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生理で泣きそうになった日 | 2/3

入院中にツラかった時間は2回あった。1回は手術後。もう1回は、手術当日の浣腸タイムだった。

「ちょっと待った」と心を落ち着かせる暇もなく、看護士さんは書類にハンコを押すかのように躊躇いなく滑らかに、挿入してくれた。強制的排泄が腹部にもたらすギュルギュル感は悶絶に値し、腹を押さえ足早にお手洗いへ駆け込んだ。

絶食になり、手術着に着替えた。付き添いとして母が来てくれて、手術時間もやってきた。

手術室へは歩いていった。医療ドラマでよく見るアルミ質の扉の奥へ入ると、これまたよく見る手術台に乗る。

―――ああ、私、これから手術するんだ。

手術台に仰向けになった私の顔を、数名の医師たちが覗き込む。

ライトが眩しい。

麻酔が効きはじめていく。

ドロン。











女性は、1ヶ月のうち快適な期間が10日ほどしかないらしい。

ホルモンのサイクルの影響で、生理前や生理中にお腹や頭が痛くなったり、イライラしたり憂鬱になったり、肌荒れや便秘になったり。人それぞれの不調がやってくる。

私も女性だけど、女性って大変だなぁとつくづく思う。

遠くから聞こえてくる。男女平等に働こう。恋をしよう。できたら結婚しよう。出産しよう。子育てしながら働こう。女性管理職を増やそう。遠い遠いどこかから。

女性への期待は、女性への負担でもあって。

ベストコンディションじゃない日でも、女性たちは自分の体や心に「がんばれ、がんばれ」と声を掛けながら、期待に応えているのかもしれない。

「生理がツラいので、仕事休ませてください」。

女性の私ですら聞いたことがない台詞。不調を隠しながら、がんばっているのかもしれない。そう思うと全女性を褒めたい。いや、そもそも生きるのって大変だ。全人類を褒めたい。褒め称えたい。

私は、女性だったから卵巣に腫瘍ができて、こうして手術している。妊娠、出産のための器官を持つ性であること。その性が抱える壮大さと繊細さ。説明しきれない不思議な感情。私が、私という女性であること。













目が覚めると、病室のベッドにいた。

横に、母と看護師さんの姿がぼんやり見えた。そっか、手術、終わったんだ。きっと何事もなく予定通りに終わったんだ。

母がニコニコしながら、「歯が入ってたよ」と囁いた。

歯?

どうやら私の卵巣腫瘍は、歯や髪の毛や皮脂のかたまりみたいなものだったらしい。妊娠していないのに卵巣が勘違いして人間のパーツをつくってしまったのか、そのメカニズムはよく分からないけれど、とにかく事実として、私の卵巣には歯が入っていた。

「ちゃんとデジカメで撮っといたからね」

落ち着いたら見せるね。母はやさしく言った。

夢のなかで話しているようにフワフワしていた。頭がぼうっとしてきて、たるんと落ちてきた瞼の重みを抵抗せず受け入れた。


・・・


再び目を開けると、母の姿はもうなかった。

あらためて自分の状況を確認すると、自分で自分の体を動かすことができず、口や腕や尿道は、管のようなものでつながれていた。ベッド横のモニターが、ピッ、ピッ、ピッと私の生命活動の持続を報告している。

消灯しているから夜になったのだろう。麻酔のおかげか、大きな痛みはない。体中に刺さった管の違和感だけが体を覆っていた。

腕や足をモゾモゾさせて、可動域を確認する。寝返りを打つことや横にあるモノを取ることができない。ほぼ寝たきりの状態。


・・・


この夜は、長かった。


・・・


自分で自分の体を動かせないって、なんて苦しいんだろう。

運動が苦手で、体育の授業をサボりまくって中学体育の通知表で「1」をいただいたことがある私だったけれど、思いっきり走りたいと心底思った。唯一、思い通りに動く頭のなかで、ぐるぐると思った。 走 り た い。 病院の廊下を全速力で走る姿を想像した。白い廊下は延々と続いていて、靄のような床を一歩一歩、力強く進んでいくという空想。なんて気持ちいい。どこに向かうか分からないけれど、頭のなかでめっちゃ走った。これまで26年間の人生のなかで、自由に走って、歩いて、動きまわっていた時間たちを振り返る。できなくなってようやく、その価値を真に理解したのだった。


・・・


看護師さんは、2、3時間おきに様子を見にきてくれた。

体温と血圧を測ってくれ、寝返りを打つのを手伝ってくれた。ありがた過ぎて天使に見えた。夜通しの看護に感動すらした。

映画とかのエンタメやスポーツが与えてくれるようなダイナミックな感動ではなく、美術館でグッと来る作品と出会った時のような一対一の対話から生まれる静寂のなかの感動。この種の感動は心にジワリと染み込み、人間を豊かにさせると思う。

携帯のバイブが何度か鳴っていた。もちろん手にすることはできず、寝たり起きたりを繰り返していたら、朝が来ていた。


・・・


それから私は、着々と回復していった。

お粥が食べられるようになり、尿の管が取れ、歩行練習をし、お小水とガスが出た。拍子抜けするくらいの速度で動けるようになっていく。医学の進歩と人体の底力に感服するばかりだった。


・・・


入院に際して、ひとつ反省していることがある。「やることリスト」を充実させてしまったことだ。

普段は仕事三昧なので、まとまった休みをいただけるまたとないこの機会に「あれをやろう」「これもやろう」と張り切りまくった。

キャッチフレーズのコンテストに応募するコピーを書くだとか。本をたくさん読むだとか。薄っぺらい登場人物が出てくる物語を書くだとか。賛美歌の歴史について調べるだとか。タイピングの練習をするだとか。絵を描くだとか。結果として、「気が休めない」状態を自らつくり出してしまった。

山盛りの宿題に手をつけないまま夏休みの終わりが1日1日近づいていく時のような、イヤ〜な「宿題抱えちゃってます感」。せっかくいただいたお休みの過ごし方として、よろしくない。術後すぐは体力が落ちているし、とにかく体を回復させることが最優先。脳みそだって疲れている。いつもと同じコンディションで過ごせる想定をし、非効率な努力を自らに課そうとした手術前の自分の肩をポンポンと叩いて「やめとこう」とアドバイスしてあげたい。

結局、コピーを30本くらい書いて「やってる感」をなんとか保ち、やることリストは果たされないまま終了した。

病院で過ごす夜が更け、朝が来て、また夜がきた。


つづく


※同じ病名であっても症状などは人それぞれ異なるため、医学的な参考にはされないようお願いできると幸いです。違和感や不安があれば、ぜひ検診を。


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