって、あとは楽しく生きりゃいいだけなのかもしれません。
そもそもこれだけ人間が増えてしまった地球ですから、子供を作ること自体が種の存続リレーには過剰なのかもしれませんけど。日本国籍の人は減っていくかもしれませんが、まあ一時的なものかもしれませんし。

とかなんとか考えてみてもやっぱり、
みんな正解探しすぎなのかもしれませんよ。
人と比べて、人の家族と比べて、人の普通と比べて。
そんなのやめて、実は大丈夫なんじゃないんですかね。大丈夫ですよ。

なんて思う、2024年です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?