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【全文公開】ジャスティン・ビーバー:セレブリティとキリスト教 (『アメリカン・セレブリティーズ』より)

2020年4月30日発売の書籍『アメリカン・セレブリティーズ』から「ジャスティン・ビーバー:セレブリティとキリスト教」章の全文試し読みとなります。Amazonでのご購入はこちら。

■15歳のスーパースター


1993年、17歳のカナダ人パティ・マレットは決断を迫られていた。性的虐待のトラウマに苦しんで、鬱を患い、アルコールやドラッグを乱用するなか、妊娠してしまったのだ。周囲からは人工中絶をすすめられたが、彼女は出産を決意する。過酷な環境で生まれた息子の泣き声を初めて聞いたとき、パティは雷に打たれたような衝撃を受ける。 「おかしなことを言ってる自覚はあるんだけど……彼はまるで歌ってるようだった。歌ってたのよ」今では、彼女の感性を揶揄する人はいないだろう。その赤ん坊は奇跡の子だった。こうして、のちにたった15歳で世界を虜にしてしまうポップスター、ジャスティン・ビーバーが誕生した。

(母パティと息子ジャスティン)

ジャスティンが生後10カ月の頃離婚したパティは、シングルマザーとして、人口たった3200人の町の低所得者用住宅で懸命に息子を育てていった。彼女いわく「神様が力をくれた」愛息子はすぐに音楽の才能を発揮するようになる。町の人々は彼を支援し、教会コミュニティに至っては募金イベントまで催してドラム購入費用を贈ったという。〝神童〟ジャスティンは、12歳になると町中で歌いはじめ、3000ドル近く稼いでみせた。

母親がYouTubeにアップしたジャスティンのビデオを発見したのが、アメリカのヒップホップ・マーケター、スクーター・ブラウンだ。少年の歌声に惚れ込んだこの男は、あの手この手で連絡先を調べ上げ、懸命に母親を説得してみせた。そこからは一瞬だった。アメリカへ渡ったジャスティンは、スクーターのレーベルと契約。ソーシャルメディアの力もはたらき、デビューからたった1年半で大型スタジアムのチケットを完売させ、アメリカ合衆国大統領の前で歌唱するまでのスターになっていた。このときジャスティンは15歳。Billboard HOT200ナンバーワンも獲得し、滞在ホテルの前に女子の大群を発生させるほどのムーブメントを生み出していた。

■ジャスティンをアメリカから追放せよ

(映画『ジャスティン・ビーバー ネヴァー・セイ・ネヴァー』予告編)

デビューしたてのジャスティンは「いい子」風なキリスト教徒だった。2010年のコンサートを追うドキュメンタリー映画『ジャスティン・ビーバー ネヴァー・セイ・ネヴァー』では、友人と昼食の前にきちんとお祈りして神に感謝を述べているし、映画興行ではキリスト教徒向けマーケティングも行っている。しかしながら、10代の終わりにさしかかる頃には、音楽界を代表する「バッドボーイ」な問題児になり、とにもかくにも非行を繰り返した。ナイトクラブで掃除用のバケツに放尿し、壁に飾られたビル・クリントンの写真にスプレーで落書きする映像が流出した際には、元大統領その人に謝罪の電話をかけるまでの騒動に至っている。ペットの猿をドイツの税関で取り上げられ、そのまま放置したエピソードも顰蹙を買う。夜遊びも盛んになり、ストリップクラブでは札束をばらまいたし、ブラジルの売春宿から帰る場面を撮られたりもした。2014年には、免許切れの身でランボルギーニに乗って爆走レースを行い、ついにアメリカで逮捕された。この際、アルコールのほか、大麻と処方薬を摂取していたことが明らかになっている。

(2014年 逮捕時のジャスティンの写真)

マネージャーとなったスクーター・ブラウンは、非行に走るジャスティンが「いつか死ぬのではないか」とひどく心配していた。それもそのはずだ。彼が15歳の頃から行っている大規模コンサート・ツアーはベテランでも相当にキツい。パパラッチや一部の熱狂的なファンはいつなんどきも彼を追い回した。さらにいえば、10代の頃のジャスティンは北米でひどく嫌われ、軽んじられていた。比較的細身でかわいらしい顔立ちの彼は女の子たちの憧れになった反面、キャリア初期より「生意気で滑稽な子ども」として大々的なバッシングに曝されていたのである。初期のヒット曲「Baby」(2009年)のミュージックビデオは数年間「YouTubeで最も低評価されたコンテンツ」記録を独占した。人種差別的なジョークソングを歌うロウティーン時代の動画が流出したことも影響したのだろう。「ジャスティンをアメリカから追放しカナダに強制送還せよ」と請願するオンライン署名は1週間たらずで10万人超え。2012年にはジャスティンを殺害し睾丸を切り落とす犯罪計画を立てた男が逮捕されている。

マイアミで逮捕された2014年、ジャスティンは心身ともにボロボロだった。アルコールと抗うつ剤を過剰摂取していたため、就寝時はボディーガードが息をしているか確認しにくる生活だったという。数多の女性と性的関係を持ったが、同時に「女性を大切にせよ」という母の教えを守らぬ自分を恥じつづけた。罪悪感も働き、母親とは疎遠になっていた。ある日、ジャスティンは鏡に映る自分を見て泣きはじめた。そして、その場にいた旧知の牧師に跪き、涙ながらに懇願する。「イエス・キリストについて学びたいです」そのまま牧師とともに祈ったジャスティンは唐突に福音を授かる。「僕に洗礼を受けさせててください!」彼を救ったのは信仰だった。

■「バッドボーイ」から「敬虔なクリスチャン」へ

福音を授かったジャスティン・ビーバーは再起をはかる。それを支えたのは、彼に洗礼を授けたキリスト教プロテスタント、ヒルソング教会の牧師カール・レンツである。牧師は、妻子のいる自宅にジャスティンを招き入れ、1カ月半の共同生活を送った。荒廃したライフスタイルから抜け出したジャスティンは、牧師のもとで熱心に聖書を熟読し、専門家の助けなしに薬物依存から抜け出したうえ、なんと禁欲まで誓う。彼のソーシャルメディアには聖書の言葉が増えていった。変化は大衆の目にも明らかだった。

(逮捕写真の頃からの回復を表明する2017年Instagram投稿)

2015年にリリースした「子ども向けポップスター」からの脱却を志した4thアルバム『Purpose』は大ヒットを記録。同年、MTV VMAで披露した「復活パフォーマンス」では感極まって涙し、万雷の拍手に迎え入れられる。禁欲生活から1年経った頃には、教会にてモデルの元恋人ヘイリー・ボールドウィンと再会し復縁。婚前交渉はせず、2018年に結婚を果たしている。当時、休養していたジャスティンは、新曲を求めるファンに向けて、以下のように説いた。「今は、理想の父親になれるように、自分自身の根深い問題の修復にフォーカスしてるんだ。僕にとって音楽はすごく大切だけど、家族と健康にまさるものはない」世間を騒がせた「バッドボーイ」は、一夫一妻制の美徳を象徴する「敬虔なクリスチャン」に様変わりした。

(妻ヘイリー・ビーバーとの結婚記念Vogueカバー)

■ヒルソング教会

ジャスティンとヒルソング教会カール牧師の物語は、まさしく美談だ。ひどく困難な状況に陥った青年が信仰心によって立派に立ち直ったのである。復活アルバム『Purpose』が出る頃には、彼を蔑視し叩く向きは大分収まっていた。約10年トップを走りつづけたジャスティン・ビーバーは、名実ともにトップスターとなったのである。しかしながら、2019年には別方向の批判が生じた。ジャスティンの元振付師でありダンサーのエマ・ポートナーが「正当な報酬が払われなかった」と声をあげたのだ。この告発では、彼を救済した信仰についても触れられていた。カール牧師が属するヒルソング教会が「ひどく問題がある人々」と糾弾されているのだ。

 (クリス・プラットを批判するエレン・ペイジの投稿)

実は、少し前にも似たような問題が起こっていた。ジャスティンと同じくヒルソング教会に熱心に通う映画スター、クリス・プラットも女優エレン・ペイジから辛辣に非難され、ちょっとした言い合いを繰り広げていたのだ。一体、何故だろう? 北米のセレブリティ界において、クリスチャンは珍しくない。むしろマジョリティだ。ただし、キリスト教といってもさまざまな派閥がある。ヒルソング教会の場合、メジャーなメディアでペンテコステ派、または福音派プロテスタントに分類されている。

■ハリウッドのセレブと福音派

福音派プロテスタントはアメリカ最大級の宗教派閥だ。信仰を自認するアメリカ人は人口の4分の1ほどとされ、その規模ゆえに政治的にも重要な存在となっている。定義はさまざまだが、一般的には「聖書に深い敬意を払う信徒」とされ、キリスト教保守に位置づけられやすい。アメリカにおいては「反人口中絶」「反同性愛」を支持する傾向にある。実のところ、ジャスティンとクリス・プラットのヒルソング通いを批判したエマ・ポートナーとエレン・ペイジは婚姻関係にある。女性同士で結婚したセクシャルマイノリティなのだ。ゆえに、2人は「アンチゲイの福音派教会を批判なしに宣伝する異性愛者のスター」を糾弾したかたちとなる。

(ヒルソング教会のカール・レンツ牧師とジャスティンの妻ヘイリー、その友人ジェンナー姉妹ら)

2010年代、ヒルソング教会は若年セレブリティ間で大人気になった。支持者はジャスティンやクリスだけではない。歌手セレーナ・ゴメスやニック・ジョナス、バスケットボールのスター選手ケビン・デュラント、さらにはカーダシアン&ジェンナー姉妹など、ティーンに大人気なスターたちがこの教会に通っている。

教会コミュニティ内カップルも多い。レンツ牧師の洗礼を受けたあとジャスティンはセレーナやヘイリーと交際したが、この3人は全員レンツ牧師担当のセレブリティとされる。クリス・プラットにしても、長年連れ添った女優アンナ・ファリスと電撃離婚をしたあと、同派のチャド・ヴィーチ牧師に教えを受けるキャサリン・シュワルツェネッガーと結婚した。彼女の弟パトリックはジュダ・スミス牧師のもとでモデルのアビー・チャンピオンと交際……所属こそバラつくが、ヒルソングまわりの異性愛セレブカップルはまだまだ観察される。こうしたセレブリティたちの福音派教会ブームは、米国メディアを驚かせた。『レディー・ガガ』章で紹介したように、アメリカで人気のある若めのセレブリティにはリベラルが多い。「同性愛差別への反対姿勢」ともなるともはや基本中の基本だ。彼らが何故「反同性愛」で知られる福音派に?

■ロックスター牧師

(ジャスティンとカール・レンツ牧師)

ジャスティンが通うヒルソング教会は、アメリカにおける福音派のステレオタイプとはちょっと違っている。オーストラリア発祥のこのメガチャーチは、リベラルな都心で人気を誇る若者向けの福音派教会なのだ。まず、巨大スタジアムでポップな音楽コンサートを派手に行う。伝統的な「宗教」イメージは打ち出さず、霊的要素を強調し、ポジティブな「自己実現」や「絆」を押し出すとされる。そのため「人口中絶反対」や「アンチ同性愛」といった教義が強く主張されることは少ないという。また、スター牧師たちのヴィジュアルがかなり派手なところも異色である。

(カール・レンツ牧師の説教パフォーマンス)

ジャスティンと親密なカール・レンツは、Louis VuittonやSaint Laurentなどの派手なラグジュアリー・ファッションに身を包む通称「ロックスター牧師」で、スターたちと並んでも遜色なき存在感を放つ。その特異さはキリスト教保守派を含めた人々の非難や疑念を生んでいる。たとえば、ジャスティンと親しいラッパーのポスト・マローンは、2017年、友人について「最高なヤツだ」としたうえで以下のように語っている。「あいつ、最近すごい宗教的になってさ、めっちゃカルトだよ。最低な奴らに1000万ドルくらい払ってるんだよ。俺も昔は超信心深くて神を信じてたんだけど、気づいたことがある。信じるものをサポートするのは良いことだけど……あいつらは金を散財してるんじゃないか。奴らの教会の天井を黄金にしたって神は喜ばない」(このインタビューを掲載したRolling Stoneの調査によると、1000万ドルの寄付については根拠不明)。

若々しく進歩的なイメージを打ち出すヒルソング教会は、福音派らしい教義のもとにある。2015年、聖歌隊リーダーが同性愛をカミングアウトした際、創始者ブライアン・C・ヒューストンが立場表明の声明を出した。「教会はゲイの人々をもちろん歓迎します!」「しかし、厄介ながら、あなたがゲイの場合、積極的なリーダーシップは果たせません」「私たちは同性愛者を歓迎する教会ですが、同性愛者のライフスタイルを支持する教会ではないのです」ジャスティンの友人でもあるカール牧師はデリケートな問題については丁寧に扱ってきたが、2019年、ニューヨーク州が女性の人口中絶の権利を拡大した際は過激な言葉を用いて批判した。「よこしまで、恥ずべきで、悪魔的だ」もちろん、この教会に通うセレブたちや一般の人々イコール反同性愛、反中絶ということにはならないことは念押ししておきたい。そもそも、アメリカの若き福音派白人の同性婚支持率は上昇傾向にあり、2017年ピュー研究所調査では約半数にのぼっている。

■ 若者たちの福音派ブーム

セレブ界におけるヒルソング・ブームは、福音派がアメリカ最大の宗教派閥であることを思い出させてくれるだろう。進歩的なイメージを形成しつつ福音主義の教えに沿う同教会が「リベラルなエンターテインメント界に生きるキリスト教保守派寄りセレブたちの需要に見合う」とする見方もある。

(ジャスティンと母パティ・マレット)

カナダ人のジャスティンにしても、元々福音主義的な環境で育った子どもだ。彼とカール牧師を引き合わせた人物は母親のパティである。周囲の反対を押し切って稀代のポップスターを生んだ彼女はアンチ中絶運動に熱心な福音派キリスト教徒だ。食事の前にお祈りを捧げる子どもだったジャスティンにしても、16歳の頃中絶反対を表明している。その信仰は親子の成功譚にも垣間見える。初めてスクーター・ブラウンから連絡が来た時、パティはひどく動揺したという。息子をポップスターにする気などなかったし、ユダヤ系のヒップホップ業界人がメンターになるなど想定外にもほどがあった。うろたえた彼女は、教会の長老とともに「(ユダヤ人ではなく)クリスチャン・レーベルのキリスト教徒男性をもたらしてください」と祈りまでしたそうだ。

当時、彼女が神に願いつづけた息子の理想像は「同時代の人々に声を届ける現代の預言者サムエル」サムエルは、旧約聖書に出てくる預言者であり宗教的指導者である。幾多もの困難を経て、母の祈りは叶ったのかもしれない。2010年代を象徴するポップスター、ジャスティン・ビーバーは、ヒルソング教会の知名度を一気に向上させ、「宗教離れ」が進む若者たちに信仰の門戸を開いたのだから。

書籍『アメリカン・セレブリティーズ』ご購入はこちら

4月30日発売
定価1700円+税
四六判並製/1C/296ページ
ISBN978-4-905158-75-2
ハリウッドスター・ラッパー・ポップシンガー・政治家・インフルエンサー…… アメリカのセレブリティは、世界の政治や経済を動かすほどの巨大な影響力を持っている。その背景には、カルチャー、政治、ソーシャルメディアなどが複雑に絡み合った「アメリカという社会の仕組み(と、その歪み)」がある。気鋭のセレブリティ・ウォッチャー/ライター辰巳JUNKが、世界を席巻する20組のセレブリティを考察し、その謎を解き明かす!




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