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『綴/私』

2023.6

日記をつける、の「つける」って良い。
「つける」したい。

それで、日記をつけるのだけど、理由は多分たくさんあって、"多分"なのはその内いくつかを確実に忘れてしまっているからで。文章の書き方をすぐに忘れる。Wordの前で一時間。一文字目の入れ方がわからない。私は文章を書くことができるのに、書けない。書くことを身体に染み込ませるには、沢山書くことだ、と思う。十中八九、誰かが言っている。


物語が書きたい。


謎が好き。物語をジャンキーに取り入れたい時がある。結末がわかれば良いと。だから謎が好き。真摯に向き合う力のない中で創作を求める愚かさを、許容してくれた気になる。映ることは媒介となることで、生み出すことではないと感じる。偶発的に生まれるものはあっても、主導権はわたしにない。


物語になりたい。


少女が好き。憧れだから。自分のなりたい像が具体性を持つようになる。実在の人物には既に実態があって、成れなさは大きい。好きな人のようになりたい。舞台上の人間は圧倒的だから、過程に物語がある。観客が見出したから。でも、私は何も成していない。何も挑戦していないと、そう自分のことを思うから、私は物語になりたい。


今更「日記」ではなく「手記」だと思い出す。


毎日、書こうと思う。何もなかった日々が続いていて、目の前を流れていく。私のものなのに、コントロールできなくて、私のものの実感はない。だから、日々が在った証拠を残したい。在って、そこにいた生きていたことを確かめたい。

2022〜2023、空白の一年間を見て、何をしていたか曖昧な自分がいる。消えてしまったミスiDのnoteに何を書いたかわからない。対策と研究をして受けていたから、iDに対する審査員の考え方が伝わるツイートを集めてモーメントを作っていたこと。ふと思い出して、今読んだら絶対面白いのに、と思った。もう、この世に存在しない。


勿体ないと思う。私は綴由良が居て欲しいから。
【わたし】と名乗っていたいのだ。


綴由良と名乗って、私の強欲さを見せたくない。そう思うのに、わたしと私の境界線がどんどん薄まって、わたしに何を言わせたかったのか分からなくなる。だから、「わたしは」と言いながら言いたくないことまで言い出すだろう。日記なんかつけたら。

それはそれで、愛おしいと思う。



以上、6月の手記。
2023.7.14

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