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『アッシャー家の崩壊』真に同情されない(多様な)人々

 Netflix『アッシャー家の崩壊』は、マイク・フラナガン・ユニバースのなかでもひときわ派手だ。『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』が弦楽四重奏なら今作はヘビーメタルと紹介されたように、色鮮やかに大金持ちの一族が死んでいく。超富裕層を痛い目に遭わせる「イート・ザ・リッチ」ジャンル流行に乗ってることは明らかだ。当然、家族はクズぞろい。子どもたちが全滅したことは冒頭で明かされるため、視聴者が追うことになるのは連続死の真相であり、クズたちがどんな死に様を遂げるかということである。

「国難」の犯人たち

 背景情報のひとつは、アッシャー家のモデルがおそらくサックラー家であることだろう。概要は上記『DOPESICK アメリカを蝕むオピオイド危機』予告編を見てほしいが、依存性の強いオピオイド系鎮痛剤は21世紀アメリカの国難と化している。有名人では歌手プリンスの死因がこの過剰摂取とされ、カニエ・ウェストも入院した際に依存症となったと明かしている。この薬をポジティブに売り出したのが『アッシャー家』と同じく国に起訴されたサックラー家の製薬会社だった。日本からするとピンときづらいが、特に米国視聴者にとって、アッシャー家とは身近な驚異なのだ。この背景があるからこそ、キャラたちの「死んでいいクズ」度が増す仕掛けになっている。

※以下ネタバレ

 子どもたちの死因もすべて製薬企業関連である。廃棄物、情報操作、ドラッグ、医療実験、擬似科学と、社会に悪影響をもたらす違法行為のオンパレードだ。彼らは親の被害者だが、同時に有害な行為をやめれば死を避けることができた。ただし、唯一「綺麗な善」の孫娘だけは非業の死としか言いようがない。これらまとめて、老人による製薬企業が次世代を犠牲にしつづける構図を形成している。

魔術のおかげミステリ

 「名だたる富豪と比べてもアッシャー家が最大の死を生んだ」セリフも、そう非現実的ではないかもしれない。2010年代「国民130人に1人が依存」といった数字が飛び交ったオピオイド危機は、追跡できるだけでも第二次世界大戦を越える死者を出したとされている。
 国難級の巨悪が「魔術的な超常現象によって無双できていた」とするのがこのドラマだ。こうしたミステリ要素は、マーク・ハミル演じるピムのまわりに痕跡がある。劇中、死体が山積みになった大量殺害現場に足を踏み入れることを簡単に許されるし、次女邸でも堂々証拠を押収している。一方「国家陣営に対して一人で十分」と評されるほどの傑物であるはずなのに、スマートフォンのロック解除を外注することもできず、長男にわたしてしまう。この老人がフィクサーでいられたのは、雇い主が結んだ「捜査もされず成功できる」契約のおかげである。

マデリーンは母親を反面教師にするように力を求めて避妊を選び不死を望むが、母親と同じ最後を遂げる

 「イート・ザ・リッチ」ジャンルには「超富裕層には仕事の実力もない」設定が多いが、今作の場合「魔術のおかげ」がそれにあたる。ロデリックは妹がいなければ詩人になっていた存在で、それなら妻と別れないだろうから、婚外子たちは生まれず長男が歯科医になっていただろう。一方「どの人生でも力を求める」マデリーンだけ「実力」を持っていたが、サイコでもあるから視聴者の同情が妨げられるあたり、刺激と統制のバランスがとれている作品である。

「まとまり」のいいセクシュアリティ

 エドガー・アラン・ポーにくわえてジャッロホラーが踏襲されただけたり、性も重要な要素だ。たとえば、プロットツイストのひとつに「マデリーンに操られる哀れな男」に見えたロデリックの鬼畜さがある。避妊に徹した妹とは対照的に、長男長女の早逝を確約したあと4人もの子をつくっていたのだ。これには対人観のちがいもあるだろうが、生殖において身体に子どもを宿す女性と無責任になれる男性との差も感じさせる。男嫌いのマデリーンが兄のかくも「男性的」な無鉄砲さを尊敬していたというは、皮肉かつ根源的だ。

家族会にパートナーを同伴させる独身はヴィクだけ

 子どもたちの多様なセクシュアリティも効果的に機能させている。六兄弟のうち異性愛者はマイノリティで、結婚しているのも真っ当な母親のもと育った期間が長い長男長女だけだ。ただし、二人ともそのトラウマゆえにこじらせまくっており、両親との生活を覚えていそうなフレディは一夫一妻主義を残虐な支配欲へと変えてしまう。タミーは寝とられ好きというよりも、他者とのつながりを恐れるあまり夫と「自分の代替」を通してじゃないと性的関係を持てない風だ。シングルマザーのもとからさらわれたかたちの婚外子たちも歪んでいる。たとえば三女カミーユは、権力を濫用したS&Mでしか快楽を感じられない。
 ファンの指摘で気づいたのだが、この多様さと不健全さにより、子どもが六人もいる大金持ちの孫が一人でも不自然じゃなくなっている。セクシュアリティや性描写が終着点たる「無実の死」への下地としても機能しているのだから見事なものだ。「真の豊かさ」を持つ者が同性婚をしている結末によって非異性愛のネガティブ化(と思われかねない隙)は防がれているあたり、やはり器用なバランスをとっている。結局のところ、六兄弟はどんなに属性であろうと「大金持ちのクズ」として共通している。
 『アッシャー家の崩壊』は、フラナガンのNetflix最終作にしてかなりNetflix的だ。キャッチーなトレンドや「多様性」ふくめて、どこか味気ないくらいバランスよく構築されたエンターテインメントである。『ヒルハウス』より評価は劣りそうだが、そのぶん勢いにまかせたイッキ見に向いている。

よろこびます