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ヴァージルのマイケル・ジャクソン考「メンズウェア革新において最も重要な人物」

 CINRA追悼記事でヴァージル・アブローについて調べるなか知ったのですが↓

 ヴァージル・アブローのLouis Vuittonメンズの第一〜第二コレクションって、彼が敬愛するマイケル・ジャクソンをリファレンスする連作でもあったようです。

SS19:We are the world

 虹色のストリート(道)をパリに創り出したファーストコレクション。タイトルは「We Are The World(我々こそ世界)」であり、マイケル・ジャクソンが参加したチャリティソング。


https://eu.louisvuitton.com/eng-e1/stories/men-spring-summer-2019-collection

 さらに、「幼児期、小児期、青年期」テーマの第一章では『オズの魔法使い』をブラックネスに解釈したダイアナ・ロス主演映画『ウィズ』をリファレンス。同作にはマイケルがかかし役で出演しています。


FA2019: Wanna Be Startin’ Somethin’

 "Wanna Be Startin’ Somethin’"!ということで、次なるコレクションは直球のマイケル・ジャクソン・トリビュート。デヴ・ハインズを招致して「BIllie Jean」のマンハッタン・ストリートを再現しました。最後には光る床が……!

 マイケルのシンボルである手袋の招待状も話題に。

 コレクションアイテムも結構細かいリファレンスですね↓

「マイケル・ジャクソンはメンズウェア革新において最も重要な人物」


 ……というのがヴァージルの弁で、セカンドコレクションに関しては「マイケルの音楽をかけるとファッションの決まり具合も変わる、その音楽の重要性」にフォーカスしたものらしいのです。しかし、マイケル10周忌の同コレクションは、ドキュメンタリー『ネバーランドにさよならを』での告発を発端としたスキャンダルとぶつかり、Louis Vuitton側が直喩的アイテムを取り下げる事態となりました。ドキュメンタリーと騒動概要はこちらの記事当時の顛末は拙著マイケル・ジャクソン章で紹介したのですが、2021年に振り返ると「そうした未確定炎上沙汰の企業対応が今より定まっていなかった時期だった」ためにVuittonが損切り逃げ腰した印象ではあります(本当に関連性を切りたいなら全アイテムをカットしろよという感じだったので)。
 渦中「自分はマイケルのライトサイドにフォーカスした」旨を明かしていたヴァージルですが、この混乱あってコレクションについてあまり発信記録が残っていないんですね。しかし、ショーで提供されたノートには、彼のマイケル考が宿っています。ヴァージルあるあるで翻訳しにくい文体なので、誤訳もあるだろう雑さで申し訳ないのですが、以下のようなバイブとなります。

想像しよう。1950年代、インディアナの貧しい環境に生まれた生まれた男の子のことを。想像しよう。50年後、その男の子が地球上で最も知られる団結の象徴になったことを。かつて、その子は、我々にとって当たり前の概念だった人間性を、世界で最も魅力的なアイデアへと変身させてみせた。その天の才は、少年を比類なきフェイムへと押し上げた。彼の少年期、ティーンエイジ、青年期は、世界中の視点に晒された。途切れることのなく在り続けたその存在、生命、呼吸、発育は、全人類の成長の参考にされていった。
 しかし、この少年は、人生よりも巨大な存在であった。魅惑的演義により、世界中の多様な群衆を一つにし、あらゆる人間がつながれる一つの道標を与えた。彼の芸術は、誰にとっても触れやすく身近でありながら、他のアーティストをはるかにしのぐ社会的インパクトを持ち合わせていた。人生の段階を経て、彼は、私たちと同様、常に変化を余儀なくされていった。フットステップは無重力ダンスとなり、ため息は脈動するビートへ変容し、彼を取り巻くすべての一般的オブジェクトは新たなる光をもたらされ黄金に塗り替えられた。彼が持っていたただ一つの特権とは、才能だ。日常を高め、生活の構成要素に新たなる意味を与える、超人的な能力。
 彼の独創性によって、身近な定番ワードローブが特別な存在になった。ジャケット、グローブ、靴下、帽子すべてが、畏敬の念を抱かせるアイテムになっていった。少年時代の産着から思春期のシルエットまで、少年のドレッシング解釈は、公の場で進化していった。少年は、生涯を通じて、この世のものとは思えないと同時に誰もが見知ったようなワードローブを構築していった。世界中から観察されるなか、少年期から成人期にかけて変容していく男性のドレスセンス・スタディ唯一の記録にもなったのが、彼の人生だ。自身のコントロールを遥かに超えて巨大な存在となった例でもある。
 世界を前に成熟した彼のルックは、年齢とともにめまぐるしい変化を遂げていった。運命、そして進歩的なアイデンティティ・センスによって、彼は規格外の文化現象、永遠なる奇跡となった。地球上すべての人間が、彼に自分を重ね合わせられたのだ。子どもから大人まで、全員が喝采した。時代のはるか先を行っていた少年の革命は、今なお鳴り響く。その男の子は、かつて私たちと共に歩いた。マイケル・ジャクソンは、ここにいた。
https://www.forbes.com/sites/josephdeacetis/2019/01/30/the-primitive-and-prophetic-message-from-virgil-abloh-at-louis-vuittons-mens-paris-fashion-week/

 この文章は、ヴァージルがデザインを通して表現しようとしていたこととマイケルというアイコンの関連性が際立ちます。「ストリートウェア」を体系化させ「日常的な既存オブジェクトの再解釈」にもこだわっていた彼は、特にLouis Vuittonで「成長段階とメンズウェア」「子どもの無限な想像力、それを成長してからも持つこと」をテーマに掲げていました。この「」4つは、全てマイケルが大衆化させた要素とも言えます。そして、CINRA記事で触れたヴァージルのVuittonラストコレクションは、まさにこれらを描いていました。そのコレクション名"Virgil Was Here"は、上記の最後の言葉"Michael Jackson was here."と同じ"確かにそこにいた"記録とエートスの強調となっているのです。

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