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『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』 熱狂と悪名の王道ハリウッド

 日本でも配信がはじまった『ウーマン・キング』(2022年)は、北米のサプライズヒットだった。黒人女性客中心に劇場から遠のいていた中年層も動員し、業界予想を25%上回る1,900万ドルスタート。歴史から着想を得た9月映画としてはクリント・イーストウッド監督作『ハドソン川の奇跡』(2016年)以来の成績だった。最終的には9,430万ドルほど稼いだようだが、観てみるとそれも納得。これ、魅力も批判点も『ブレイブハート』(1995年)『グラディエーター』(2000年)『ラストサムライ』(2003年)と似通う、久しぶりの王道歴史エンタメなのだ。

ベタすぎるキャラクター劇

 なんといっても魅力は「ハリウッドの王道」をいく熱きスペクタクルである。舞台は19世紀の西アフリカ。ダホメ族の王につかえる女戦士たちが欧州と奴隷貿易を行うほかの王国と戦っていく。アフリカンな女性護衛隊ということでMCU『ブラックパンサー』(2018年)と比較されやすいが、個人的に思い出したのはジェームズ・キャメロン作品だった。

ジェームズ・キャメロン方式:前半を世界観とキャラの紹介にたっぷりあてる/だからこそ後半のアクションや悲劇にスペクタクルが生まれる/映画を主導するのはわかりやすく個性的なキャラクター、普遍的な関係性(ロマンスや親子愛)

 『ウーマン・キング』は、一般的MCU作品より重く臨場的なアクションを連続させながら、前半の世界観紹介に無駄がない。日本の漫画文化にも通ずるほどベタなキャラばかりなため、観客が理解しやすく没入しやすくなっているのだ。ヴィオラ・デイヴィス演じる女性将軍ナニスカは、寡黙な最強戦士であると同時に暗い過去を背負っている風。主人公ナウィは新米兵士で、なぜか王に買われているが、貞操などのしきたりに反抗して波乱を呼んでいく。彼女の面倒を見るのはラシャーナ・リンチ演じるひょうきんな変わり者、要するに人気になりやすい先輩キャラ造形だ。また、ヨーロッパから来た悪役ポジションの男たちが無駄にイケメンだったりする。

※以下ネタバレ

 入門試験みたいな儀式は男戦士や荊棘を打破しなければいけないハードコア運動会みたいな感じで、もはやジャンプ漫画の実写版みたいな豪華さがある。
 キャラ同士の関係性も、どこもかしくもわかりやくなっている。たとえば、寡黙な女将軍は主人公の危なっかしいチャレンジ精神に厳しい対応をとる。しかし、そんな問題児が夜中ひとりで特訓している姿を見かけ、少女の闘志を静かに認めるのであった……(こんなベタなシーンがヴィオラ・デイヴィスらの名演によって流されつづける贅沢)。

アメリカナイズドな歴史観?

 『ウーマン・キング』の魅力はエンターテインメントに徹しているところだが、その長所こそ短所でもある。じつはこの映画、公開前から議論を呼んだ。現実のダホメ族は貪欲に奴隷貿易に参加していたとされるため「奴隷貿易に反対する主人公一派がほかの王国と戦う」勧善懲悪構図そのものに難があると指摘されていったのだ。出演予定だったルピタ・ニョンゴの降板理由にしても歴史観の相違だと噂されている(彼女が製作したドキュメンタリーは、同部族の残虐行為とその余波を知っていくうちに自身の「フェミニズム幻想」が崩れていく内容らしく、これのあと「自分に合う役ではない」として降板を決めたという)。
 ジーナ・プリンス=バイスウッド監督は、批判について「ダホメ族を悪魔化しようとしたヨーロッパの視点が強い歴史観」の向きがあるとし、製作の際に専門家と考証も行ったと反論している。デイヴィスの場合、監督に同調しながら「物語の大半はフィクションにせざるをえない」と認めている。ともに製作をつとめた夫のジュリアス・テノンの言葉がちょうどいいかもしれない。

我々は『ウーマン・キング』を「エデュテインメント=教育エンターテインメント」と呼んでいます。歴史劇だが、ライセンス(エンタメ要素?)が必要でした。我々は人々を楽しませなければいけないからです。歴史の授業をしてもいいのですが、それだとドキュメンタリーになってしまうでしょう。残念ながら人々が週末に劇場に観に行くような作品にはなりません。歴史は膨大で、そのなかに真実がある。もっと知りたい人は、調べましょう

https://variety.com/2022/awards/awards/viola-davis-julius-tennon-the-woman-king-historical-facts-box-office-1235377450/

 個人的に(不勉強なため)歴史解釈に関してはなんとも言えないのだが、鑑賞中アメリカナイズを感じたことは確かだった。たとえば、実際どんな感じだったかはわからないが、性暴力のトラウマと向きあった将軍がインナーチャイルドについて吐露するところとか、かなりハリウッド式フェミニズムっぽい「感動」シーンだ。(ほぼすべての「歴史」映画で翻案がなされていることが前提となるが)全体的に、米国式エンタメに振り切ったからこその魅力は否定できない。

「ハリウッドの王道」の蘇生

 結局立ち返るところは『ウーマン・キング』が久しぶりの歴史スペクタクル・ヒットということだ。比較された『ブレイブハート』『グラディエーター』『ラストサムライ』にしても、不正確な描写が指摘されてきた。これら名作は他国の歴史を扱いながらあまりにアメリカナイズされていたかもしれないが、それゆえ大衆から愛を受けた当時の「ハリウッドの王道」エンタメだったとも考えられる。しかし2010年代に入ると、こうした悪名を持ち合わせる白人男性主演の歴史スペクタクルはかげっていった(神話系もふくめると『47RONIN』『ノア約束の舟』『エクソダス:神と王』『キング・オブ・エジプト』『ベン・ハー』『グレートウォール』などの連続不発がハリウッドのトラウマと化した)。

アメリカ映画の原点に立ち返るような『NOPE』のハイライトシーン

 2020年代にあらわれたサプライズヒット『ウーマン・キング』は、ハリウッド潮流にも沿っていた。近年、白人男性主軸の歴史大作といえば『オッペンハイマー』や『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』といった「白人英雄像の批判的解体」が人気を博している。対して「古典的英雄譚」は、これまであまり描かれてこなかったマイノリティ主軸によるリブートが活気的だ。よく挙げられてきたのは『NOPE/ノープ』(2022年)や『プレデター:ザ・プレイ』(2022年)だが、将来的には本作こそ最たる例になるだろう。『ウーマン・キング』が証明したことは、軽視されつづけてきた女性主軸ブラックムービーが「ハリウッドの王道」に並べること、それどころかアメリカナイズドな「歴史スペクタクル」を蘇生してみせたことである……たぶん、良くも悪くも。

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