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こんなパンケーキなら自分で作れる

冬の寒空の下、私は新宿の靖国通りを歩いていた。先ほど言われた言葉を背負いながら。

「あなたの絵にはもう一つ何かが足りない。心に訴えてこないのよね。技術もしっかりしてるし配色も構図にも文句の付けようがない。だけど、絵はそれだけじゃないから」

そのもう一つ何かはどうすれば見つけられますか?

「もっと細かいことに目を配る必要があるわね」

重さも形もないそれだけの言葉が、私にはずっしりと重かった。
さっきからお腹が鳴っている。朝からほとんど何も食べていない。何か食べよう。
絵のことも、空腹くらいわかりやすかったらいいのに。

目についた喫茶店に入り、目についたパンケーキセットを注文した。
運ばれてきたパンケーキを口にしたとき、私は咄嗟に思う。

「こんなパンケーキなら自分で作れる」

だから自分で作ろうと思った。
その思いは私の中で変えることのできない固い決心となっていた。

帰りにスーパーで材料を調達し、さっそく作り始める。
決められた材料を決められた配合で混ぜ合わせ、温めたフライパンで焼いていく。
誰にだってできる。
絵より簡単だ。
絵よりも簡単に美味しいものが出来上がる。

焼き上がったパンケーキは、新宿の喫茶店で食べた物とほとんど同じ見た目をしている。
だから味だって同じはずだ。
そう期待して、私は口に運ぶ。

でも、味はほんの少しだけ違った。
何だろう、言葉にできない何かが違う。
わかるのは喫茶店の方が美味しいということだ。ほんのわずかな差だけれども。
1ミリもないぐらい本当に小さな差。

小さな小さな差。
小さければ小さいほど、私はそれが気になって仕方なかった。
圧倒的にお店の方が美味しければ全く気にならないのに。諦めがつくのに。
小さな小さな差だからこそ、私はそれが知りたくてしょうがないのだ。

いろいろ材料の調合を変えてみた。
火の加減を変えてみた。
銅板のフライパンに変えてみた。

いろんなことを変えてみたけど、その差は埋まらなかった。
むしろどんどん開いていく。
違うものになっていく。

ヤケになっていたんだと思う。
何もかも放り出したかったんだと思う。

私はフライパンで焼いていたパンケーキを、空中に放り投げた。
パンケーキは回転して空中を舞う。
くるくる、クルクルル…
永遠の円運動のように回っていた。
でも永遠なんてものは存在しない。
パンケーキはフライパンにもう一度戻ってきた。

そのパンケーキは、喫茶店で食べた味と全く同じだった。
パンケーキを空中で放り投げたことが、ほんの小さな差を埋めていたのだった。

なんだ、こんなことで良かったのか
果てしない安堵感の中で食べるパンケーキは、優しく甘かった。

あれから私はほんの僅かな差を探し求めるようになった。
絵にもそれは反映された。
「良くなったわね。ほんの少しだけ暗い色を足すことで深みが出ているわ」
先生は私の絵を褒めてくれた。

ほんの僅かな差に神が宿る。
そのことを喫茶店のパンケーキが教えてくれた。

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