ハートに火をつけて。 燃えよ、たっちー
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前回この記事を書いて、ちょっと自分の心の中に変化が起き始めている。
「胎動」とでもいうのだろうか、何か自分の中に、うねりのようなものが起こり始めていることを感じる。
まだ大きな波にはなっていない。
でも、ちょっとだけ分かったような気がし始めている。
結局自分のご機嫌を取れるのは自分だけなのだ。
第三者、外部からの刺激や出来事に頼っているうちはダメだ。
最終的には自己充足というのは、自分の内面的な満たされた感覚である。
貧しい内陸国であるブータンの人々の方が、先進国の日本人よりも幸福度が遥かに高いのも、結局物質的な豊かさは、あくまでも人間の幸福のごく一部しか満たさないことの現れだろう。
「充実していない」→「動かない」というのは、モノゴトの一つの側面ではあるけれど、全体を網羅する真実ではない。
なぜかというと、「動かない」から「充実しない」というのも、また事実の一つの側面だからだ。
充実しないから動かないのか、動かないから充実しないのか。
では、充実しないからといって動かなかったら充実するのか?
答えは明確にNOだ。
充実しないからと動かずにいて、勝手に事態が好転してワクワクする毎日になるわけがないのだ。
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