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昔と今と・・・違う意識

新型コロナウィルスの猛威はいまだ衰えることなく、5月6日の緊急事態宣言期日を延長するかどうか・・・、国の方針もギリギリまで未確定の様子です。

世界的自粛ムードの中、これだけ人の動きが無くなると経済が成り立たない。「カネは天下の回り物」とはよく言ったもので、今回のコロナ禍の渦中ではそれをリアルに感じます。

先日、顧問税理士さんとお話しする中で、コロナ騒動にめげずに頑張る会社や、先行きを甘く見ていてジタバタしている会社・・・いろいろありますというお話を聞いた。

コロナの影響で、昔と今とじゃ随分と考え方も変わるだろうね・・・と、話しを進めるうちに、自分自身の「昔と今との仕事に対する意識の変化」が話題となった。
彼は税理士事務所の代表者というポジションにあり、現場仕事からマネジメント業にシフトして、仕事に対する意識が変わってきたという。
私も、家業を継いだ頃は現場仕事で汗を流し、自分のやった仕事に対して達成感を感じていたが、社長というポジションについてからは現場よりマネジメント業にどうしても傾く。

自分が動いてナンボの時期は、「目の前のことを何とかしよう!」ともがいて、あがいて・・・なんとか形にする(数字を仕上げる・・とでもいいましょうか)感覚。ノルマ的なものがあれば、それをなんとかしてやり遂げる。それが仕事と思っていた時がある。自分のチカラでなんとかなると思っていたお年頃だったんでしょうね。

それが、今この歳、このポジションになってからは、「自分が動いてナンボ」の感覚で物事に取り組んでも、空回りの感覚しかない・・・。

マネジメントという全体を俯瞰して考える仕事というのは、時として「どうしようもならないこと」にぶち当たるもんだ。その、どうしようもない壁に対して、若い頃のように「自分のチカラでなんとかしたろ!!」と意気込んだところで・・・・・虚しさが残ることがある。臨んだ結果が出ないという事だ。

組織をまとめるポジションに立つと、「自分のチカラではどうにもできないことがある」という認識を持つことが必要だよね・・・、と、お互いの立場のことを想いながら笑った。


で、今日のこと、とある新聞の記事で『コロナ時代の仕事論』というコラムになにやら似たげなことが書いてあった。

~コントロールできないものをコントロールしようとする。ここに不幸の始まりがある。コントロールできないことについては、ジタバタしないに限る、世の中には「どうしようもないこと」というものがある。~

新型コロナウィルスなんてものは、どうしようもできない最たるもの。普通の人が出来ることと言えば、手洗いをし、マスクをする、人込みを避け、三密を回避する・・・このくらいの事だろう。経済が止まった今、それを自分のチカラだけでは回せない。「理不尽」な国の方針だと感じる方もいるだろうが、それを自分のチカラだけで「コントロール」できるものでもない。

社会が便利になりすぎて、「理不尽」に対していつのまにか人間は「なんでもコントロールできる」と思いあがっていたのかもしれない。

今回のコロナ騒動に限らず、仕事でも言える事。
仕事で言えば自己評価には意味が無く、「お客」の評価がすべて。「お客」をコントロールすることはできない。つまり、仕事というものは、その定義からして思い通りにならないモノの最たるものなのだ。


自分のチカラでなんとかしようと考えていた昔。

自分のチカラではどうにもならない壁が見えてきた今。


このコラムを読んで、顧問税理士と話した「昔と今」の自分論がなんとなくスッキリした。

~仕事・キャリアを滑った転んだの経験の中から事後的に見えてくるもの。だとしたら、時々の自然な流れに逆らわず、流れに乗っていく。キャリアとはそういうもんだ。美空ひばりいわく「川の流れのように」、テレサテンいわく「時の流れに身を任せ」。合成すると「川の流れに身を任せ」。~

~ただし、川の流れに身を任せるにしても「良い流れ方」というのがある。目の前にあるお客をきっちりと満足させ、できれば期待以上の驚きを与える。これを日々繰り返し気長に積み重ねていく。これが良い流れだと思う。~

仕事や人生、なかなか思う通りに行くことはない。
でも、いい仕事をして、いい経験を積み重ねることで、それが実績となり信用となり、自信となる。

川の流れに身を任せつつも、自分のチカラを信じて発揮して、理想を追い求めることをやめない事。
どうにもならない事を受け入れる器と、自分のチカラを世のため人のために注ぐ勇気。これからに必要なことだと感じる。

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