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「才能よりねばり強さが重要」ロジャー・フェデラーの演説

 2024年6月、米ダートマス大学卒業式にてロジャー・フェデラーが演説を行った。フェデラーといえばテニス界の伝説だ。20回におよぶグランドスラム優勝数は歴代3位。優雅なプレイで知られるテニスの貴公子だった。つまるところ天賦の才のかたまりである。そんな彼が語った才能論は蓄積に富むものだった。「天賦の才よりねばり強さが大事」。

三つの教え

 人生の転機を前にした卒業生に教えられたフェデラー・レッスンは三つ。

① 「楽々」は神話(でまかせ)
“Effortless”… is a myth.
②  1点はただの1点
It’s only a point.
③ 人生はコート(試合場)より大きい
Life is bigger than the court.

 とくに興味深い部分を和訳してみよう。前提として、フェデラーは演説の冒頭を学校への賛辞に宛てた。競技を引退し「人生の転機」を迎えたばかりの40代として、卒業生と立場を重ねあわせている。以下、意訳。

 テニスの卒業生として、今の人生を楽しんでいます。私の卒業は2022年、あなたがたは2024年なので、私のほうが先輩ですね。本日シェアしたいのは、人生の変化を通したいくつかのレッスンです。名づけて……テニスレッスン。大学後の世界で有益となりますように。さぁはじめましょう。

① 「楽々」は神話

「優雅」と讃えられてきたフェデラーのプレイ

 「楽々こなしている」。何度も言われつづけてきました。私の試合は楽に見えたのです。「汗ひとつかいてない!」「努力すらしていないんじゃないか?」……褒め言葉ですが、言われるたび腹立たしかった。実際には、楽に見えるようになるまで、膨大な努力をしていたのです。何年ものあいだ、泣き言を言って、悪態をつき、ラケットを投げたりしていました。平常心を保てるようになるまで。
 転機は、キャリアの初期、イタリアンオープンの対戦相手が私のメンタル統制を疑ったときでした。「ロジャーは最初の2時間は試合をリードするが、そのあと自分がまさる」と。混乱しましたが、やがて理解できました。誰しも前半はうまく戦えるのです。体力もスピードもあって、思考もクリアだ。しかし後半になると、足がぐらつき、心は散漫になり、規律が弱まっていく。こうして、自分がやるべき膨大な努力、攻略可能な道筋を掴むことができたのです。元々、両親もコーチも指摘してくれていたのです。今となってはライバルたちも同じように思っていたのでしょう。あぁ、選手たち、ありがとう! 永遠の感謝を。
 こうして、私はさらにトレーニングしていきました。膨大な努力を積んだのです。そして気づきを得ました:楽々と勝利したように見えることは、究極の成果(結果)だ。私はよくそんな風に言われてきました。試合前のウォームアップが軽めだったので、懸命に鍛錬を積んでいるとは思われなかった。しかし、積んでいたのです。大会前、誰にも見られずに。みなさんもダートマス大学で似た経験をしていませんか? 成績優秀な同級生が軽々こなしているように見える…自分ときたら、徹夜してカフェインを大量摂取して図書館の隅でひそかに泣いていたのに。そのような方々も、私と同じく「楽々」が神話(でまかせ)だと学べていたら幸いです。

 私は純粋な才能それのみで現在の地位に至ったわけではありません。ほかの人々より努力したからここに来られたのです。私は自分を信じていました。努力なくして自信は得られません。
 自信を得られたのは2003年、ATPファイナルズでした。尊敬していたトップ8選手を倒していきました。彼らの得意領域を狙い撃ちしたのです。それまで狙っていたのは苦手分野でした。フォアハンドが得意な相手ならバックハンドを標的にしたり。対して、同大会ではその人のフォアハンドを攻めた。ベースライナーにはベースラインを。アタッカーにはアタックを。ネットラッシャーにはネットへ。何故リスクをとったかというと、試合を高めて己の選択肢を広げるためでした。全領域で強くなくてはなりません…そうすれば、なにかが崩れても、ほかのなにかが残っている。あの時のようにうまくいっていれば勝つのは簡単です、比較的。しかし、調子が悪いときもある。背部痛、膝痛、病気の可能性、恐怖心。それでも勝つ道を見つける。そうやって得た勝利こそ一番の誇りになるのです。最高の状態でなくても勝てる証になるから。
 才能は重要です。否定しません。ただし、才能の定義は幅広い。ほとんどの場合、天賦の才より重要なのがねばり強さです。テニスの才能とされやすいのはたくみな高速フォアハンド。ですが、人生と同じく、規律も才能です。忍耐もそうです。自信も才能であり、プロセスを受け入れて愛することも才能です。人生と自分自身の管理も才になりえますね。こうした素養を生まれ持つ人もいますが、それでも努力は全員しなくてはいけない。
 卒業生のみなさんは、今後、こんなことも言われるでしょう。「ダートマス卒なのだからなんでも楽々こなせる」。まぁ、そう信じさせておきましょう……事実ではない(あなたが懸命に努力している)かぎり。
 さぁ、二番目のレッスンです。

② 1点はただの1点

 説明させてください。限界まで努力しても…負けることがあります。私が実例です。テニスは過酷な競技で、大会はつねに同じ終わりを迎える。トロフィーを手にする選手は一人だけ。ほかの全員は帰りの飛行機で窓の外を見つめながら考え込む…「どうしてあのショットをミスったんだ?」。想像してみてください。本日の式で卒業できるのは一人だけ。おめでとう、今年の卒業生! 彼女に盛大な拍手を! のこりの皆さん…千人もの皆さん…次回に期待しましょう! というわけで、私は負けないようつとめてきました。それでも負けました。ときには盛大に。

 私の人生最大の敗北のひとつに、2008年全英オープン決勝があります。ラファエル・ナダル相手で、史上最高の試合とも言われています。さて、彼には敬意を払いますが…私が勝って終わったほうがもっと良い試合になっていたでしょう。あの敗北は大変でした。ウィンブルドンの栄冠はなによりも大きい。もちろん、ダートマス大学のピンポン大会を除いてですが(※ジョーク)。私は世界中の素晴らしい会場でプレーしてきましたが、ウィンブルドンのセンターコートとは、テニスの聖堂なのです。そこでチャンピオンになる瞬間にかわるものはない。2008年、私は六連続優勝という歴史的快挙を前にしていました。試合の全容についてははぶきます。語るには数時間…5時間ちかくかかる。その日の試合は雨で遅れて陽が沈んでいた。まずラファが2セット勝って、私はその次の2セットをタイブレークでとり、5セット目で7対7に。だから、終盤が注目されやすい試合ですね。最後は暗すぎて芝生すらほとんど見えませんでした。ですが、振り返ってみると、最初の数ポイントで負けた気がするのです。ネットごしに見えた相手は、数週間前の全仏オープンで私を叩きのめした男でした。だから、こう感じてしまったのです。「こいつは自分よりハングリーなんじゃないか、ついに私の弱点を見つけたのかもしれない」。こう思えようになるまで3セットかかりました。「おい、お前は5回も防衛したチャンピオンだろ! いずれにせよ、今はコートの上にいる。どうすればいいかわかるだろ」。遅すぎました。ラファが勝った。当然の結果だ。

2008年全英オープン、二位としての表彰式

 負けのなかにも、とくに痛ましい敗北がある。あの時、もう六連続優勝はできないとわかっていました。ウィンブルドンで負けた。ランク首位の座を失った。さらに、急に言われるようになった。「フェデラーは偉大なキャリアを築いた。ついに世代交代か?」。それでも、自分が何をすべきか知っていました…努力しつづけて、競いつづける。テニスで完璧は不可能です。私のキャリアにおいて、通算1,526試合の勝率は8割。ポイント獲得率はどうでしょう? たった54%でした。つまり、トップ選手でも半分強の点しかとれないのです。半分のポイントを失うのが平均。やってみれば、すべてのショットをとらなくてもいいと学べるでしょう。そして、自分に言い聞かせられる。「ダブルフォルト(二連続での失点を)しても、1点だ」。歴代トップ10級の凄まじいバックハンドスマッシュだろうと、1点に過ぎないのです。

雪辱の翌年、5セットの激戦の末ウィンブルドンを制し15度回目のメジャータイトルを獲得

 ここからが伝えたいことです。試合中、1点をとることは最重要事項です。しかし一旦過ぎされば、その点は過去のものになる。この心構えこそ重要なのです。そうとらえれば、自由になって、次の1点、また次の1点にクリアな意識で取り組むことができる。人生の試合がなんであれ…誰しも必ず敗北を経験します。1点、1試合、1シーズン、1つの職を失ったりするのです。人生とはジェットコースターのようなもので、上昇と下降にあふれている。落ち込んだときには、自分に対する疑念、憐憫を抱くものです。同時に、競争相手だって自己疑念を抱えるのです。このことを忘れないで。
 しかし、ネガティブなエネルギーは労力の無駄です。私にとってチャンピオンとは、困難克服の達人です。すべての点で勝つから世界最高の選手になるわけではない。自分がこの先何度も負けると知っていて、敗北にうまく対処できて、そこから学んでいけるからこそ最高の地位にあるのです。敗北を受け入れましょう。必要なら泣きなさい。そして、無理にでも笑顔をつくるのです。前進しましょう。ねばり強くありなさい。適応して成長しつづけて。懸命に、賢く努力しましょう。ここは覚えておいてください:賢い努力を。

③ 人生はコートより大きい+概要

 和訳終わり。このあとの3つ目では40代にいたるロングキャリアの秘訣に入る。テニスコートが大学寮室数個分の大きさしかない情報からはじまり、自分が燃え尽きなかった理由は試合場の外の旅や慈善活動、人との交流にあったと語っていく。つまり卒業生の専攻、将来の仕事以外にも大事な可能性がひらけているとの教え。最後に校友の絆を讃える。「自分はテニスを辞めて元テニス選手になりましたが、あなたがたは永遠にダートマス生です」。やっぱりフェデラーは優雅なのだ。
 ちなみに、このタイミングで選手生命の最後を追ったドキュメンタリー『フェデラー 〜最後の12日間〜』が配信される。Amazonプライムビデオ2024年6月20日公開。



よろこびます