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バンクシーのシュレッダー事件、サザビーズが再・細工した説
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バンクシーのシュレッダー事件、サザビーズが再・細工した説

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 東京芸術大学大学院教授、毛利嘉孝による『バンクシー~アート・テロリスト~』を読了。 

 アーティストのキャリア概要ならず、ルーツとなる文化周辺まで読みやすく紹介してくれていい入門本なのですが……腑に落ちたのが、波紋を呼んだシュレッダー事件について。概要→2018年、代表作"Girl with Balloon"が、オークションハウスSotheby'sで落札された途端バラバラに。バンクシーが額のなかにシュレッダーを仕込んでいたのだ……! 
 サプライズは大きな話題を博し、断裁によって同作の価値は高まりました。当時の落札価格は104万ポンド程度でしたが、断裁によって"Love is in the bin"に改名されたあとの再出品で18倍の1858万ポンドほどに(当時AFP換算では1.7億円→29億円)。無論、バンクシーの他作品の価格もブースト気流に。

 サザビーズ側は「我々も衝撃」と発表しましたが、当然のように当時から「アーティストとオークションが組んだヤラセ」を疑われてました。バンクシーは「作品すべてが断裁されるはずだった」と明かすリハーサル動画をアップ。
 そのハイプっぷりは日本にも及んだわけですが……『バンクシー~アート・テロリスト~』では、この「ヤラセ疑惑」にまつわる推察が述べられています。「バンクシーのチームがサザビーズに事前交渉するのはメリットがあまりないように感じる」旨を述べる毛利教授ですが、その一方で「サザビーズ側が事前に仕掛けに気づかなかったとは考えにくい」と。その理由は、ずばりシュレッダーが仕掛けられていた額↓


https://www.sothebys.com/en/buy/auction/2021/contemporary-art-evening-auction-2/love-is-in-the-bin-2


https://www.barrons.com/articles/banksys-shredded-girl-with-balloon-returns-to-sothebys-01630665975

 シュレッダーを内蔵した"Girl with Balloon"額装は、見るからに厚くて巨大、重そうです。これは、作品としても不自然。高価格作品の真贋/状態チェックを緻密に行うサザビーズが、事前に仕掛けに気づかないなんて有り得るのか? この疑惑は、シュレッダー事件当時からNYT(1,2)に報じられています。たとえば、会場にいたディーラーは、オークション前の展示で「明らかに厚すぎて不釣り合いな額装だ」とスタッフに指摘したと明かしています。つまり、業界人からしたらそれくらい「見るからに不自然な額装」なわけです。さらに、有名作にも関わらず、展示の場所も来客が行きにくいケータリング横だった。オークション本番では、目玉作品に関わらず、人が減る最後の出品なのもおかしい(おそらく、シュレッダー・サプライズを最後にしないと混乱するから)。アラームが鳴って断裁が始まった際も、サザビーズの競売人は平静を保ってパフォーマンスしたとも書かれています。

 ここで、毛利氏が推測するのは、サザビーズが「手を加えた」疑惑。シュレッダーの起動をわかっていたから、作品すべてが切られることを防ぐため「断裁が途中で止まるような細工をしたかも」しれない、と。それなら、バンクシー側の「作品すべてが断裁されるはずだった」言い分が通ります。加えて、断裁が途中で止まったほうが、アートゲームでの「価値」が高まるであろうこと……つまりはオークションハウスが得をする展開は簡単に予想できます。

 無論「最初からオークションハウスとアーティストのヤラセ」支持派も残っています。ただ、サザビーズが狡猾に仕掛けを加えた説をとると「なんでも換金する現代アートゲームを皮肉ろうとしたバンクシー側こそが美術界権威に一杯食わされてしまった」構図になるわけで、そちらの方が哀愁漂うかもしれません。

 毛利教授は、このシュレッダー事件を現代アート、そのマネーゲームの存在を普及させた功績は認めながら、美術作品としてはあまり評価していません。

しかし、その一方でこの作品が手放しで素晴らしい歴史的な作品かどうかといえば、個人的には一定の留保をつけざるをえません。
  というのも、バンクシーのアート・マーケット批判やオークション批判自体が、ある時期から反復的になり、ある種のシニシズムが色濃く出るようになっているからです。今回のスタントにもそれを感じざるをえません。
  そのシニシズムとは、アート・マーケットの自己反省性が高まりすぎていることから生まれています。つまり、ありとあらゆる制度批判が、過激であればあるほど、マーケットの中で高く評価され、新たな商品として消費されるようになるという皮肉な矛盾が生まれているのです。
  バンクシーの作品が裁断されたあとに作品の評価額が倍増したということが、この事実を端的に示しています。

毛利嘉孝『バンクシー アート・テロリスト』(光文社新書)

 こうした「カウンターカルチャーが批判対象の後期資本主義に組み込まれてしまう構図」は、バンクシー自身もシニカルに認めてきたわけですが、そのシニシズムすらハイプに到達しきったのがシュレッダー事件、というのが個人的な印象です。資本主義の大量生産をある種ユートピア的に視たアンディ・ウォーホルを脱構築するように登場したのがバンクシー……という話も『バンクシー~アート・テロリスト~』に出てくるのですが、その彼の「なんでも組み込む後期資本主義へのユーモラスなカウンター文化政治」スタンス自体も、この事件の顛末で一区切りがつききったというか……「そういうコンテキストはもういいよ」なお腹いっぱい状態であります(余談ですが、本書でバンクシーのパンク精神の源流にあるとされるのが『マトリックス レザレクション』記事でも紹介したギー・ドゥボール)。翻せば、次の現代アートのスターはどんな方向性を打ってくるか、という楽しみもあるわけですが。

 『バンクシー~アート・テロリスト~』はいい本で、シュレッダー事件ひとつとっても陰謀論的な推測は避けているのですが……ここでmy陰謀論を繰り出すの読者の面汚しになるんですが、なんか個人的には、シュレッダー事件くらいからバンクシーの中の人が変わったのでは?と感じるんですよねぇ。大型プロジェクトをやるようになったバンクシーは有能なるチームで動いていることが本書に説かれてるのですが、元祖バンクシーが抜けていなくとも、運営体制とか変動したんじゃ?と疑うくらいに作品/パフォーマンスの品質やコンテキストが変わっていった気がしております。


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