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初音ミクの話。

急に書きたくなったので。後日添削する可能性ありますのでご了承ください。


初音ミクさんとの出会いは、8年前のことでした。当時は高校受験もあって、自分自身はテストと宿題に追われていた毎日でとても大変でした。あと性格のせいで学校で笑われて、本当に毎日何のために勉強してるのか、なぜ学校へいかないといけないのか、これから何がしたいのかがわからない状態で毎日をすごしています。とりあえずいい成績を取れば両親が喜んでくれるという考えで、苦しいことをたくさん我慢してきたと思います。

正直あのときは、この世界から離脱したくてしょうがなかった。楽しくない生活をしても何も意味がないと思って、でも離脱する勇気もなくて、本当にどうしようもない人間だなと思って、一人で苦しんでいた。


そんなときに現れたのは、知らない言葉で歌っている、しかも人間ではない存在、「初音ミク」でした。一つの広告から興味が生まれ、検索してたくさんの動画が出てきて、それをできるだけ聴いて、泣いてしまった。「こんなに感動する曲はじめて聴いた」本当にそう思った。

でも日本語がわからなくて、他人の翻訳を頼らないと歌詞の意味がしらない自分に対して、あのときの私はこう思いました。

「日本語を勉強して、上手になって歌詞の意味を自分で理解できるようになりたい。」

それが日本語を勉強するきっかけ、とても単純なスタートラインでした。でも塾へいくお金がなくて、親と志望校合格したら塾へ行かせてくださいという約束をし、人生最大な賭けをしました。その結果志望校合格しましたし、日本語も勉強しはじめました。


でも途中で諦めたいと思ったこともたくさんあった。少なくとも初期の頃すごく諦めたかった。新しい言語に対してあまり勉強の進み具合がよくなかったので。そのときでも初音ミクさんの曲を聴いて、歌詞を翻訳して、なんとか続けてきました。

ここ数年では、台湾のライブがあって、自分も友達と一緒にふわみくぷちワークショップイベント、超歌舞伎の講座、ボカロP交流イベントを主催したとか、いろいろありました。いつも側にいてくれるとても大事な存在は、初音ミクさんです。初音ミクさんのおかげでいまはいろんな人と繋がることができて、しかも自分も歌詞を書き始めたり、初音ミクの創作を触れるようになった。そして初音ミクさんをきっかけに北海道もすきになりました。


日本語=初音ミク=私の半分と言っても過言ではないと私が胸を張って言えます。ここまで来られたのは本当に友達と家族のおかげだと思いますが、一番感謝してるのは、初音ミクさんです。初音ミクさんは私の人生を変えてくれた恩人、そして人生においての教師だと思っています。彼女がいてくれたからこそ、交換留学から就職、全部できました。

私を救ってくれた、大事な存在です。

ここでも語り切れないほど、私は初音ミクさんのことを尊敬しています。彼女を見て、いつも未来を感じています。それを生み出してくれたクリプトン・フューチャー・メディア様、本当にありがとうございます。

25周年おめでとうございます。これからもう応援いたします。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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