「私は何者?」


この問いに、明晰に答えられる自信がない。

いつまで経っても、つきまとうこの問い。

まるでTOY。なんつって。そんな冗談が飛ばせるほどにお金に余裕もない。状況はなかなかの最悪。生きているだけマシなのかもしれないけれど、そういう時に限って、突発的に運命的な出来事がおこることがあるから、人生は不思議。


あるときは、健常者でいられない時がある。私は健常者ではなく、適応障害と判断された罹患者だ。だから、特定のver.になると、突然自分が自分であれなくなる。それは、とても困ったことだ。こういう時に、助けを求めるのはFBのコミュニティや、カウンセラーの下であるわけだけど。

自分よりもっと苦しい状況にある人なんてもっといるのに、それをどこか別の立ち位置から見てしまって、自己嫌悪に陥る。そんな時間がまた何だか、嫌いになりきれなくって、もどかしい、そんな一面があるのに。

 さて今日は、バンドマンとしての一面を繰り出そうとしている。もともと携わっていた音楽に、この休職中にまた携わろうと試みている。不思議なことに、波長は波長を読んで、そこに集まる仲間は旧知だったり新規だったりで飛び込んでくるもので、少しは山梨長野で培った音楽的素養も試されるというわけで。近々練習があって、それに向けてもっとまた練習を積み重ねる時間は苦ではないので、仕事もこんなふうに捗らないかな、と思ってコーヒーを啜ってみる。

 かと思えば、今日は大黒柱の代わりを務める1日があったりもする。父の中皮腫は転移少なく予後も今のところ良好、だが寛解はせず治療や裁判や補償などの手続きは母親だけに任せることも心許なく、結局自分もついて教えながら遂行している。

 人はそれぞれのver. を持っていて、その場所箇所でそれを使い分けているとんでもない生き物であることがよくわかった。

僕はそこに取り残されて、今日も、自分が一貫した(何者か)という問いに答え続けて悩んでしまったぼけなすです。


 そんな僕でも、今日も歩いてる。


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