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僕は「傷つけられた」のではなく「傷ついた」のだ

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昨日書いた「自分責めを止めると人生が楽なる」の話しの続き。

「自分責めを止める」ことは、「自分を被害者に設定する」ことを止めることに通じている。

僕自身も含め、多くの人は、これまた学んで修業をしないと、ついつい自分を被害者に設定してしまい、その設定の中で自分責めをして苦しんで生きている。

自分責めをすることと、自分を被害者に設定することは、実は真逆の行為である。

自分責めは、自分が悪い、自分はダメ人間だ、自分は劣っていると自分で自分を虐める行為のことを言う。

いっぽうで自分を被害者に設定するというのは、自分は悪くないのに弱くて虐げられて、不当に扱われているという設定をすること。

被害者がいるということは、当然加害者も必要になるので、いろんな人や組織を加害者に設定して、その加害者によって自分が虐げられている、というストーリーで物事を考える。

加害者は、多くの場合パートナーであったり親であったり、あとは会社の社長であったり上司であったり、あとは組織、国や政府であったり取引先だったりする。

「それら周囲の加害者によって虐げられる私は、弱く無力でダメ人間なので、被害者として留まることしかできず、何もできないのである」

これが自分責めと被害者意識の連動ポイントである。

これを無意識にやってしまうと、どんな素晴らしいメリットがあるかというと、「変われない自分を正当化することが簡単にできてしまう」のである。

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