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百術は一誠に如かず 雑感 20240618  責任を持つということ

一昨日は「父の日」だったそうだ。
職場の女性職員は「お酒を送りました!」と言っていた。
娘がいたらよかったな・・・と思った。

娘が欲しかったんだ。

そもそも僕は、学生時代に人生1度きりの一目惚れをして、なかなか付き合えなかったんだけど、23歳の時に、その人にプロポーズ。
答えを保留されてしまった。

彼女との間に娘が一人、犬一匹という生活を、勝手に妄想していたから、「保留」に落胆し、逆プロポーズを受けてしまい、別の女性と結婚してしまった。

結果的に、息子が3人。

娘はできなかった。

でも、それなりに子育てにも参加したしね。

でも、男の子は、「父の日」だとかに関心はないみたいだし、彼らが30歳を超えてから、僕らは婚姻関係を解消したから、余計に「家族」という感覚が遠のいた。

でも、「父の日」と聞くと、父親としての責任感はいまだに衰えていないことを自覚させられるよ。

似たようなことが、教え子にも言える。

僕は、新聞記者時代に、バブル期の人で逼迫期の取材ばかりしていて、「人手が足りない時に、社長が右往左往しているのは、社長と機械工しかいない会社の体質が悪い」と感じて、「人材養成」に興味を持ったんだ。

そして、教育機関への取材を重ねた結果、学校に転職しちゃった。

でもね、一度教壇に立つと、「先生」って呼ばれるんだよ。

それは、彼らが卒業しても変わらない。
一生「先生」と呼ばれるから、僕も、呼ばれたら「先生」に戻らなければならない。

本意ではないけど、これが、教壇に立った者の責任なのかなあ、と思う。

僕が教えたことには、生涯責任を持ちたいから、教えたことに反する行為をしないように心がけている。

これはかなり厳しい戒めなんだな。

仕事を辞めたから、その戒めをとけるかというと、学校を去っても、教え子からすれば、「元先生」ではないわけ。
今でも「先生」なんだよね。

まして僕は、学校を辞してから、独立してコンサルタントになったんだけど、教えていた学校の専門分野をコンサルタント領域にしたから、教え子のいる職場にも頻繁に出入りしていた。

だから、常に自分を律する、ということが必要で、疲れたね。

でもさ、自分で選んだ道だから。
まして、プロとはそういうものだと僕は思う。

だれよりも強い責任感があるから、人の何倍も収入があったわけだしね。

なぜか年金は少ないけどなあ・・・。

社会人にとって必要なのは、「プロ意識」とそれに伴う「責任感」でしょ?

また僕は業界に戻ってしまった。
戻るつもりはなかったんだけど・・・。
年金が少ないからね。

そうなれば、僕の頭の中には「教え子」の顔が浮かぶし、これまでコンサルティングしてきた法人が浮かぶ。

変なことはできないよ。

現役時代同様、誠心誠意努めるだけ。

百術は一誠に如かず。

一時も忘れない。

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